2012年7月25日水曜日

【Eichendorfの詩 6】Zwielicht (黄昏)


【Eichendorfの詩 6】Zwielicht (黄昏)

【原文】

Zwielicht

Daemmrung will die Fluegel spreiten
Schaurig rühren sich die Bäume,
Wolken ziehn wie schwere Traeume -
Was will dieses Graun bedeuten?

Hast ein Reh du, lieb vor andern,
Lass es nicht alleine grasen,
Jaeger ziehen im Wald und blasen,
Stimmen hin und wieder wandern.

Hast du einen Freund hienieden,
Trau ihm nicht zu dieser Stunde,
Freundlich wohl mit Aug und Munde,
Sinnt er Krieg im tueck'schen Frieden.

Was heut muede gehet under,
Hebt sich morgen neugeboren.
Manches bleibt in Nacht verloren -
Huete dich, bleib wach und munter!


【散文訳】

黄昏

黄昏が両翼を広げる
ぞっとしながら、木々は触れ合っている
雲が、重い夢のように、動いている
この恐怖は何を意味しているのか?

一匹の野呂鹿が、お前は、何よりも好きだ
野呂鹿をひとりにして草を食ませておいてはいけない
狩人達が森の中を行き、そして狩りの笛を吹いている
声々が、行ったり来たりと移動している

お前は、一人の友を地上に持っている
この時間には、その友を信頼してはならない
友情深く、しっかりと眼と口を以て
友は、策謀を凝らした平和の中で、戦争を企んでいる

今日疲れて滅するものは
明日新たに生まれて立ち上がる
幾多のものが夜に失われたままである
お前の身を護れ、警戒して、陽気であれ!


【解釈と鑑賞】

この詩は、前の詩、Im Walde(森の中で)の雰囲気とテーマを濃厚に受け継いでいる詩だと思います。

雰囲気とは、森、狩人、狩り、狩りの笛の音、木々のざわめき、これらのものによって惹き起こされる恐怖の感情です。

それでは、そのテーマとは何かというと、やはり、この恐怖感という以外にはないでしょう。

そうして、時間は、たそがれ時。昼が終わり、夜の始まる間の中間の時間です。何故か人間はこの時間に強く惹かれる。日本人なら逢魔が時というでしょうか。

第1連で、最初に恐怖を歌い、第2連で愛する野呂鹿と、それを失わしめる狩人達のことを歌い、愛するものを失うことに対するある感情を歌い、第3連で、友を歌い、この黄昏時の友を信用するなと歌うのです。

この第3連の第4行目の、友情深く、しっかりと眼と口を以てと訳した一行は、前の行にも掛かり、後の行にも掛かることができます。即ち、

この時間には、その友を信頼してはならない
友情深く、しっかりと眼と口を以て

とも読めるし、

友情深く、しっかりと眼と口を以て
友は、策謀を凝らした平和の中で、戦争を企んでいる

とも読む事ができます。

そうして、第4連で、今日疲れて滅するものが、明日生まれ変わって起き上がることを歌うのですが、その理由が、多くのものが夜に失われたままであるからと読めます。

だから、夜の間にお前も失われぬように気をつけよ、陽気であれ!というのか、夜の間には幾多もののが失われて、そのままになっているのであるから、その理由で、お前は今日疲れて滅しても、明日新生するのだといっているか、いづれも解釈が可能だと思います。

優れた詩人はヴィジョンを以て歌うものです。

アイヒェンドルフも、冒頭述べた舞台設定の上に、明らかに眼に見える何かを見ているのだと思います。

そして、それは恐怖という、最も人間の根源的な深い感情に結びついている。

この詩は、これから読んで行くアイヒェンドルフの詩を見ると、更に深い解釈が出来るのではないかと思います。




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