2014年9月13日土曜日

【西東詩集85】 Suleika


【西東詩集85】 Suleika


【原文】

Suleika

NIMMER will ich dich verlieren!
Liebe gibt der Liebe Kraft.
Magst du meine Jugend zieren
Mir gewaltiger Leidenschaft.
Ach! wie shmeichelts meinem Triebe
Wenn man meinen Dichter preist:
Denn das Leben ist die Liebe,
Und des Lebens Leben Geist.

LASS deinen süßen Rubinenmund
Zudringlichkeiten nicht verfluchen,
Was hat Liebesschmerz andern Grund
Als seine Heilung zu suchen.

BIST du von deiner Geliebten getrennt
Wie Orient vom Okzident,
Das Herz durch alle Wüste rennt;
Es gibt sich überall selbst das Geleit,
Für Liebende ist Bagdads nicht weit.

MAG sie sich immer ergänzen
Eure brüchige Welt in sich!
Diese klaren Augen sie glänzen,
Dieses Herz es schlägt für mich!

O! DASS der Sinnen doch so viele sind!
Verwirrung bringen sie ins Glück herein.
Wenn ich dich sehe wünsche ich taub zu sein,
Wenn ich dich höre blind.

AUCH in der Ferne dir so nah!
Und unerwartet kommt die Qual.
Da hoer ich wieder dich einmal,
Auf einmal bist du wieder da!

WIE sollt’ ich heiter bleiben
Entfernt von Tag und Licht?
Nun aber will ich schreiben
Und trinken mag ich nicht.

Wenn sie mich an sich lockte
War Rede nicht im Brauch,
Und wie die Zunge stockte
So stockt die Feder auch.

Nur zu! geliebter Schenke,
Den Becher fuelle still.
Ich sage nur: Gedenke!
Schon weiss man was ich will.

WENN ich dein gedenke,
Fragt mich gleich der Schenke:
》Herr! warum so still?
Da von deinen Lehren
Immer weiter hören
Saki gerne will.《

Wenn ich mich vergesse
Unter der Zypresse
Hält er nichts davon,
Und im stillen Kreise
Bin ich doch so weise,
Klug wie Salomon.



【散文訳】

ズーライカ

決して、わたしはお前を失いはしない!
愛は、愛に力を与えるものだ。
お前が私の青春を飾ってくれますように
わたしに、この激しい情熱のために。
ああ!世間が、わたしの詩人を次のように云って賞賛すると
それが、どんなにわたしの衝動をくすぐることか:
何故なら、生命は、人生は、愛だからだ
そして、生命の生命は、精神だからだ、と。

お前の甘い紅玉の唇に
押し付けがましいことを呪はせぬようにしなさい
愛の苦痛に、その治癒を探す以外の
別の理由があるだろうか。

お前が、お前の愛する者(女性)と分たれるならば
丁度東洋と西洋のように
心臓は、総ての荒野を通り抜けて走るだろう
至る所に、護衛者さへもが居るのだ。
愛する者にとって、バグダッドは、遠くはないのだ。

彼女がいつも修繕することを願う
お前達の綻(ほころ)んだ世界を、自らの内で!
この澄んだ眼が、彼女を輝かせ
この心臓が、わたしのために脈打つのだ。

おお!感覚の、これほど多くの感覚のあることよ!
混乱を、感覚は、幸福の中へと持ち込む。
もしわたしが、お前を見るならば、わたしは聾(つんぼ)でありたい
もしわたしが、お前の声を聞くならば、わたしは目暗(めくら)でありたい。

遠くにあっても、お前はかくも近いのだ!
そして、思いがけずに、苦しみがやって来る。
すると、わたしは再びお前の声をもう一度聞くのだ
突然に、お前は、再びここに居るのだ!

わたしは、どのように明朗であり続けるべきなのであろうか
昼と光から遠く離れて?
しかし、こうしてみると、わたしは書きたいと思う
そして、わたしは酒を飲みたくはない。

彼女がわたしを誘惑して、その胸に抱いてくれるたびに
議論は必要がなかったし、
そして、舌がもつれれば
筆もまたもつれる。

ただ注ぐのだ!愛する酌人よ
杯を、静かに満たせよ。
わたしはただかく云うのみ:思い出せ!
既に、わたしが何をしたいのかを世間は知っている。

もしわたしがお前を覚えているならば
直ちに、酌人は、わたしに尋ねるのだ:
旦那!何故そんなに静かなんだい?
あんたの教えについて
もっともっと聞きたいと
サーキー(水運び)は云っているよ。

もしわたしがわたしを忘れるならば
あの糸杉の樹の下で
酌人は何とも思わない
そして、静かな円環の中で
わたしは、なんと言っても、このように智慧があり
ソロモンのように賢いのだ。


【解釈と鑑賞】

題名はズーライカとありますが、詩を読むと、ズーライカが歌うのではなく、これはハーテムが、いやゲーテが、この女性を歌った詩だということがわかります。

解釈無用の、実によい詩だと思います。

最後の連の、静かな円環の中で、わたしがそのようであるという行は、いいものです。円環という言葉の意味は、深いでしょう。そうして、静かなという形容詞の意味もまた。何故ならば、この静かな円環は、この連の第一行にあるように、自己の忘却によって生まれているからです。

ゲーテもまた、藝術を言葉で産み出すときの機微とその真理をよく知っていたのです。



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