2013年12月30日月曜日

Neujahrsnachtfahrt(新年夜間走行):第1週 by Joachim Ringelnatz(1883-1934)


Neujahrsnachtfahrt(新年夜間走行):第1週 by Joachim Ringelnatz1883-1934


【原文】

Wenn du nachts in ein Auto steigst,
Und dir ist bang und winterlich zu Mut.
Und du dem Chauffeur die Richtung zeigst
Und sagst: "Sie fahren gut."

Wenn du so den Kopf des Wagenlenkers lenkst,
Dass er's gar nicht gewahrt,
Wie du traurig  bist und an Sterben denkst.−
Das ist nächtliche Fahrt.

Draussen leuchtet Volk und lacht und schiesst.−
Mitlaechelnd denkst du fremdwaerts still
An etwas, was du vom Flugzeug aus siehst,
An ein Flüßchen, das unter dir weit fliesst
Sohin, dorthin, wo es muss; nicht will.


【散文訳】


お前が、夜にいつも、自動車に乗って
そして、心が不安で、冬のように寒くなり、
そして、お前が運転手に方向を示して
そして、言うのだ:”うまい運転ですね。”

お前が、車のハンドルの頭を操縦するといつも
運転手は、それに気付かないで、
お前が悲しくなって、そして死を思う。
それこそ、夜の走行だ。

外では、人々が灯りをともし、そして笑い、そして、疾走する。
一緒に笑いながら、お前は、あらぬ方を静かに考えている
何か、飛行機から見えるものを
お前の下に広く流れている小さな川のことを
川が行かなければならない、行きたいのではないそこへ、そこへと流れる川のことを。


【解釈と鑑賞】

2014年最初の詩です。

最初の詩人は、Joachim Ringelnatz。ドイツ文学史に名前のある詩人です。この詩人のWikipediaです。







この詩人の詩を、どこかで、ひょっとしたらこのカレンダーの翻訳の中で、読んだ事がありますが、どこか孤独で、何か死を思わせるものが、やはりありました。

この詩人の、奇想天外な、不思議な言葉です。



2013年12月27日金曜日

【Eichendorfの詩 53-1】Sonette(ソネット)

【Eichendorfの詩 53-1】Sonette(ソネット)

【原文】

                      Sonette

So viele Quellen von den Bergen rauschen,
Die brechen zornig aus der Felsenhalle,
Die andern plaudern in melod'schem Falle
Mit Nymphen, die im Gruen vertraulich lauschen.

Doch wie sie irrend auch die Bahn vertauschen,
Sie treffen endlich doch zusammen alle,
Ein Strom, mit brüderlicher Wogen Schwalle
Erfrischend durch das schöne Land zu rauschen.

An Bergen, die vom Felsen einsam grollen,
Aus Waldesdunkel, zwischen Rebenhügeln
Voruebergleitend in die duft'ge Ferne.

Entwandelt er zum Meer, dem wundervollen,
Wo träumend sich die seligen Inseln spiegeln
Und auf den Fluten ruhn die ew'gen Sterne.


【散文訳】

            
           ソネット

山々の、かくも多くの源泉が潺湲と音を立てて流れている
それらは、怒って、巌の大広間の中から噴出するのだ
他の源泉は、旋律豊かな具合に
緑の中で親しく聞き耳を立てている水の妖精たちと一緒に
お喋りをしている。

しかし、それらの源泉が、実際間違って軌道を取り違えるに従い
遂には、みな一緒に合するのであり
一つの流れが、兄弟の大波たちと一緒に澎湃となり
気分を爽やかに、愉快にしてくれながら、美しい土地を通って、潺湲と流れて行くということ。

巌について、孤独に不平を鳴らす山々の脇を通り
森の暗闇の中から出て、葡萄の茂る丘々の間を通り
傍らを滑る様に通りながら、芳香高き遠いところへと

彼は旅して、海へと向かう、この素晴らしいものへと
そこでは、夢を見ながら、神聖なる島々が我が身を鏡に映し
そして、上げ潮に乗って、永遠の星々が憩うているのだ。


【解釈と鑑賞】

解釈の余地のないほどに、言葉が言葉のままである詩です。












2013年12月22日日曜日

【西東詩集56】 TIMUR spricht(チムールが話をする)


【西東詩集56】 TIMUR spricht(チムールが話をする)


【原文】

WAS? Ihr missbilliget den kraeftgen Sturm
Des Uebermuts? Verlogne Pfaffen!
Hatte Allah mich bestimmt zum Wurm,
So hatte er mich als Wurm geschaffen.


【散文訳】

何だって?お前達は、この強力なる嵐を否認するというのか?
この不満の暴風雨の嵐を?嘘つきの糞坊主ども!
アラーがわたしを確かに虫けらにしようと思ったら
アラーはわたしを虫けらとして創造賜はうたであらうに。


【解釈】

不満の書、不満の巻の最後に、このチムーツ帝の言葉が措かれています。

宗教家のもつ偽善や過剰な形式やらが、人間のこころの実際と離れてしまうことを、ゲーテは嫌ったのでしょう。それは、今までの詩を読んできて、よくわかります。

不満を嵐に譬えるとは、これは、相当な不満の書であったわけです。

【西東詩集55】 Der Prophet spricht(預言者が話をする)


【西東詩集55】 Der Prophet spricht(預言者が話をする)


【原文】

AERGERTS jemand dass es Gott gefallen
Mahomet zu gönnen Schutz und Glück,
An den staerksten Balken seiner Hallen
Da befestig' er den derben Strick,
Knüpfe sich daran! das hält und trägt;
Er wird fühlen dass sein Zorn sich legt.


