リービ英雄の講演を聴いて
先週の土曜日にリービ英雄の万葉集についての講演があり、聴きに行った。
これは、音楽のコンサートの前段の講演として企画されたものですが、後段の楽曲が万葉集の歌を歌うというものですから、後段の歌曲の丁寧な解説篇ということになっていました。
印象に残ったのは、リービ英雄が20代早々の若者であったときに、京都から奈良まで歩き、道々の土地、景色、景勝を尋ねるわけですが、別にそれを求めなくとも、2、3キロ歩くと石碑や歌碑が立っていて、ここにだれそれという歌人が来て、このような歌を歌ったということが、至るところにしるされているということ、自分よりも必ず先に、自分よりも素晴らしい力を持った人が、既にその地を歌っているということ、だから、アメリカ人がアメリカの景色を見ると、自分自身が初めてこの景色を見たということになるのに、日本人の景色はそうではないのだということを言ったことでした。
確かに、改めて言われると、日本のどの土地にも、弘法大師やら、昔の有名な歌人や俳人が既に行っていて、既にその地を詠んでいる。
その歴史と伝統の上に、日本文学は成り立っている。
しかし、他方、わたしが思ったことは、わたしの育った北海道という島は、やはり全然そうではなく、わたしの見る景色が、わたしの最初に見た景色だといえる、そのような土地だったということでした。
そこには、弘法大師も芭蕉も脚を踏み入れたことのない島です。
考えてみれば、古事記や日本書紀では、日本の国生みの話には、北海道はないのです。
また、印象に残ったことは、やはり当時奈良へ徒歩で入ったときに、大和三山を初めてみて幻滅したこと、アメリカで英語で読んでいた万葉集には、heavenly mountainと天の香具山がいわれているので、mountainというからどんなに高い山かと思って来てみたら、それは全然mountainではなかったということ、しかし、アメリカに帰って更に万葉集を読んで行ったら、次第次第に古代の日本人のヴィジョンとその構造の創造されていたことに気づき、強く魅了されていったこと、これが非常にこころに伝わって来ました。
リービ英雄は、天の香具山の山を、mountainではなく、hillと訳していました。
また、山部赤人の田子ノ浦ゆ打出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りけるの歌を詠み、自分の英訳をまた詠んで、真白の真、ぞという助詞、これをどうやって英語に直したかという苦心談を語りましたが、真白の真を、pure whiteと訳し、ぞという助詞の意味を更に重ねて、white pure whiteとしたという話をし、これは評判をとった訳となったことを謙虚に自慢しておりました。さもありなんと思いました。
講演中、同じ翻訳者として同感すること多々あり、やはり、このひとも、異言語間を往来することによろこびを感じているのだと思った次第です。
2 件のコメント:
僕も行きたかったな。
冨士の高嶺の歌は、憶良ではなく、山部赤人ですよ。
いやあ、今度あれば、誘います。いつも、小さないいコンサート、よき催事なのですよ。詠み人たがへの件、訂正します。ご指摘深謝。
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