【Eichendorfの詩 10】Der wandernde Student (旅する学生)
【原文】
Der wandernde Student
Bei dem angenehmsten Wetter
Singen alle Voeglein,
Klatscht der Regen auf die Blätter,
Sing ich so für mich allein.
Denn mein Aug kann nichts entdecken,
Wenn der Blitz auch grausam glüht,
Was im Wandern koennt erschrecken
Ein zufriedenes Gemuet.
Frei von Mammon will ich schreiten
Auf dem Feld der Wissenschaft,
Sinne ernst und nehme zuzeiten
Einen Mund voll Rebensaft.
Bin ich müde vom Studieren,
Wann der Mond tritt sanft herfuehr,
Pfleg ich dann zu musizieren
Vor der Allerschoensten Tuer.
【散文訳】
旅する学生
一番気持ちのいい天気のときには
すべての小鳥達が歌を歌い
雨が木の葉を打って音を立て
わたしは、かくもわたし一人のために歌を歌う。
わたしの眼は何も発見できないので
もし稲妻が恐ろしく燃えて輝くのであるのならば
旅の中にある何かが、満足したこころを驚かせることがあるだろう。
わたしは、マンモンの神(財物の神)から自由になって行進したい
学問の野原(分野)を
真剣に考えを凝らし、そして時折は
口一杯に葡萄の果汁を頬ばるのだ。
勉学に疲れるならば
そしてもし月が優しくこちらに歩み寄って来るならば
わたしはいつも音楽を奏でる
最も美しい扉の前で
【解釈と鑑賞】
日本の現代の学生とは違い、ドイツの学生は、伝統的に何かこういうのんびりとしたところがあるのだと思います。
それは、学生の自治と裏腹に、そうなのでしょう。
ハイデルベルクという、わたしの好きな中世の美しい町には学生牢があって、そこには投獄された(というべきでせうか)、蟄居を命ぜられた学生の落書きが壁一面に書かれています。
ドイツの学生は、大学から大学へと旅をして学んだのです。
最後の連の最後の一行、最も美しい扉とは何を意味するのでしょうか。
そのような慣用句が既にあるという解釈がひとつ、もうひとつは、他の詩人の場合にも象徴的に出て来るように、しかしまた同時に実に具体的に出て来るように、現実的な何かの言い換えであるのだと思います。
扉、ドアという主題は、今もわたしたち人間の意識に深く関わっています。即ち、そこには閾(しきい)があり、閾を跨ぐと家の中に、建物の中に入り、いつも何かが始まる。たとえ、それが日常の、家のドアであろうとも。
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