【散文訳】

誰かが怒って言うことには、マホメットに守護と幸福を
恵むことが、神の気に入ったのだというが、
神の大広間の最も強い梁に
マホメットは、堅くて頑丈な綱をしっかりと結わえるのだ、
自分自身をそこに繋ぐがいい!それはよく持ち、そして堪える。
マホメットは、その者の怒りが横たわる(鎮まる)のを感じることになる。


【解釈】

預言者がこのように言うのであれば、マホメットとはそのような人なのでしょう。

怒っている誰かとは誰なのか。そのようなものでも、マホメットのそのような行いを知れば、怒りが収まり、マホメットはそれを感ずることになる。自然にそうなるということなのでしょう。それも、神のはかりごとであるかも知れません。

このような人生を送りたいものです。

【Eichendorfの詩 52】Die Werber(求婚者達)

【Eichendorfの詩 52】Die Werber(求婚者達)

【原文】

            Die Werber

》O Frühling wie bist du hell!
Ade nun Hof und Haus!《
Und jubelnd auf den Schwellen
Mit fröhlichen Gesellen
Wandert der Dichter aus.

Doch ihre Lieder wecken
Rings leises Zischen bald,
Kobold' aus allen Hecken
Erweisen sich mit Necken
Gar wunderbar im Wald.

Zu Ross, so schön und wüste,
Ein hohes Weib fliegt her,
Behelmt, entbloesst die Brueste,
Ihr Aug weckt wild Gelueste,
Sie heisst Soldatenehr.

Ihr nach aus Felsenritzen
Schaun graue Wichte klein,
Verstreun von ihren Mützen
Dukaten rings, die blitzen
Blutrot ins Land herein.

Der Schlauste gar durchs Blaue
Als Fluegelbuebchen schwirrt,
Führt über Berg und Aue
Daher die schönste Fraue ―
Die macht erste all' verwirrt.

Und der Dichter in dem Toben
Steht einsam auf der Höh,
Die andern sind zerstoben,
So still nun ist's da oben,
Sein Herz tut ihm so weh.

Er hoert der Quellen Gaenge
Durch die Waldeinsamkeit,
Da sinnt er auf Gesaenge,
Die Welt gibt volle Klänge,
Sein Herz wird ihm so weit.

Und jeden Frühling wieder
Von der schoenen Jugendzeit
Singt er vom Berg hernieder,
Und Heimweh fasst die Brueder,
Die in dem Tal zerstreut.


【散文訳】

》おお、春よ、お前は何と明朗なのだ!
さようなら、屋敷よ、そして家よ!《
そして、歓喜の声を上げながら、閾に立って
陽気な仲間と一緒に
詩人は旅に出立する。

しかし、彼等の歌は
周囲に、じきに、微かなしゅっしゅっという音を呼び覚まし
妖魔たちが、あらゆる薮の中から現れて
森の中で全く素晴らしく
水の精と一緒にその姿を示す。

馬に乗って、かくも美しい、そして荒涼として
一人の高貴な婦人がこちらへ飛ぶようにやって来る
兜を被り、ふたつの胸ははだけて
彼女の目は、荒々しく情欲を呼び覚ます
彼女の名前は、兵士の名誉というのだ。

彼女の姿を追って、岩の裂け目の中から
物凄い姿をした小さな妖魔たちが覗き見ている
彼等の硬貨が散乱している
ドゥカーテン金貨が周囲に散乱していて、それらが
血の色の赤に輝いて、その土地の中へと輝き入るのだ。

一番狡賢い輩は、おまけに青い天を通り抜けて
翼を持った若い天使として、ぐるぐる廻り
山や湿地を抜けて行く
そして、むこうから、最も美しい婦人が来る―
彼女は、まづは、皆々を困惑させるのだ。

そして、詩人は、荒れ狂って
孤独に、高みに立っている
その他のものたちは、ちりぢりになっている
こうして、今や、上の方は静かになっている
詩人の心臓は、かくも痛むのだ。

詩人は、泉の流れる道の音を聞く
森の孤独を通り抜けてゆく音を
そこに、歌を思うのだ
世界は、満ちた響きを立て
詩人の心臓は、かくも遠いものとなるのだ。

そして、
春るなるたびに再び
美しい青春時代について
詩人は、山の上から下へと歌を歌い
そして、故郷への懐旧の思いが
谷間に散らばっている
兄弟たちを捕まえるのだ。


