2013年12月22日日曜日

【西東詩集54】 Wanderers Gemuetsruhe(旅人の平安)


【西東詩集54】 Wanderers Gemuetsruhe(旅人の平安)


【原文】

UEBER Niedertraechtige
Niemand sich beklage;
Denn es ist das Mächtige,
Was man dir auch sage.

In dem Schlechten waltet es
Sich zu Hochgewinne,
Und mit Rechtem schaltet es
Ganz nach seinem Sinne.

Wandrer!ーGegen solche Not
Wolltest du dich sträuben?
Wirbelwind und trocknen Kot
Lass sie drehn und staeuben.

WER wird von der Welt verlangen
Was sie selbst vermisst und träumet,
Rückwärts oder seitwärts blickend
Stets den Tag des Tags versaeumet?
Ihr Bemühen, ihr guter Wille
Hinkt nur nach dem raschen Leben,
Und was du vor Jahren brauchtest,
Möchte sie dir heute geben.

SICH selbst zu loben ist ein Fehler,
Doch jeder tust der etwas Gutes tut;
Und ist er dann in Worten kein Verhehler,
Das Gute bleibt doch immer gut.

Lasst doch, ihr Narren, doch die Freude
Dem Weisen, der sich weise hält,
Dass er, ein Narr wie ihr, vergeude
Den abgeschmackten Dank der Welt.

GLAUBST du denn von Mund zu Ohr
Sei ein redlicher Gewinnst?
Ueberliefrung, o! du Tor!
Ist auch wohl ein Hirngespinst.
Nun geht erste das Urteil an.
Dich vermag aus Glaubensketten
Der Verstand allein zu retten,
Dem du schon Verzicht getan.

UND wer franzet oder brietet,
Italiener oder deutschet,
Einer will nur wie der andre
Was die Eigenliebe heischet.

Denn es ist kein Anerkennen,
Weder vieler, noch des einen,
Wenn es nicht am Tage fördert
Wo man selbst was möchte scheinen.

Morgen habe denn das Rechte
Seine Freunde wohlgesinnet,
Wenn nur heute noch das Schlechte
Vollen Platz und Gunst gewinnet.

Wer nicht von dreitausend Jahren
Sich weiss Rechenschaft zu geben,
Bleib' im Dunkeln unerfahren,
Mag von Tag zu Tage leben.

SONST wenn man den heiligen Koran zitierte
nannte man die Sure, den Vers dazu,
Und jeder Moslem, wie sich's gebührte,
Fühlte sein Gewissen in Respekt und Ruh.
Die neuen Derwische wissens nicht besser,
Sie schwatzen das Alte, das Neue dazu.
Die Verwirrung wird täglich größer,
O! heiliger koran! O! ewige Ruh!


【散文訳】

卑劣で恥ずべきものについては
だれも嘆く事はないと人は言う
何故ならば、ひとがお前に実際いうところのこと、それが
権力であるからだ。

劣悪なるものにあっては、高価な褒美に応じて支配され
そして、正しいものについては、
全くその精神に従って、支配されている。

旅人よ!―そのような困難に対して
お前は羽根を逆立てるように反抗するつもりなのか?
渦を巻く風と乾いた汚物
これらを廻すままにさせ、そして塵埃(ちりほこり)を立てるままにせよ。

世界に、世界自身がその不在を恋しがり、そして夢見るものを
要求する者は
背後を見、または横を見ながら
常に、一日というものの昼間を逸するのではないだろうか?
お前達の努力、お前達の善なる意志は
忙しい人生に後をただ追って、びっこをひいて歩いてついてゆく
そして、お前が、これからの何年もの年月を前にして必要とするものを
世界は、お前に今日与えるかも知れない。

自分自身を褒めるということは、間違いだ。
しかし、何か善事をなすと誰もがそれをする;
そして、次に言葉で、隠すことができないのだ
善きものは、いつまでも善きものだというのに。

止めるのだ、お前たち愚か者よ、喜びを
自分自身を賢明に持する賢者に任せるのだ
賢者が、お前達のような愚者として、
世間の没趣味の感謝を蕩尽するという喜びを。

お前は、それでは、誠実に獲得した獲物が
口から耳へと伝えられると思うのか?
伝承などとは、ああ!、お前愚かな者よ!
伝承とは、もうこれは間違いなく脳味噌の紡(つむ)いだものなのだ。
こうしてやっと、判断が始まる。
お前を、あれこれの思いの鎖から解き放って
悟性(理解)だけが、お前を救助することができるのだ。
その悟性に、お前は既に放棄を行ったのだが。

そして、フランス人をしようが、イギリス人をしようが
イタリア人であろうと、またドイツ人であろうと
ある者は、他の者とただただ同様に
利己的な自己愛の要求することを欲するのだ。

何故ならば、人が自分自身で一寸でも光りたいと思う場所で
もし昼間にそれを促進することがないならば
多くの人々の承認も、一人の人の承認もないからである。

もし今日だけまだ悪い事が
全面的に場所を占め、そして恵みも獲得しているならば
それならば、正しいことには明日があると
その友達たちは、よく熟慮したのだ。

三千年の時間の弁明のできない者は
暗闇の中に留まって、だれにも知られることなく居るがいい
そうして毎日毎日生きるがいいのだ。

そうでなければ、神聖なるコーランを引用するたびに
人は、章節の名前を挙げ、それに対する詩篇を挙げた
そして、どのモスリムも、相応しいやり方で
その良心が尊敬と平安の中にあるのを感じた
新しいダルビッシュたちは、それ以上よくは知らない
彼等は、古きものをお喋りし、それに対しての新しきものをお喋りする。
混乱が、日増しに大きくなる
おお!、神聖なるコーランよ!、おお!、永遠の平安よ!



【解釈】

この詩は、相変わらず不満の書のひとつです。

これまでの詩は題名のないままで長い詩が、勿論幾つにも分けて読まれることのできる詩として、歌われておりましたが、ここに至ってゲーテは、この題をつけ、この詩を書いたわけです。

この詩の後に、ふたつ短い詩が、預言者が話す、そしてティムールが話すという題で、それぞれ歌われて、この不満の書、不満の巻は終ります。

最初のふたつの連は、世間とはこのようなものだと言っています。人間の社会は、それがフランス人であろうと、イギリス人であろうと、イタリア人であろうと、ドイツ人であろうと、そうなのだという。

最後の連の冒頭のSONST(そうでなければ)と一緒に、一挙にコーランの世界が歌われて、それがどれほど素晴らしい世界であるかということが伝わります。しかし、その世界でもまた、新しいダルビッシュたちが、第7連で歌われた伝承というものが、如何に正しく行われることが難しいかということを歌っています。これは、全くその通りです。

ダルビッシュというのは、この本の註釈によれば、「自由なる貧しさの中にあって精神的に観察することを生活となしている共同体の成員」とあります。

伝承を正しくする人間の能力を、第7連でder Verstand、悟性、理解力とゲーテは呼んでおりますが、わたしには、深い常識というように響いて来ます。

70歳を過ぎて尚、自らを旅人に譬喩(ひゆ)するゲーテのこころの若さとエネルギー、そうしてこの若さは、最後の連で歌われているように、歳月を充分に経た若さですから、聖典の精神を誤解することもなく、悟性というように、淡々と理解をし、普通に生活の中でその理解を活かすことができているということを示しているでしょう。

旅人の平安とは、そのような生活の中にあることでしょう。

0 件のコメント: