2012年10月6日土曜日

【西東詩集15】 Derb und Tuechtig(無作法と有能)


【西東詩集15】 Derb und Tuechtig(無作法と有能)


【原文】

Derb und Tuechtig

DICHTEN ist ein Übermut,
Niemand schelte mich!
Habt getrost ein warmes Blut
Froh und frei wie ich.

Sollte jeder Stunde Pein
Bitter schmecken mir,
Werd' ich auch bescheiden sein
Und noch mehr als ihr.

Denn Bescheidenheit ist fein
Wenn das Mädchen blüht,
Sie will zart geworben sein
Die den Rohen flieht.

Auch ist gut Bescheidenheit
Spricht ein weiser Mann,
Der von Zeit und Ewigkeit
Mich belehren kann.

Dichten ist ein Übermut!
Treib' es gern allein.
Freund' und Frauen, frisch von Blut,
Kommt nur auch herein!

Moenchlein ohne Kapp und Kutt,
Schwatz nicht auf mich ein!
Zwar du manchest mich kaputt,
Nicht bescheiden, nein!

Deiner Phrasen leeres Was
Treibet mich davon,
Abgeschliffen hab' ich das
An den Sohlen schon.

Wenn des Dichters Mühle geht
Halte sie nicht ein:
Denn wer einmal uns versteht
Wird uns auch verzeihn.


【散文訳】

無作法と有能


詩作するとは、我がままなこと、不遜なことだ
誰もわたしを責めるな!
お前達は、暖かい血を慰めたではないか
明るく、そして自由に、わたしも同様なのだ。

一刻一刻の苦しみが
更に苦く、わたしにあろうとも
わたしはいつも謙虚である
そして、更にもっとお前達以上に

何故ならば、謙虚とは繊細であるからだ
乙女というものが花咲けば
彼女は優しく求められる
粗野な男から逃れる乙女は

実際、謙虚とはよきものである
と、聡明な男が話をする
時間と永遠について
わたしに教えることのできる男が

詩作するとは、我がままなこと、不遜なことだ
それは一人でするのがよいのだ
男の友よ、ご婦人方よ、血で鮮烈なる者であらばこそ
さあさあ是非ここに入って来なさい!

僧帽と僧衣を着ない坊主め
わたしのやることにつべこべと口挟むんじゃない!
なるほどお前は、わたしを駄目にするが
お前は決して謙虚ではない、決して!

お前の句の空虚な言葉は
わたしをそこから追い立てる
わたしはそれを磨(す)り減らしたのだよ
靴底で、もうとっくの昔に

詩人の水車が廻っているならば
それを止めてはならない
何故ならば、一度わたしたちを理解する者は
わたしたちを必ず赦すからである。



【解釈】

世間というものを相手にして、この前の幾つかの詩から、ゲーテは、詩人という人間の営為の意義と意味を歌って来ました。

この詩もその延長にある詩です。

一読、註釈の不要の詩であると思います。

ゲーテの詩人としてのこころがよく現れています。

詩人の水車という譬喩(ひゆ)は、何かいい感じをわたしたちに与えます。特に都会に棲んでいると尚。

もしあなたが詩作をするならば、幾ばくかの不遜を自分自身に拒むことはできません。何故ならば、詩作とは自分の言葉を持つことだからです。

それは、坊主どもの言葉と相対し、拮抗する。

坊主どもの言葉は、ひとのこころを救っているのだろうか?騙しているだけではないのだろうか?ひとの苦しむこころの弱さにつけ込むことをして。

しかし、似非(えせ)詩人、似非作家、似非文学者は、自分を甘やかすことによって、似非坊主と同じことをしていないだろうか?詩人が高慢であるには、不遜であるには、然るべき理由があるのだ。

宗教も勿論大切ですが、文学も大切だと、こうして、わたしは思うのです。



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