【解釈と鑑賞】

第1連は、前のふたつの詩に関係して、これらの詩で歌われているような詩人の財産の喪失を引き継いでいます。

しかし、詩人は、そこに歌われているように、再び陽気な仲間と一緒に旅に出るのです。

そうして、急転直下、第2連では、森の中に小鬼や妖怪、妖魔の出て来るところが、もう既に何かこの詩の異常を感じさせます。

と読み進めると、その後の、第3連の美しい貴婦人の凄惨な、無残でエロスを掻き立てる姿が歌われて、その姿は一寸異様な感銘を読者に与えます。

このあられもない姿の貴婦人の名前は、兵士の名誉というのだという一行の解釈は、その姿からいっても、兵士に陵辱された貴婦人という意味でしょうか。または、兵士の名誉とありますから、この貴婦人は、兵士達の憧憬する貴婦人であるという意味でしょうか。それが、そのような凄惨なエロスを体現している。この第2連は、アイヒェンドルフの性愛と軍隊の間に伏在する、人間の性に関する理解を深く形象化したものだと、わたしは思います。素晴らしい詩行です。

森の中のまき散らされたドゥカーテン金貨という形象(イメージ)は、もう別世界です。

そして、詩人は、第6連では、そのような世界を山の上から見下ろしている。しかし、詩人の心は荒れ狂い、そして孤独である。

第7連では、山の高みにあっても、詩人はやはり森の孤独と心を通わせるもののようです。そのような場所で歌を歌い、詩を歌うと、世界は豊かな音を鳴り響かせますが、しかし、その分、詩人の心臓(こころ)は、詩人から遠ざかるのです。このアイヒェンドルフの、言語と表現された世界に関する倒錯は、この詩人が本物の詩人であることを示しています。信頼するに足る詩人です。

最後の連については、言葉を費やすことを要しないでしょう。

しかし、詩人は何故この詩の題名に求婚者達という名前をつけたのでしょうか。求婚者たちとは、この詩を読みますと、馬に騎乗した高貴な婦人に求愛する兵士達だととることができます。

さて、そうだとして、不思議なことに、また奇妙なことに、そのような兵士達の姿はどこにも具体的には歌われておりません。これがアイヒェンドルフの詩の骨法のひとつであるとしたら、それは後代のリルケの詩に通うものが充分にあるというべきでしょう。












Haltloser Gesang für zwei (二人のための止まらない歌) :第53週 by Steffen Jacobs(1968 -  )


Haltloser Gesang für zwei (二人のための止まらない歌) :第53週 by Steffen Jacobs(1968 -   )




【原文】

Ach Gott, ein neues Jahresende,
die Tage kurz und nebelschwer -
so hasten sie durch das Gelände,
und halten kann sie keiner mehr.

Das Leben war mal ein Versprechen
auf vieles, das erreichbar waer.
Nun sehen wir Versprechen brechen,
und halten kann sie keiner mehr.

Im nächsten Jahr wird alles besser,
die Meute schreit: Viel Feind, viel Ehr.
Dann läuft sie gradewegs ins Messer,
und halten kann sie keiner mehr.

Wir aber finden zueinander,
und fliehen über Land und Meer.
Nur flüchtig sind wir beieinander,
sind wir für immer beieinander -
und halten kann uns keiner mehr.


【散文訳】

ああ、神よ、新しい年末だ
日々は短く、そして霧のように重く
そのように、二人はゲレンデを急ぎ
そして、もはや誰も二人を止めることができない。

人生は、まあ、昔は、約束だった
手の届くかも知れない多くのものへの
さて、こうしてみると、わたしたちは、約束が破られるのを見る
そして、もはや誰も二人を止めることができない。

次の年には、すべてがもっとうまく行く
群衆は叫ぶ:たくさんの敵、たくさんの名誉
すると、ふたりは真っ直ぐにナイフの中へと走り込む
そして、もはや誰も二人を止めることができない。

わたしたちは、しかし、お互いであることを見つけ
そして、陸と海を渡って逃げる
ほんの一瞬かすめるように(逃げるようにして)、わたしたちは傍にいる
わたしたちは永遠に傍にいるのだ
そして、もはや誰も二人を止めることができない。



【解釈と鑑賞】

この詩人はドイツの詩人です。

この詩人のWikipediaです。


この詩は、このカレンダーの最後の詩です。

最初の一行の、新年が新しいのではなく、その年の年末が新しいのだという発想は斬新です。

この逃走する二人は、普通のひとの時間の接続感覚とはズレているので、だれもその逃走を止めることができないのでしょう。

第2連も、全くその通り。あなたの今年の約束は成就されたでしょうか。

第3連を読むと、勿論このふたりは群衆の側に属している人間ではありません。しかし、刃物の中へ走り込むとは、それは普通には死を意味しているでしょう。

第4連を読むと、お互いにあるという関係を発見した二人は、このような人生を送るというのです。

この二人が男女の二人であるならば、この最後の連から言っても、切ない恋愛詩ということになるでしょう。







【西東詩集54】 Wanderers Gemuetsruhe(旅人の平安)


【西東詩集54】 Wanderers Gemuetsruhe(旅人の平安)


【原文】

UEBER Niedertraechtige
Niemand sich beklage;
Denn es ist das Mächtige,
Was man dir auch sage.

In dem Schlechten waltet es
Sich zu Hochgewinne,
Und mit Rechtem schaltet es
Ganz nach seinem Sinne.

