2009年12月13日日曜日

オルフェウスへのソネット(V)(第2部)

V

BLUMENMUSKEL, der der Anemone
Wiesenmorgen nach und nach erschließt,
bis in ihren Schooß das polyphone
Licht der lauten Himmel sich ergießt,
in den stillen Blütenstern gespannter
Muskel des unendlichen Empfangs,
manchmal so von Fülle übermannter,
daß der Ruhewink des Untergangs
kaum vermag die weitzurückgeschnellten
Blätterränder dir zurückzugeben:
du, Entschluß und Kraft von wieviel Welten!
Wir, Gewaltsamen, wir währen länger.
Aber wann, in welchem aller Leben,
sind wir endlich offen und Empfänger?

【散文訳】
花の筋繊維、それは、アネモネの草原の朝を次第に開く
その子宮の中へと、響く天の多声音楽的な光がみづからを注ぎ込むまで
すなわち、果てしない受容の、張りつめた筋繊維の、静かな花芯の星の中へと入るまで。
花の筋繊維は、時には、充溢で一杯になり、もっと圧倒され、打ち負かされて、
下へ向かえという没落の合図、静かな合図(あるいは、静かにせよという合図)が、
遠くまで行ってそこから撥(は)ね返される葉という葉の縁(へり)をお前に返すことがほとんどできないほどだ、お前、どれほどたくさんの世界の決心と力であるものよ
わたしたち、暴力的で無法なものたちは、(アネモネの花よりも)より長く存続するだろう。
しかし、いつ、すべての生活のどの生活において、わたしたちは、ついに、開いており、且つ受け容れるものであるか?

【解釈】
冒頭に出てくる、Blumenmuskel、ブルーメン・ムスケルという言葉は、ドイツ語をそのまま直訳すると、花の筋肉というのである。しかし、この無粋な訳語はないであろう。試しに、Googleの画像検索でこの言葉を検索すると、ヒットした数はたった47件、文字の検索で727件。いづれも、やはり、リルケのこの詩が検索されて、この言葉そのものが、リルケのこのソネットの言葉で、一般的な言葉ではないし、専門の言葉でもないのだということがわかる。画像としてみようとしても、やはり花の画像としては出てこない。ただ、それを思わせるデザインの、放射状の梁の走った何かの天井の写真をみることができた。

しかし、他に言いようもないのだと思う。この言葉は、花びらの根元にある肉厚の、内側と外側の部分で、そこに走っている、花びらの開閉を支え、維持する筋(きん)繊維部分を言っているのだ。それは、詩からも明らかだと思う。花の筋肉ということばは、いささか抵抗があったので、花の筋繊維という訳語をあてました。

一寸話しが横道に入りますが、Google検索をすると、リルケのこのオルフェウスへのソネットからいくつかのソネットを歌曲にしたてた作曲家がいて、ちなみに、それは、次のようなことになっています。無料体験でこれらの曲を聴くことができました(http://ml.naxos.jp/album/BCD9178

リーバーソン:リルケ歌曲集/6つの王国/ホルン協奏曲(リーバーソン/ピーター・ゼルキン/パーヴィス)

作曲されているソネットは、次のソネットです。既にこれまで読んだソネットもありますし、これから読むソネットもあります。

No. 1. O ihr Zartlichen(第1部ソネットIV:おお、柔らかき者たちよ)
No. 2. Atmen, du unsichtbares Gedicht(第2部ソネットI:呼吸せよ、お前、眼に見えぬ詩よ)
No.3. Wolle die Wandlung(第2部ソネットXII:変身を求めよ)
No. 4. Blumenmuskel, der der Anemone(第2部ソネットV:花の筋繊維、それがアネモネの)
No.5. Stiller Freund(第2部ソネットXXIX:静かなる友よ)

さて、性愛を歌うリルケの常で、アネモネという花を歌っている第1連、第2連、第3連は、すべて、冒頭の花の筋繊維という名詞にかかっているだけで構成されています。なんという構成でしょう。

「下へ向かえという没落の合図、静かな合図(あるいは、静かにせよという合図)」と註釈的に訳したところは、花びらが反り返って下に行くという意味と、没落するという意味が掛け合わされているのではないかと思い、そう訳しました。何か、そのような女性の姿態を想像せしむるものがあります。静かにせよという合図というのも、エロティックに響きます。

このアネモネは、ドイツ名では、Windroeschen、直訳すれば、風薔薇、風の小さい可愛らしい薔薇という名前で、リルケは薔薇に似た形状の花を愛したのでしょう。

それは、花びらが幾重にも深く重なっているからで、その筋繊維を「どれほどたくさんの世界の決心と力であるもの」と呼んでいます。花びらの一枚一枚が、それから花びらと花びらの構成する空間が、それぞれひとつの世界だといっているのです。それらの決意と力であるものが、Blumenmuskel、ブルーメン・ムスケル、花の筋繊維なのです。

最後の連は、いうまでもなく、アネモネと人間を対比させて、わたしたち人間が、アネモネの花ほど、開いていて、受容するものであるかと問うています。リルケにとって、開いているとは、前のソネットで書いたように、外側を知っているということ、永遠に向かって、普通名詞としての神に向かって、開かれているということです。しかし、ここでは、このように註解しないことの方が正しいことだと思います。この詩のエロティックなものを生かすために。

そうしてみると、最後の、「わたしたち、暴力的で無法なものたち」というのは、男たちのことをいっているのではないでしょうか。

リルケは、そう意識したのではないでしょうか。それゆえ、次のソネットは、薔薇が歌われており、それを君臨する女性、女王として歌い始めます。恰も男性と均衡を保たせむかの如くに。

1 件のコメント:

Rachel さんのコメント...

Einen wundervollen 1. Weihnachtsfeiertag wünsche ich dir von Herzen.

Ja, natürlich kannst du mein Gedicht "Wunsch" ins Japanische auf deinen Blog bringen, ich freue mich doch sehr, wenn meine Gedanken weiter getragen werden, wenn sie gefallen...

Liebe Grüße, Rachel