2014年9月20日土曜日

【Eichendorfの詩83】Zweifel(疑心)


Eichendorfの詩83Zweifel(疑心) 
  

【原文】

Könnt es jemals denn verblühen,
Dieses Glänzen, dieses Licht,
Das durch Arbeit, Sorgen, Mühen
Wie der Tag durch Wolken bricht,
Blumen, die so farbig glühen,
Um das öde Leben flicht?

Golden sind des Himmels Säume,
Abwärts ziehen Furcht und Nacht,
Rüstig rauschen Ström und Bäume
Und die heitere Runde lacht,
Ach, das sind nicht leere Träume,
Was im Busen da erwacht!

Bunt verschlingen sich die Gänge,
Tost die Menge her und hin,
Schallen zwischendrein Gesänge,
Die durchs Ganze golden ziehn,
Still begegnet im Gedränge
Dir des Lebens ernster Sinn.

Und das Herz denkt sich verloren,
Besser andrer Tun und Wust,
Fühlt sich wieder dann erkoren,
Ewig einsam doch die Brust.
O des Wechsels, o des Toren,
O der Schmerzen, o der Lust!


【散文訳】

いつか、それでは、凋(しぼ)んでしまうのだろうか
この輝き、この光は
労苦と、心配と、努力を通って
日が雲々の間を通って破るように、破るこの光輝は
花々、かくも色彩豊かに輝く花々を
荒涼たる人生を巡って編む、この光輝は?

黄金色をしているのは、天の縁飾りであり
下方に向うのは、恐怖と夜であり
敏捷にさやけく音立てるのは、河の流れと木々であり
そして、明朗な一座は笑い声を立て
ああ、これらは、空しい夢ではない
胸の中に、ほら、目覚めるものなのだ!

色彩豊かに縺(もつ)れ絡(から)み合うのは、歩行であり
有象無象どもは、あちらへこちらへと、(波風のように)立ち騒ぐ
その間へと鳴り響くのは、歌の数々であり
それらは、全体を通って、黄金色をして往き
静かに、群衆の押し合いへし合いの中でお前に出逢うのは
生の真剣な意義だ。

そして、こころは、自らの身には、考えることを喪(うしな)い
よりよくは、他の者達の身には、その行いと塵埃のことを考える
再び、すると選ばれたと感じて
永遠に孤独に、しかし、胸はあるのだ
おお、その変転の、おおその愚か者の
おお、その苦しみの、おおその悦びの(胸は)!


【解釈と鑑賞】

第2連にあるように、わたしの読む限り、すぐれた詩人はどの詩人も、この「縁飾り」或いは飾り縁(ふち)を歌います。それから、必ずと言っていいほど、庭を歌います。そして、母屋は歌わない。ここに、詩人の言葉の秘密があると、わたしは思っています。この秘密は、わたしにとっては、謎ではありません。もう十分によく知った論理と感情です。詳しく論ずることがあるでしょう。

第2連の、森の中か自然の中で、笑い声を立てる「明朗な一座」は、人間ではなくこの連に歌われた河や、樹木やらの、いつものアイヒェンドルフの詩におなじみの一座です。

さて、アイヒェンドルフも、第2連にそのようにある縁飾りの自己が、世俗の塵埃の中でどのようにあるかを第3連で、そうして、その詩人のその胸が、世間のものたちとの関係ではどのようであるのかを、そして自分自身は何であり、何の苦しみであるのかを、第4連で歌っております。

かうして考えて来てから、最初の連を読み返しますと、一度目に読んだときには、何か弱々しい感情と思ったものが、何か強い感情に変じ、反語的な疑問文であることに気付きます。

疑心は、疑心ではなかったということです。


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