Wandrer!ーGegen solche Not
Wolltest du dich sträuben?
Wirbelwind und trocknen Kot
Lass sie drehn und staeuben.

WER wird von der Welt verlangen
Was sie selbst vermisst und träumet,
Rückwärts oder seitwärts blickend
Stets den Tag des Tags versaeumet?
Ihr Bemühen, ihr guter Wille
Hinkt nur nach dem raschen Leben,
Und was du vor Jahren brauchtest,
Möchte sie dir heute geben.

SICH selbst zu loben ist ein Fehler,
Doch jeder tust der etwas Gutes tut;
Und ist er dann in Worten kein Verhehler,
Das Gute bleibt doch immer gut.

Lasst doch, ihr Narren, doch die Freude
Dem Weisen, der sich weise hält,
Dass er, ein Narr wie ihr, vergeude
Den abgeschmackten Dank der Welt.

GLAUBST du denn von Mund zu Ohr
Sei ein redlicher Gewinnst?
Ueberliefrung, o! du Tor!
Ist auch wohl ein Hirngespinst.
Nun geht erste das Urteil an.
Dich vermag aus Glaubensketten
Der Verstand allein zu retten,
Dem du schon Verzicht getan.

UND wer franzet oder brietet,
Italiener oder deutschet,
Einer will nur wie der andre
Was die Eigenliebe heischet.

Denn es ist kein Anerkennen,
Weder vieler, noch des einen,
Wenn es nicht am Tage fördert
Wo man selbst was möchte scheinen.

Morgen habe denn das Rechte
Seine Freunde wohlgesinnet,
Wenn nur heute noch das Schlechte
Vollen Platz und Gunst gewinnet.

Wer nicht von dreitausend Jahren
Sich weiss Rechenschaft zu geben,
Bleib' im Dunkeln unerfahren,
Mag von Tag zu Tage leben.

SONST wenn man den heiligen Koran zitierte
nannte man die Sure, den Vers dazu,
Und jeder Moslem, wie sich's gebührte,
Fühlte sein Gewissen in Respekt und Ruh.
Die neuen Derwische wissens nicht besser,
Sie schwatzen das Alte, das Neue dazu.
Die Verwirrung wird täglich größer,
O! heiliger koran! O! ewige Ruh!


【散文訳】

卑劣で恥ずべきものについては
だれも嘆く事はないと人は言う
何故ならば、ひとがお前に実際いうところのこと、それが
権力であるからだ。

劣悪なるものにあっては、高価な褒美に応じて支配され
そして、正しいものについては、
全くその精神に従って、支配されている。

旅人よ!―そのような困難に対して
お前は羽根を逆立てるように反抗するつもりなのか?
渦を巻く風と乾いた汚物
これらを廻すままにさせ、そして塵埃(ちりほこり)を立てるままにせよ。

世界に、世界自身がその不在を恋しがり、そして夢見るものを
要求する者は
背後を見、または横を見ながら
常に、一日というものの昼間を逸するのではないだろうか?
お前達の努力、お前達の善なる意志は
忙しい人生に後をただ追って、びっこをひいて歩いてついてゆく
そして、お前が、これからの何年もの年月を前にして必要とするものを
世界は、お前に今日与えるかも知れない。

自分自身を褒めるということは、間違いだ。
しかし、何か善事をなすと誰もがそれをする;
そして、次に言葉で、隠すことができないのだ
善きものは、いつまでも善きものだというのに。

止めるのだ、お前たち愚か者よ、喜びを
自分自身を賢明に持する賢者に任せるのだ
賢者が、お前達のような愚者として、
世間の没趣味の感謝を蕩尽するという喜びを。

お前は、それでは、誠実に獲得した獲物が
口から耳へと伝えられると思うのか?
伝承などとは、ああ!、お前愚かな者よ!
伝承とは、もうこれは間違いなく脳味噌の紡(つむ)いだものなのだ。
こうしてやっと、判断が始まる。
お前を、あれこれの思いの鎖から解き放って
悟性(理解)だけが、お前を救助することができるのだ。
その悟性に、お前は既に放棄を行ったのだが。

そして、フランス人をしようが、イギリス人をしようが
イタリア人であろうと、またドイツ人であろうと
ある者は、他の者とただただ同様に
利己的な自己愛の要求することを欲するのだ。

何故ならば、人が自分自身で一寸でも光りたいと思う場所で
もし昼間にそれを促進することがないならば
多くの人々の承認も、一人の人の承認もないからである。

もし今日だけまだ悪い事が
全面的に場所を占め、そして恵みも獲得しているならば
それならば、正しいことには明日があると
その友達たちは、よく熟慮したのだ。

三千年の時間の弁明のできない者は
暗闇の中に留まって、だれにも知られることなく居るがいい
そうして毎日毎日生きるがいいのだ。

そうでなければ、神聖なるコーランを引用するたびに
人は、章節の名前を挙げ、それに対する詩篇を挙げた
そして、どのモスリムも、相応しいやり方で
その良心が尊敬と平安の中にあるのを感じた
新しいダルビッシュたちは、それ以上よくは知らない
彼等は、古きものをお喋りし、それに対しての新しきものをお喋りする。
混乱が、日増しに大きくなる
おお!、神聖なるコーランよ!、おお!、永遠の平安よ!



