2009年12月28日月曜日

ツィンマー家の人々にお世話になって

An Zimmern

Von einem Menschen sag ich, wenn der ist gut

Und weise, was bedarf er? Ist irgend eins,

Das einer Seele gnüget? ist ein Halm, ist

Eine gereifteste Reb auf Erden

Gewachsen, die ihn nähre? Der Sinn ist des

Also. Ein Freund ist oft die Geliebte, viel

Die Kunst. O Teurer, dir sag ich die Wahrheit.

Dädalus Geist und des Walds ist deiner.

【散文訳】

ツィンマー家の人々にお世話になって

ひとりの人間について、わたしが何かをいうとして、

その人が善良で、聡明な人であったならば、その人に

何が不足することがあろうか。一個の魂を満足させる

何かがあるだろうか?一本の藁だろうか、いや、その人を養う

地上で最も熟した葡萄が成長したのだろうか?その意味は、こうだ。

つまり、一人の友人が、よく愛する女性であることがあり、非常に

多くの場合、その女性とは芸術である。おお、親愛なる人よ、お前に

わたしは真実を言はう。デーダルスの精神と森の精神とは、お前の精神のことだ。

【解釈】

ヘルダーリンは、同じ題名で、幾つかの詩を書いている。これは、そのふたつ目の詩です。

取り上げている詩は、それからこれから取り上げる詩も、みな、ヘルダーリンが狂気に落ちてからの期間、34歳から73歳までに書かれた詩です。

この詩も、独白というべき詩だと思う。親愛なる人に呼びかけている。孤独に陥ると、誰かに呼びかけなければ、文を歌い、書くことができなくなるのだ。その最たる誰かとは、もうひとりの私のことだろう。そのような、三人称としての私、二人称としての私がいるとして。いるだろう。

2連で、友人として愛する女性に譬えられているのは芸術であるが、それは、同時にドイツ語で、芸術が女性名詞であるから、その譬えが生きている。

この詩を書いているヘルダーリンの思考の速度は性急だ。ヘルダーリンと一緒に文字を読んでいて、そう、思う。

デーダルスとは、辞書によれば、ギリシャの伝説的な名匠の名前で、クレタ島に迷宮を造った匠である。

ヘルダーリンという人は、自分自身にとっての人間の理想像を創造しようとした人だということがわかる。一人の人物を、ヴィジョンを以って、造形することは、詩人の使命であり、詩人はそれを成し遂げるものだ。これは、リルケの詩を読んで、教わったこと。しかし、真の芸術家ならば、このことをするだろう。

また、「デーダルスの精神と森の精神」とは、お前の精神だと、目に見えない相手、自分自身の創造している相手に向かって言っているが、これはどのような精神であろうか。

迷宮も森も、ひとが踏み迷う場所だが、それを厭わぬものが、精神だというのだろうか。しかし、デーダルスが迷宮の設計者であれば、そのような複雑怪奇な世界の創造者であもあるとも言っているのだろう。森をも又創造する精神であれ。複雑で豊かな世界の創造者の精神と言っているように聞こえる。そうであれば、そのような精神とは、非常に単純な思考形式を持った精神だという気が、わたしには、する。それで、気が狂ったのだろうか。

翻って、第1連を読めば、そのような人間、善良で聡明な人間である、そのような精神は、一本の藁でも養われると言っている。そのような精神にとっては、一本の藁でも、成熟しきった葡萄と同じだといっている。それが友であり、即ち、愛する女性であり、更に即ち、芸術であると。ヘルダーリンは、そういっている。

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