2013年12月9日月曜日

【Eichendorfの詩 51】Der Unverbesserliche(頑固者)

【Eichendorfの詩 51】Der Unverbesserliche(頑固者)

【原文】

            Der Unverbesserliche
      
Ihr habt den Vogel gefangen,
Der war so frank und frei,
Nun ist ihm's Fliegen vergangen,
Der Sommer ist lange vorbei.

Es liegen wohl Federn neben
Und unter und über mir,
Sie können mich alle nicht heben
Aus diesem Meer von Papier

Papier! wie hör ich dich schreien,
Da alles die Federn schwenkt
In langen, emsigen Reihen―
So wird der Staat nun gelenkt.

Mein Fenster am Pulte steht offen,
Der Sonnenschein schweift uebers Dach,
Da wird so uraltes Hoffen
Und Wünschen im Herzen wach.

Die lustigen Kameraden,
Lerchen, Quellen und Wald,
Sie rauschen schon wieder und laden:
Geselle, kommst du nicht bald?

Und wie ich durch die Gardinen
Hinaussah in keckem Mut,
Da hört ich lachen im Grünen,
Ich kannte das Stimmlein recht gut.

Und wie ich hinaustrat zur Schwelle,
Da blühten die Bäume schon all
Und Liebchen, so fruehlingshelle,
Sass drunter beim Vogelschall.

Und eh wir uns beide besannen,
Da wiehert' das Fluegelross―
Wir flogen selbander von dannnen,
Dass es unten die Schreiber verdross.


【散文訳】

      頑固者

お前達が、その鳥を捕らえたのだ
その鳥は、かくも大いに自由であった
さてこそ今は、飛ぶことも失われた
夏が、とっくの昔に過ぎてしまっていたのだ。

羽根が、わたしの傍(そば)に落ちている
そして、わたしの下にも上には
羽根たちは、みな、わたしを高く掲げることができない
この書類の海の中から

書類だ!と、わたしは、お前(鳥)が叫んでいる声を聞く
すべてが羽根を振り廻すのだから
長い、勤勉な列をなしてー
そのように、国家が操縦されているのだ。

斜面机の傍のわたしの窓が開いたままになっている
太陽の光が、屋根を渡って遊弋している
そこには、かくも古代の願いが
そして、望みが心臓の中で目覚めている。

陽気な同志達が、
雲雀が、泉が、そして森が
既にまたさやさやと音を立てていて、そして招待するのだ:
仲間よ、お前はぢきに来ないのか?(来ればいいのに)

そして、わたしが、カーテンを通して
思い切って、その向こうを見遣ると
そこに、緑の中で笑い声が聞こえ
わたしは、その可愛らしい声を本当によく知っていたのだ。

そして、わたしが閾を跨いで出ると
そこには、木々が既にすっかりと花咲き
そして、愛する人が、かくも春の明るさを以て
その下に、鳥の響く場所に、坐っていたのだ。

そして、わたしたち二人が互いに気付く前に
翼のある馬が嘶(いなな)いてー
わたしたちは、自分と二人で、そこから飛ぶ去って
その馬は、下界にいる書記達を不機嫌にしたのだ。


【解釈と鑑賞】

詩の題名のドイツ語、Der Unverbesserlicheという本来の意味は、そのまま訳せば、決して、そもそもより良くならない者という意味です。

わたしは頑固者と訳しましたが、あるいは、上の原義から、落ちる所まで落ちた者という訳もあるかも知れません。

この題といい、詩の内容といい、前にある巴旦杏の種という詩に連なる詩です。

城も領地も失った自分を一羽の鳥に譬えています。夏は終わったのです。

そして、煩雑極まりない書類の事務が待っていたのでしょう。役所で長い列をつくって、勤勉に順番を待っている、それが国家の事務処理というものだ。

しかし、第4連から、いつものアイヒェンドルフらしく、窓の外、森の中に鳥が囀り、樹木の下には恋人もいて、そのこころの中に生命が湧き上がって来ます。

斜面机と訳したPultという机は、日本にはありません。わたしはヴァイマールのゲーテの家を訪ねて、ゲーテの使った斜面机を見たことがあります。インターネットで見つけたこれは、モダンなプルトです。










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