【解釈】

この詩は、相変わらず不満の書のひとつです。

これまでの詩は題名のないままで長い詩が、勿論幾つにも分けて読まれることのできる詩として、歌われておりましたが、ここに至ってゲーテは、この題をつけ、この詩を書いたわけです。

この詩の後に、ふたつ短い詩が、預言者が話す、そしてティムールが話すという題で、それぞれ歌われて、この不満の書、不満の巻は終ります。

最初のふたつの連は、世間とはこのようなものだと言っています。人間の社会は、それがフランス人であろうと、イギリス人であろうと、イタリア人であろうと、ドイツ人であろうと、そうなのだという。

最後の連の冒頭のSONST(そうでなければ)と一緒に、一挙にコーランの世界が歌われて、それがどれほど素晴らしい世界であるかということが伝わります。しかし、その世界でもまた、新しいダルビッシュたちが、第7連で歌われた伝承というものが、如何に正しく行われることが難しいかということを歌っています。これは、全くその通りです。

ダルビッシュというのは、この本の註釈によれば、「自由なる貧しさの中にあって精神的に観察することを生活となしている共同体の成員」とあります。

伝承を正しくする人間の能力を、第7連でder Verstand、悟性、理解力とゲーテは呼んでおりますが、わたしには、深い常識というように響いて来ます。

70歳を過ぎて尚、自らを旅人に譬喩(ひゆ)するゲーテのこころの若さとエネルギー、そうしてこの若さは、最後の連で歌われているように、歳月を充分に経た若さですから、聖典の精神を誤解することもなく、悟性というように、淡々と理解をし、普通に生活の中でその理解を活かすことができているということを示しているでしょう。

旅人の平安とは、そのような生活の中にあることでしょう。

2013年12月11日水曜日

Kleine Propheten (小さな預言者) :第52週 by Peter Jepsen(1947 -  )



Kleine Propheten (小さな預言者) :第52週 by Peter Jepsen(1947 -   )




【原文】

Kleine Propheten

Es gibt Gans!
sagt der erste.

Es gibt Karpfen!
sagt der zweite.

Es gibt, sagt der dritte,
ein Kind!


【散文訳】

小さな預言者たち

鵞鳥だ!
と最初の男が言う。

鯉だ!
と二番目の男が言う。

第三番目の男が言う、
子供だ!



【解釈と鑑賞】

この詩人はデンマークの詩人です。名前からいって。

この詩人のWikipediaです。しかし、この名前で検索して出て来るこの人のWikiは、ポーカーの名人です。この名人がこの詩を書いたのせうか。


この時節がら、キリスト教徒の世界では、キリストの生誕を祝い、そして預言者がやって来るのでせう。それも小さな預言者たちという題名の詩です。

この気合いの入り方といい、物事の順番による並べ方といい、この詩人がポーカーの名手であっても、一向に差し支えないように思われますが。

もしWikiと写真が違っていれば、ご容赦あれかし。正しければ、ともに正しいということになります。





2013年12月10日火曜日

Ich kann mir Bücher kaufen (わたしは本を買うことができる) :第51週 by Dionne Brand(1953 -  )


Ich kann mir Bücher kaufen (わたしは本を買うことができる) :第51週 by Dionne Brand(1953 -   )




【原文】

Ich kann mir Bücher kaufen,
die ich nicht lesen und mir nicht leisten kann,
mit dem ziel, dass sie mir
durch meine Depression helfen,
wintersonnenwende/mit verkruemmtem fleisch
versuche ich es mit verschiedenen Haltungen, sitzend und stehend,
bis der sadistische Februar mich auf die knie zwingt
dann bilanziere ich noch einmal mein leben
auf die sentimentale art,
komme zu dem Schluss, dass ich nichts wert bin,
und verbringe den März und den april
als haeufchen elend
neben der heizung.


【散文訳】

わたしは沢山本を買う事ができる
わたしが読むことのできない本を、そしてわたしには書けない本を
それらの本が、わたしを
わたしがふさぎ込んでいる間中、わたしを助けてくれるという目標を以て
冬の太陽の冬至/屈(かが)まった肉を以て
わたしは、様々な姿勢をとって、坐ったり、そして立っていたりして
サディスティックな2月がわたしを無理矢理ひざまづかせるまで
そうしたら、わたしはもう一度わたしの人生の晩収支を計算するのだ
センチメンタルな流儀で
わたしは何の値打ちもない人間だという結論に至り
そして、3月と4月を過ごす
暖房装置の傍で、哀れにも、一塊になって


【解釈と鑑賞】

この詩人はカナダの詩人です。

この詩人のWikipediaです。


原詩は無題ですが、最初の一行をとって題としました。

読書、冬、猛烈に寒い2月、しかし3月になり4月になっても、この詩人のこころは雪の様には溶けないようです。






2013年12月9日月曜日

【Eichendorfの詩 51】Der Unverbesserliche(頑固者)

【Eichendorfの詩 51】Der Unverbesserliche(頑固者)

【原文】

            Der Unverbesserliche
      
Ihr habt den Vogel gefangen,
Der war so frank und frei,
Nun ist ihm's Fliegen vergangen,
Der Sommer ist lange vorbei.

