2014年9月15日月曜日

Rudolf Borchardt(1877〜1945)の詩を読む

詩を読む:Rudolf Borchardt

この詩人についての詩を読んでみたい。Pause、休憩、休止という題名の詩。
これは1907年に書かれた。

Fritz Martiniのドイツ文学史(Deutsche Literaturgeschichte)を読むと、1900年頃の叙情詩を代表するドイツの詩人達のうちのひとり。ホフマンスタール、ゲオルゲ、リルケの次に、名前の挙げられる詩人。1877年生まれ、1945年没。ダンテの神曲をドイツ語に訳した翻訳者、中世の詩の翻訳者。ゲオルゲの詩のサークルに入っていたが、後にゲオルゲのサークルの持つ詩形式の技工・技術上の理由から、サークルを追われる。叙情詩人であり、エッセイストでもある。ホフマンスタールの重要なる同行者。

また、Wikipediaのドイツ語版によれば、この詩人は、次のような詩人である。

1877年6月9日ケーニヒスブルグ生まれ、1945年1月10日チロルなるシュタイナーハの近隣Trinsにて没す。その言語の力を以て、しかしまた自ら選択した結果として、その弧絶の故に、20世紀の詩人達のうちにあっては、孤独者として終始した。東プロイセンのユダヤ人の商人の息子。ボンとゲッティンゲンにてギリシャ・ローマの古典学を学び、その研究の印影あり。またゲオルゲとホフマンスタールの詩を通じても影響を受ける。旅と危機の年月を閲した後、1903年以来トスカーナに定住、この巨匠的な叙情詩人は、古代ヨーロッパの伝承・伝統の宇宙に関する包括的なビジョンを展開する。中心にあるのは、古代とダンテであり、この詩人においては、このふたつが同格の位置を占める。後者の神曲を、何十年もかけて、独自のドイツ語に訳す。

記述の全体を読むと、19世紀末のヨーロッパを忌避し、古典古代のヨーロッパに範を求め,憧れたひとのようである。当時のヨーロッパを破壊することを考え、それ故に、政治的には保守的であり、第1次世界大戦時にも戦争に賛意を表し、第2時世界大戦時には独伊のファシズムの支持者となった。しかし、古典古代のヨーロッパの賛美者ということから生ずる、その時代的な詩人としての矛盾をみると、それは包囲された要塞に喩えられる。詩人自身の好んだいいかたによれば、“コーナーに追い詰められている”。ここで、アドルノによる言葉を日本語でいえば、一筋縄ではいかない詩人ということだろう。

このような詩人についての意識と経歴をみると、訳は次のようになるだろう。呼び掛けの対象は、ざわめく音ではなく、古代の精神というものであろうか。題のpauseは、こうして読んでみると休憩ではなく、音楽の休止という訳になるのだろう。詩中にでてくるTonの縁語ゆえ。休止の中で聞く音は苦痛だ。普通に音の進行の中でこそそのTonを聞きたいのに。


Pause

Hinter den tiefsten Erinnerungen
Verwaechst die Zeit;
Die alten Wege waren frei und breit.
Nun hat die Welt sie ueberdrungen.
"O Rauschen tief in mir,
Was aber hast du, das ich gerne hoerte?
Ist denn ein Ton in dir,
Der mich nicht stoerte?"
"Ich habe nichts als Rauschen,
Kein Deutliches erwarte dir;
Sei dir am Schmerz genug, in dich zu lauschen."

(Gedichte. Textkritisch revidierte Neuedition der Ausgabe von 1957. Hrsg. von Gerhard Schuster und Lars Korten. Stuttgart: Klett-Cotta 2003 S. 39)

[訳]
最も深い数々の記憶の背後で(そのような記憶と正面から向き合わずに)
今の時代は歪んで成長する;
古代の道々は、自由で広かった
ところが、今や、世界はそのような道々をなぎたおしてしまった。
“ああ、我が身の内に、深くざわめきの音をたてよ、その音よ
わたしが好んできいたもの(その音)を、お前はどうしたのだ
わたしの邪魔をしなかった(聞いてここちよかった)音(トーン、しらべ)がお前の中に一体今はあるのだろうか“とお前に尋ねると
 “わたしは、ざわめきの音以外には何ももってはいない
明瞭なざわめきの音などというものはなく、そんな音はあったとしてもお前のことなど考えてもいない;
お前の中にそっと聞き耳をたてて、そのことだけで十分に生れる苦痛を味わうがいい。“とお前は答える。



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