2014年9月23日火曜日

【Eichendorfの詩84】Dichterglück (詩人の幸福)


Eichendorfの詩84Dichterglück (詩人の幸福) 
  

【原文】

O Welt, bin dein Kind nicht von Hause,
Du hast mir nichts geschenkt,
So hab ich denn frisch meine Klause
In Morgenrot mir versenkt.

Fortuna, streif nur die Höhen
Und wende dein Angesicht,
Ich bleibe im Wald bei den Rehen,
Flieg zu, wir brauchen dich nicht.

Und ob auf Höhn und im Grunde
Kein Streifchen auch meine blieb,
Ich segne dich, schöne Runde,
Ich habe dich dennoch so lieb!


【散文訳】

おお、世界よ、わたしは、生来お前の子供ではない
お前は、わたしに何も贈らなかった
だから、そうなると、わたしは新鮮に、わたしの庵室を
燭光の中で、自分自身の許で沈めたのだ。

幸運の女神よ、ただ高みのみを巡察するがよい
そして、お前の顔を向こうに向けるがよい
わたしは、森の中に、野呂鹿の許に留まる
飛んで行くがよい、わたしたちはお前を必要としない。

そして、高みであれ、そして地の底であれ
どんな巡察も、わたしの巡察ではなかった
わたしは、お前を祝福する、美しい円環よ
わたしは、お前を、それでも、かくも愛しているのだ!


【解釈と鑑賞】

この詩の題を「詩人の幸福」と訳しましたが、ドイツ語は、詩人と幸福が一語になった造語ですから、ひとつの意味は、詩人の所有する幸福という意味もあれば、詩人の与える幸福という意味にもなります。

この詩を読むと、解釈は、前者です。

この詩の最初の一行の、おお世界よと呼びかけるこの出だしをみると、やはりアイヒェンドルフは、中世の感覚を活き活きとその身内に持っていることがわかります。

So hab ich denn frisch meine Klause
In Morgenrot mir versenkt.
だから、そうなると、わたしは新鮮に、わたしの庵室を
燭光の中に、自分自身の許で沈めたのだ。

とある箇所は、多分ドイツ語の原文の誤植ではないかと推察します。原文は、

So hab ich denn frisch meine Klause
In Morgenrot mir verschenkt.
だから、そうなると、わたしは新鮮に、わたしの庵室を
燭光の中で、自分自身に贈ったのだ。

というのであれば、詩の題名とも、詩の全体やこの連の脈絡とも一致するのです。


最後の連で「美しい円環」と呼ばれているのは、詩であり、詩の世界のことでありましょう。

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