Es liegen wohl Federn neben
Und unter und über mir,
Sie können mich alle nicht heben
Aus diesem Meer von Papier

Papier! wie hör ich dich schreien,
Da alles die Federn schwenkt
In langen, emsigen Reihen―
So wird der Staat nun gelenkt.

Mein Fenster am Pulte steht offen,
Der Sonnenschein schweift uebers Dach,
Da wird so uraltes Hoffen
Und Wünschen im Herzen wach.

Die lustigen Kameraden,
Lerchen, Quellen und Wald,
Sie rauschen schon wieder und laden:
Geselle, kommst du nicht bald?

Und wie ich durch die Gardinen
Hinaussah in keckem Mut,
Da hört ich lachen im Grünen,
Ich kannte das Stimmlein recht gut.

Und wie ich hinaustrat zur Schwelle,
Da blühten die Bäume schon all
Und Liebchen, so fruehlingshelle,
Sass drunter beim Vogelschall.

Und eh wir uns beide besannen,
Da wiehert' das Fluegelross―
Wir flogen selbander von dannnen,
Dass es unten die Schreiber verdross.


【散文訳】

      頑固者

お前達が、その鳥を捕らえたのだ
その鳥は、かくも大いに自由であった
さてこそ今は、飛ぶことも失われた
夏が、とっくの昔に過ぎてしまっていたのだ。

羽根が、わたしの傍(そば)に落ちている
そして、わたしの下にも上には
羽根たちは、みな、わたしを高く掲げることができない
この書類の海の中から

書類だ!と、わたしは、お前(鳥)が叫んでいる声を聞く
すべてが羽根を振り廻すのだから
長い、勤勉な列をなしてー
そのように、国家が操縦されているのだ。

斜面机の傍のわたしの窓が開いたままになっている
太陽の光が、屋根を渡って遊弋している
そこには、かくも古代の願いが
そして、望みが心臓の中で目覚めている。

陽気な同志達が、
雲雀が、泉が、そして森が
既にまたさやさやと音を立てていて、そして招待するのだ:
仲間よ、お前はぢきに来ないのか?(来ればいいのに)

そして、わたしが、カーテンを通して
思い切って、その向こうを見遣ると
そこに、緑の中で笑い声が聞こえ
わたしは、その可愛らしい声を本当によく知っていたのだ。

そして、わたしが閾を跨いで出ると
そこには、木々が既にすっかりと花咲き
そして、愛する人が、かくも春の明るさを以て
その下に、鳥の響く場所に、坐っていたのだ。

そして、わたしたち二人が互いに気付く前に
翼のある馬が嘶(いなな)いてー
わたしたちは、自分と二人で、そこから飛ぶ去って
その馬は、下界にいる書記達を不機嫌にしたのだ。


【解釈と鑑賞】

詩の題名のドイツ語、Der Unverbesserlicheという本来の意味は、そのまま訳せば、決して、そもそもより良くならない者という意味です。

わたしは頑固者と訳しましたが、あるいは、上の原義から、落ちる所まで落ちた者という訳もあるかも知れません。

この題といい、詩の内容といい、前にある巴旦杏の種という詩に連なる詩です。

城も領地も失った自分を一羽の鳥に譬えています。夏は終わったのです。

そして、煩雑極まりない書類の事務が待っていたのでしょう。役所で長い列をつくって、勤勉に順番を待っている、それが国家の事務処理というものだ。

しかし、第4連から、いつものアイヒェンドルフらしく、窓の外、森の中に鳥が囀り、樹木の下には恋人もいて、そのこころの中に生命が湧き上がって来ます。

斜面机と訳したPultという机は、日本にはありません。わたしはヴァイマールのゲーテの家を訪ねて、ゲーテの使った斜面机を見たことがあります。インターネットで見つけたこれは、モダンなプルトです。










2013年12月7日土曜日

Papier auf dem es schneit (その上で雪の降る紙) :第50週 by Harald Hartung(1932 -  )

Papier auf dem es schneit (その上で雪の降る紙) :第50週 by Harald Hartung(1932 -   )




【原文】

Papier auf dem es schneit

Ich koennte stundenlang zusehn
Wie es schneit
den Silben des Schneefalls
die Worte bilden und Sätze
und langsam die Bäume beschweren
bis alle Zeilen gefüllt sind
und das Papier wieder weiss


【散文訳】

その上で雪の降る紙

わたしは長い時間凝(ぢ)っと見ていることができるかも知れない
どのように雪が降り
雪の降る綴(つづ)りを
言葉を形作ること、そして文を
そしてゆっくりと、木々を重たくして
すべての行が満たされるまで
そして、紙が再び白くなるまで


【解釈と鑑賞】

この詩人はドイツの詩人です。

この詩人のWikipediaです。


白い紙を雪の降るさま、降る場所に譬(たと)え、言葉がその上で生まれて、完成したら、また言葉が雪であるから、その紙は白い色に戻るという、面白い着想。


最初のkoennteという、できるかも知れないという接続法II式の非現実話法が実に効いています。この詩自体が夢なのか現実なのかわからない。


【西東詩集53-8】 Buch des Unmuts(不満の書)


【西東詩集53-8】 Buch des Unmuts(不満の書)


【原文】

HAB' ich euch denn je geraten
Wie ihr Kriege führen solltet?
Schalt ich euch, nach euren Taten,
Wenn ihr Friede schliessen wolltet?

