2009年12月1日火曜日

詩は開かれているか?

リルケの詩、オルフェウスへのソネットを読んで、ふとこんな文句が浮かんだ。

リルケは、開かれているということを大切に言っている。そのような存在は、動物であり、また花である。

花は、リルケの場合、いつも女性という性と分かち難く表象され、歌われるので、それは受け容れるということと同義なのである。非常にエロティックな歌い方を、女性と花と開かれているという3つの言葉の組み合わせでは、している。

この問いは、何を意味するのだろうか。

そうして、それは、誰に対して、あるいは何に対して開かれているのだろうか。

開かれているとは、どういうことだろうか。

リルケの詩は、開かれている筈である。

それは、どのような詩だというのであろうか。

(この問いは、リルケの詩、または一般的に詩というものの内にあるものを、外に展開する問いだと思う。歌っている対象そのものが、詩作品の批評になっているという意味で、そう思うのです。)

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