【Eichendorfの詩85】Glückliche Fahrt (幸福な旅)
【原文】
Wünsche sich mit Wünschen schlagen,
Und die Gier wird nie gestillt.
Wer ist in dem wüsten Jagen
Da der Jaeger, wer das Wild?
Selig, wer es fromm mag wagen,
Durch das Treiben dumpf und wild
In der festen Brust zu tragen
Heil’ger Schoenheit hohes Bild!
Sieh, da brechen tausend Quellen
Durch die felsenharte Welt,
Und zum Strome wird ihr Schwellen,
Der melodisch steigt und fällt.
Ringsum sich die Fernen hellten,
Gottes Hauch die Segel schwellt―
Rettend spülen sich die Wellen
In des Herzens stille Welt.
【散文訳】
数々の願いで、我が身を打擲することを願い
そして、この渇望は、決して鎮まることがない。
誰が、この荒涼たる狩りにおいて
するとほら直ぐに、狩人だというのか、野生の動物(獲物)とは誰の事だ?
神聖なのだ、敬虔に敢えて危険を冒す者は
この衝動、衝迫を通じて、鈍く、そして野生の者として
堅い胸の中に運んでいるという危険を
神聖なる美の高潔なる像を運んでいるという危険を!
見よ、すると途端に幾千もの泉が迸(ほとばし)る
巌の固さの世間を穿(うが)って
そして、嵐に、その泉が膨れ上がって成り
嵐は、旋律を奏でて登り、そして落ちる。
周囲には、数々の距離が、明るく輝いていた
神の吐息が、鏡を膨らませ、高める―
大波が、洗い、救済しながら
心臓(こころ)の中の静かな世界で
【解釈と鑑賞】
自らを狩人に譬えている詩です。それも世間からの通俗的な狩人の像を否定して、詩人としての像を打ち立てています。
その衝動を神聖な衝動と呼び、美の像を胸中に運ぶものという詩人の形象は、他の詩とともに、変わりません。
第2連は、その詩人の胸中の出来事でありましょう。しかし、大切なことは、最後の一行にある通りに、それは「心臓(こころ)の中の静かな世界で」起きているということなのです。
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