Und so hab' ich auch den Fischer
Ruhig sehen Netze werfen,
Brauchte dem gewandten Tischler
Winkelmass nicht einzuschärfen.

Aber ihr wollt' besser wissen
Was ich weiss, der ich bedachte
Was Nature, für mich beflissen,
Schon zu meinem Eigen machte.

Fühlt ihr auch dergleichen Stärke?
Nun, so foerdert eure Sachen!
Seht ihr aber meine Werke,
Lernet erst: so wollt Ers machen.


【散文訳】

そのとき、お前達に一度助言をしたことがある
どうやって、お前達は戦争を指揮すべきなのかを
わたしがお前達に、お前達の行いに応じて
命令するぞ
お前達が講和を結びたいと思っているならば

そして、わたしは実際また漁師が
何ということもなく、そのまま普通に、網を投げているのをみた
わたしは、腕のいい指物師に
角の寸法を厳しく命じる必要はなかった。

しかし、お前達は、もっとよく知りたいのだといった
わたしの知っていることを、このわたしが考えた
自然とは何かということを、わたしのために勤勉に。

お前達は、実際またそのような強さを感じているのか?
さて、そうならば、お前達のことの促進をこそ図るがよい!
お前達が、それでも、わたしの作品を見るというのならば
真剣に学ぶがいい:そうしたら、彼もそれをなしたいと思うだろう。

【解釈】

第2連のTischerは、Tischler(指物師)の誤植だと思いますので、そのように訳しました。

市井、平民の漁師や指物師の幸せと普通の生活の優れたところをいい、他方対照的に、賢しらな、愚かで、瓦落多(がらくた)のどうしようもない、一見頭のよいとうぬぼれているような輩どもを嗤った詩です。

今の日本にも充分過ぎる位に通じている詩です。

彼もそれをなしたいと思うだろうと訳した最後の一行は、
er(彼は)が小文字なので、前に受ける名詞がありません。

大文字ならば神ですが、ここでは何か誰か、この詩を書いたゲーテの近辺、近傍にいるひとならだれもあああの人かと知っている人がいるのだと解して、文字通りに訳しました。違っているかも知れません。

【Eichendorfの詩 50】Mandelkerngedicht(巴旦杏の種の詩)

【Eichendorfの詩 50】Mandelkerngedicht(巴旦杏の種の詩)

【原文】

            Mandelkerngedicht

Zwischen Akten, dunkeln Waenden
Bannt mich, Freheitsbegehrenden,
Nun des Lebens strenge Pflicht,
Und aus Schränken, Aktenschichten
Lachen mir die beleidigten
Musen in das Amtsgesicht.

Als an Lenz und Morgenröte
Noch das Herz sich erlabete,
O du stilles, heitres Glueck!
Wie ich nun auch heiss mich sehne,
Ach, aus dieser Sandeebene
Führt kein Weg dahin zurück.

Als der letzte Balkentreter
Steh ich armer Enterbeter
In des Staates Symphonie,
Ach, in diesem Schwall von Tönen
Wo fand ich da es eigenen
Herzens suesse Melodie?

Ein Gedicht soll ich euch spenden:
Nun, so geht mit dem Leidenden
Nicht zu strenge ins Gericht!
Nehmt den Willen fuer Gewaehrung,
Kuehnen Reim fuer Begeisterung,
Diesen Unsinn als Gedicht!


【散文訳】

            巴旦杏の種

公の書類の間で、暗い壁の間で
自由を求める人間達よ、わたしを追放するがいい
さてこそ、人生の厳格な義務も一緒に
そして、棚から、書類の層の中から
侮辱された詩の女神達が、
役人顔のわたしを笑うのだ

春と朝日の赤い燭光に
まだ心臓が元気になったときには
ああ、お前、静かな明朗な幸福よ!
わたしが、こうなった今、どんなに熱く渇望しようとも
ああ、この砂の地平からは
そこへと戻る道はないのだ。

梁の上を歩く最後の者として
わたし、哀れな遺産相続の資格を剥奪された者は
国家の交響曲の中に立っているのだ
ああ、音のこの響きの中で
それでは、どこに、わたしは自分自身の心臓を以て
それが甘い戦慄だというのか?

わたしは一篇の詩をお前達に施さずにはいられない:
さてこういう次第となれば、この苦しむものと一緒に行くが良い
厳格に過ぎて裁判所には行くのではない!
授けるための意志を受け取るがいい
熱狂のための勇敢なる韻律を受け取るがいい
この理不尽を詩として受け取るがいい!


