【西東詩集53-8】 Buch des Unmuts(不満の書)
【原文】
HAB' ich euch denn je geraten
Wie ihr Kriege führen solltet?
Schalt ich euch, nach euren Taten,
Wenn ihr Friede schliessen wolltet?
Und so hab' ich auch den Fischer
Ruhig sehen Netze werfen,
Brauchte dem gewandten Tischler
Winkelmass nicht einzuschärfen.
Aber ihr wollt' besser wissen
Was ich weiss, der ich bedachte
Was Nature, für mich beflissen,
Schon zu meinem Eigen machte.
Fühlt ihr auch dergleichen Stärke?
Nun, so foerdert eure Sachen!
Seht ihr aber meine Werke,
Lernet erst: so wollt Ers machen.
【散文訳】
そのとき、お前達に一度助言をしたことがある
どうやって、お前達は戦争を指揮すべきなのかを
わたしがお前達に、お前達の行いに応じて
命令するぞ
お前達が講和を結びたいと思っているならば
そして、わたしは実際また漁師が
何ということもなく、そのまま普通に、網を投げているのをみた
わたしは、腕のいい指物師に
角の寸法を厳しく命じる必要はなかった。
しかし、お前達は、もっとよく知りたいのだといった
わたしの知っていることを、このわたしが考えた
自然とは何かということを、わたしのために勤勉に。
お前達は、実際またそのような強さを感じているのか?
さて、そうならば、お前達のことの促進をこそ図るがよい!
お前達が、それでも、わたしの作品を見るというのならば
真剣に学ぶがいい:そうしたら、彼もそれをなしたいと思うだろう。
【解釈】
第2連のTischerは、Tischler(指物師)の誤植だと思いますので、そのように訳しました。
市井、平民の漁師や指物師の幸せと普通の生活の優れたところをいい、他方対照的に、賢しらな、愚かで、瓦落多(がらくた)のどうしようもない、一見頭のよいとうぬぼれているような輩どもを嗤った詩です。
今の日本にも充分過ぎる位に通じている詩です。
彼もそれをなしたいと思うだろうと訳した最後の一行は、
er(彼は)が小文字なので、前に受ける名詞がありません。
大文字ならば神ですが、ここでは何か誰か、この詩を書いたゲーテの近辺、近傍にいるひとならだれもあああの人かと知っている人がいるのだと解して、文字通りに訳しました。違っているかも知れません。
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