2012年10月6日土曜日

第42週: Nach dem Gelage (宴の後) by Ralf Rothmann (1953 - )



第42週: Nach dem Gelage (宴の後) by Ralf Rothmann (1953 - ) 

【原文】

Nach dem Gelage

Wo sind wieder meine Socken.
Und wer ist diese Frau.
Poeten mit Pappnasen sassen beim Bier,
alle wie Tinte, blass und blau.

Wer legt sich schlagen in welchem Verlag?
Quasselte Bücher und hat nichts gesagt?
Sprache, die aus dem Zapfhahn schäumet.
Der rote Faden war nur geträumt.

Wer wäscht mir die Hände nach so einer Nacht,
ich muss noch Socken signieren. Wer verlegt
meine Leber, ihr schmerzhaftes Grau.
Und wer ist diese schöne Frau.


【散文訳】

宴の後

まただ、わたしの靴下はどこにあるのだ。
それに、この女は誰なのだ。
厚紙で作った鼻をした詩人達がビールを飲みながら椅子に座っていたのだ
皆インクのように、青ざめて、そして青く。

誰がどの出版社に横たわって眠るんだって?
見せかけの本の数々、そして、何も言わなかったのか?
水道の蛇口から泡立って出て来る言葉は。
赤い糸がただ夢見られていただけだったのだ。

そんな夜の後で、誰がわたしの両手を洗ってくれるというのか
わたしはまだ靴下に図書番号をつけなければならないのだ。誰が
わたしの肝臓を出版するのか、お前達の苦痛に満ちた灰色を。
そして、誰なのだ、この美しい女は。


【解釈と鑑賞】

この詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Ralf_Rothmann

この詩人はわたしとほぼ同じ歳の詩人です。

この宴とは、何かどうやら詩人達と出版社の編集者達との宴会の終わった次の朝の様子のようです。

詩人達の鼻が厚紙でできているというのも、文字通りに譬喩ととるのもよし、実際にそんな鼻をつけて,戯(おど)けてどんちゃん騒ぎをしたととってもよいでしょう。

どうやら、狂騒の夜が明けて、ベッドの上で隣りを見ると見知らぬ美女がいるらしい。そうして、二日酔いとともに(とは書いてありませんが、如何にもありそうです)、昨日のことを思い出す。

出版の約束があったり、なかったり。水道の蛇口から泡立って出て来る言葉というのは、垂れ流しの流れっぱなしで、無責任な、編集者の約束の事を言っているのでしょう。それを、ただ赤い糸が夢見られているだけだったと言っています。

両手を洗うというのも、そのような否定的な昨夜の夜のことで、汚れた自分を綺麗にするということなのでしょう。勿論、そんなひとはだれもいなくて、これから自分で靴下に図書番号をつけなければならない。この一行が、こうして第1連の第1行に反響して戻って行きます。

靴下を履いて、部屋の外へ出て、生きて行く。この詩人にとって、生きて行くとは、靴下をまづ履く事、そして詩を書いて行く事。それを、結びつけて、靴下に図書番号を付すといっているのです。

誰がわたしの肝臓を出版するのか、という一行には、酒を飲んでこんな乱痴気騒ぎをしなければならないことへの風刺です。「お前達の苦痛に満ちた灰色を」の「お前達」とは、こうしてみると、同業の詩人達のことでしょう。

しかし、そのようなと全ての代償のように、隣りに美女が眠っている。

しかし、何故わたしはこの詩がこのようによくわかるのでしょうか。多分酒を飲んで乱痴気騒ぎをするという過去の経験が、このような容易な解釈を可能にしているのだと思われます。往時茫茫。

Quasselte Bücher(見せかけの本の数々)のQuaseltという形容詞の意味を探すことができませんでした。Quasiという言葉から類推してそのような訳としましたが、ご存じの方がいれば、ご教示下さい。



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