【解釈と鑑賞】

巴旦杏とは、アーモンドのことです。


そのアーモンドの実を、多分、そのような硬い自分自身に譬えたのがこの詩ではないでしょうか。



第3連をみると、遺産の継承者であることを剥奪されたとあるので、そのような目にあったときに歌った歌なのだと思います。

第1連からは、何かそれまで自分の領地の支配下にあった人間達であったものが自由を求めて、そのような行為に及んだ、或いは法律が変わって、そのようなことができるようになったのではないかと推測します。アイヒェンドルフも具体的な事実を、詩の常として、また詩人の矜持として、歌っておりません。

ドイツ語のWikipeidaによれば、


1818年に父親が死に、その財産であったお城も借金の方にとられてしまったとあります。そうして、アイヒェンドルフは、子供時代の想い出のあるこの城、Lubowitzと、そのSeidlnitzの地所を手放すことになって、これらを惜しみ、懐かしんだとあります。無念であったことでしょう。

2008年に撮影されたLubowitz城の写真です。








2013年12月1日日曜日

Weihnachten mag sie(彼女はクリスマスが好き):第49週 by Gabriele Wohmann(1932 -  )

Weihnachten mag sie(彼女はクリスマスが好き):第49週 by Gabriele Wohmann(1932 -   )




【原文】

Weihnachten mag sie

Sie ist atheistisch aber
Mit Kerzen Kirchen wichtige
Besichtigt sie Barock bevorzugt
Fröhlich vor allem hell viel
Licht der Chor wie Sommer
Unentwegt der Winter geht
Wegen Sport Weihnachten mag
Sie auch muss man nicht gleich
Daran glauben zwei Stapel
UNICEF-Karten im Oktober sehr
Gern das Gruesseschreiben um
Es neutral zu hatten Saison
Grüße Schnee passt und erst
Recht stark belichtet Kerzen
Alles im Griff und bis sie
Schliesslich doch sogar auch
Sie Dranglauben muss.


【散文訳】

彼女はクリスマスが好き

彼女は無神論者だが、しかし
蝋燭のある、教会、重要な教会
彼女は何よりも先にバロック様式を訪問する
陽気に、何よりも、明るく大量の
光があり、夏の様に聖堂の内陣があり
毅然として、冬は行く
スポーツはクリスマスが好きだ

世間は彼女のそう言うことも直ぐには
信じない、二つの重なった
ユニセフのカードは10月に、非常に
喜んで、挨拶の手紙を、そのことで
中立的に持たなければならなかった季節が―
雪に挨拶せよ、注意せよ、そしてやっと
蝋燭に強く光りを当てるのだ
凡てが一摑みに、そして彼女が
最後には、勿論
蝋燭の言うそのことをも信じなければならなくなるまで。



【解釈と鑑賞】

この詩人はドイツの詩人です。

この詩人のWikipediaです。


これは正直にいって、破格のドイツ語で書かれていて、よく解らないところがあります。

しかし、できるだけドイツ語の文法に沿って解釈をし、訳しました。

到頭最後まで、彼女が誰なのかは不明です。あるいは、詩人自身のことかも知れません。


Wegen Sport Weihnachten magという一行は最後まで謎でした。お解りの方はご教示下さい。

【西東詩集53-7】 Buch des Unmuts(不満の書)


【西東詩集53-7】 Buch des Unmuts(不満の書)


【原文】

MEDSCHNUN heisst―ich will nicht sagen
Dass es grad' ein Toller heisse;
Doch ihr müsst mich nicht verklagen
Dass ich mich als Medschnun preise.

Wenn die Brust, die redlich volle,
Sich entladet euch zu retten,
Ruft ihr nicht: das ist der Tolle!
Holet Stricke, schaffet Ketten!

Und wenn ihr zuletzt in Fesseln
Seht die Kluegeren verschmachten,
Sengt es euch wie Feuernesseln
Das vergebens zu betrachten.


【散文訳】

メデゥシュンという者は―わたしは言いたくはないのだが
それはまさしく一人の気違いの名前だということを;
しかし、お前達は、わたしを告発する必要はないのだ
わたしが我が身をメデゥシュンとして褒めることを。

もし胸が、この誠実で一杯の胸が、
お前達を救うために爆発するならば
お前達は叫んではならないのだ:そいつがその気違いだ!
縄を持って来い、鎖を持って来い!、と。

そして、もしお前達の方こそ遂には頸城(くびき)に捕われて
より聡明な者達が衰弱するのをみるならば
それは、お前達自身の身を、炎の刺草(いらくさ)のように、焼くのだ
それを観察しても無駄なことだ。




【解釈】

註釈によれば、MEDSCHNUN(メデゥシュン)という名前は、男性の名前で、もうひとつの女性の名前であるLeila(ライラ)という名前と一対になって、素晴らしい恋人同士の典型で、ペルシャの世界では、あるようです。

ゲーテは、そのような典型的な恋人(男性)に自らを比したのです。

そうして、その年齢から言って、70歳を超えているのに恋をすることを悪く言う世間に対して、これに反論をし、否定をしています。

メデゥシュンは気違いだという言い方に、ゲーテの感情の激しさを知ることができます。

最後の一行は、ゲーテが観察しても無駄だという意味にとります。しかし、また、世間の人間が自分の身を焼く事を観察しても無駄だともとることができます。