VIII
WENIGE ihr, der einstigen Kindheit Gespielen
in den zerstreuten Gärten der Stadt:
wie wir uns fanden und uns zögernd gefielen
und, wie das Lamm mit dem redenden Blatt,
sprachen als Schweigende. Wenn wir uns einmal freuten,
keinem gehörte es. Wessen wars?
Und wie zergings unter allen den gehenden Leuten
und im Bangen des langen Jahrs.
Wagen umrollten uns fremd, vorübergezogen,
Häuser umstanden uns stark, aber unwahr, — und keines
kannte uns je. Was war wirklich im All?
Nichts. Nur die Bälle. Ihre herrlichen Bogen.
Auch nicht die Kinder... Aber manchmal trat eines,
ach ein vergehendes, unter den fallenden Ball.
(In memoriam Egon von Rilke)
【散文訳】
数少ない者たちよ、嘗ての子供時代の仲間よ
都会の、散在する公園の中で
どのようにわたしたちはお互いに発見し合い、そして、ぎこちなく、
お互いを気にいったか、
そして、話しをする葉っぱを持った子羊のように、わたしたちが
どのように沈黙する者たちとして話しをしたのかということ。わたしたちが
嘗てよろこび、楽しむたび毎に、いつも、それは誰にも帰属しなかった。それは、
誰のものだったのだ?そうして、どのようにそれは、すべての通り行く人々の中で、
そして、長年の不安の中で、壊れていったか。
馬車や車は、わたしたちの廻りを見知らぬもの(無縁のもの)として走り、通り過ぎていったし、家々は、わたしたちの廻りに強く立っていたが、しかし、真実のものではなかったし、そして、どの家もわたしたちをいつも知るものではなかった。何が実際に、現実として、宇宙の中、万有の中にあったのだろうか?
無が。何もなかったのだ。数々のボールだけがあったのだ。それらの素晴らしい軌跡があったのだ。子供たちもいなかった。しかし、時々、ひとりの子供が、ああ、過ぎ行く子供が、落ちてくるボールの下へと歩み入ったのだ。
(エーゴン・フォン・リルケの思い出の中で)
【解釈】
前の幾つかのソネットは、花と女性を歌っていますので、このソネットでは、男性を、そうして子供時代のことを思い出して、リルケは歌っています。小さいころ、きっと一緒にボール投げをして遊んだ親類の子供のことを思い出しながら、このソネットを書いたのでしょう。
「散在する公園」と訳したところは、直訳すると、撒き散らされた公園、庭園という意味になります。いかにも都会の中にある公園という感じがします。そうして、そこで知り合う子供たちの、ためらい勝ちな、ぎこちない挨拶。そうして、一緒に遊んだこと。
遊ぶこと、それは、誰にも帰属しない、だれの所有でもない、いつも喜びであったと歌われています。リルケが、子供というもの、それから子供時代というものを、特別に大切に考えていることは、悲歌でも充分歌われておりましたが、ソネットでも同様に、子供を主題にひとつのソネットを書いたということなのでしょう。
子供時代には、何が一体宇宙の中に実際に存在していたのかと問う問いの前では、車も家も真実のものではありません。何歳になっても、この問いを問うリルケがいるのだと思います。芸術とは、そのようなものではないでしょうか。あるいは、芸術家とは、そのような人間ではないでしょうか。
興味深いことは、第1部IV第2連第3行で飛び行く矢そのものを褒め称え、歌うのではなく、矢の軌跡を歌ったように、最後の連で、投げ上げられるボールそのものではなく、そのボールの描く軌跡が歌われていることです。その軌跡が素晴らしいといわれています。
この素晴らしいと訳したドイツ語は、herrlich、ヘルリッヒというのですが、これは名詞、Herr、主人、支配者、神という意味の言葉からできた形容詞で、従い主人であることの性質、支配者であることの性質、神であることの性質を意味しています。素晴らしいという訳語がもし誤解を与えるのであれば、主題が子供でないのなら、荘厳なと、場合によっては訳することができる言葉です。子供時代の遊んだボールの描く軌跡、それは荘厳なるものなのです。
この対象を歌わず、その、言ってみれば陰や影や痕跡を歌うというリルケの思考と感覚は、第2部ソネットIIの第3連にも明確に歌われていて、そこでは暖炉に燃える火、炎を見て、生の眼差し、生の視線を忘れろと歌われておりました。それならば、わたしたちは何をしたらよいのか、どのような人間であるべきなのかといえば、忘れ、喪うことを大地の喪失と捉え、理解することができること、そうして、そうであるにもかかわらず、こころを褒め称えることのできる人間であるべきだというのが、リルケの思想です。こころとは、その第3連では、全体に、すなわち万有、宇宙の中に生まれ出でるものと呼び換えられておりました。
このソネットVIIIの「話しをする葉っぱを持った子羊」については、リルケの短い自註があります。絵本の中なのか、あるいはそういう羊の絵が幾つも描かれているのでしょう。
Das Lamm (auf Bildern), das nur mittels des Spruchbandes spricht.
手元の辞書をひきながら訳すとこのようになります。
銘帯(中世の絵画に対して絵の内容を説明する言葉の帯)を使ってのみ話しをする(絵の中の)子羊。
都会の子供たちは、はにかみ屋で、直接言葉を交わすことができずに、何か他のものをつかって -それは多分何かの遊具― 一緒に意思疎通をして遊んだのでしょう。ボールはその遊具の典型的なものだったのでしょう。あるいは、都会の子供たちでなくとも、初めて会う子供同士というのは、そのようなものであったし、これからもそうでしょう。誰の経験にもあることだと思います。
「しかし、時々、ひとりの子供が、ああ、過ぎ行く子供が、落ちてくるボールの下へと歩み入ったのだ。」
この子供は、エーゴン・フォン・リルケなのでしょう、いや永遠の子供というべきかも知れません。
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