2012年7月28日土曜日

【西東詩集7】Gestaendnis(告白)


【西東詩集7】Gestaendnis(告白)

【原文】

Gestaendnis

Was ist schwer zu verbergen? Das Feuer!
Denn bei Tage verraets der Rauch,
Bei Nacht die Flamme, das Ungeheuer.
Ferner ist schwer zu verbergen auch
Die Liebe; noch so stille gehegt,
Sie doch gar leicht aus den Augen schlägt.
Am schwersten zu bergen ist ein Gedicht,
Man stellt es untern Scheffel nicht.
Hat es der Dichter frisch gesungen,
So ist er ganz davon durchdrungen,
Hat er es zierlich nett geschrieben,
Will er die ganze Welt solls lieben.
Er liest es jedem froh und laut,
Ob es uns quält, ob es erbaut.


【散文訳】

告白

隠す事の難きものは何か?火だ!
何故ならば、昼には煙で裏切り(それだと知らせ)
夜には炎、即ちこの物凄いもので裏切る。
更に隠す事難きものは、誠に
恋愛の情である。というのも、こころに静かに抱いていても
いとも簡単に眼から、その情が発せられるからである。
最も隠す事難きものは、詩である。
升(ます)の下に隠しておくことができないから。
詩人が新鮮に詩を歌えば
詩人は詩に貫かれ、詩に浸り
詩人が装飾して、愛らしく詩を書けば
詩人は全世界がその詩を愛さずにはいられないことを欲し
詩人はその詩を誰にも彼にも陽気に声高く朗唱するのだ
その詩がわたしたちを苦しめようと、教化善導しようと関わりなく


【解釈と鑑賞】

この詩の題名のGestaendnis、告白とは、勿論恋の告白も含む告白です。

それは、詩の示す通りです。

前の詩の4つの(神の与え賜ふ)恵みという詩、神のご加護のもとに恋人とふたりの生活をする詩人の境涯を歌った詩の後に、この告白という、恋の情と詩の情とを歌い、次の詩、Elemente、(詩や歌を構成する)要素という題名の詩に繋がります。

升の下に隠しておく事ができないという言い廻しは、ドイツ語の慣用句にある言い方で、謙虚であろうとしても、その才能の素晴らしさは隠しおおせることができないという意味です。日本ならば、能ある鷹は爪を隠すという言い方がありますが、その逆の言い方、発想です。

炎を言い換えて、das Ungeheuer、怪物と言い換えるこの譬喩(ひゆ)、隠喩には、文字通りに物凄いものがあります。

ゲーテが持っている恋情の激しさを思わせる。この歳にして。このときゲーテは70歳を迎える、60代の後半であったでせう。

そうして、詩とは、それよりも更に物凄いものだという。隠す事ができないという意味において。




第33週: Wortwechsel (言葉の交換) by Anne Boland (1986 - )



第33週: Wortwechsel (言葉の交換) by Anne Boland (1986 -  ) 

【原文】

Wortwechsel

Ich biete Ihnen
die einmalige Gelegenheit,
Ihre Worte einzutauschen!

Sie
abzugeben,
loszulassen,
loszuwerden,
aufzurauemen,
auszumisten,

Ihren Wortschatz aufzufrischen.

Wozu horten?
Wozu einmotten?

All die Worte,
die Sie nicht mehr brauchen,
die Sie langweilen,
die Sie nicht mehr
hören, sagen, denken
koennen,

tauschen Sie diese
gegen ein
abgestaubtes,
attraktives,
anderes
Wort.

Greifen Sie zum Stift!
Tauschen Sie ein Wort!  



【散文訳】

言葉の交換

わたしはあなたに
一度っきりの機会を与える
あなたの言葉を交換する機会を!

あなたの言葉を
引き渡し
放ちやり
脱し
整理し
掃除し

あなたの語彙を新しくする機会を

何のために蓄えるのだ?
何のために虫の食わぬようにしまっておくのだ?

すべての言葉を
あなたがもはや必要としない
あなたが退屈した
あなたがもはや
聞いたり、言ったり、考えたりする
ことのできない、すべての言葉を

あなたは、これらの言葉を交換する
ひとつの、埃(ほこり)を落とした
魅力的な
他の
言葉と

鉛筆を握って!
ひとつの言葉を交換せよ!


【解釈と鑑賞】

このひとのWikipeidaはありません。

1986年生まれのまだ若い詩人。

あなたが使わなくなった複数の言葉を、ひとつの言葉で言い表せというメッセージを伝える詩です。

ひとつの言葉は、あなたの忘れた複数の言葉を代表している。

メッセージは解り易いものです。

この詩の特徴は、使っている動詞に生き生きとしたものがあります。


第32週: Bleiben will ich (留まりたい) by Thomas Brasch (1945 - 2001 )



第32週: Bleiben will ich (留まりたい) by Thomas Brasch (1945 - 2001 ) 

【原文】

Bleiben will ich

Was ich habe, will ich nicht verlieren, aber
wo ich bin, will ich nicht bleiben, aber
die ich liebe, will ich nicht verlassen, aber
die ich kenne, will ich nicht mehr sehen, aber
wo ich lebe, da will ich nicht sterben, aber
wo ich sterbe, da will ich nicht hin:
Bleiben will ich, wo ich nie gewesen bin.




【散文訳】

わたしは留まりたい

わたしの持っているものを、わたしは失いたくない、しかし
わたしのいる場所に、わたしは留まりたくない、しかし
わたしの愛する人たちのもとを、わたしは去りたいとは思わない、しかし
わたしの知っている人たちを、もはや見たいとは思わない、しかし
わたしの生きている場所で、わたしは死にたくはない、しかし
わたしの死ぬ場所で、そこで、あの世へ行きたくはない
留まりたいのだ、わたしが今まで居なかった場所に


【解釈と鑑賞】

この詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Thomas_Brasch

父親がベルリンのソヴィエト連邦占領区域に住んで、即ちDDRに住んだために、東ドイツで育った詩人です。

この詩は、何か不機嫌なものを、大いに感じさせます。

一行の最後に、しかしという逆説の接続詞が来て、その前の一行を否定して行くという歌い方になっています。

このaber、しかし、憂鬱に響く。しかし、強い意志も感じさせます。




2012年7月26日木曜日

「シュールレアリスム宣言」とは何か3:意味と意味を合わせることが無意味になるということ:無意味という意味の割り当てについて


「シュールレアリスム宣言」とは何か3:意味と意味を合わせることが無意味になるということ:無意味という意味の割り当てについて

ふたつの単語を並べて意味のあるようにおいたつもりでも、ふたつ意味のある単語を並べて配置することに意味を持たせないという論理(これも意味ある論理)のあることを、改めて知りました。

これに気づいたのは、アマゾンで買った電子書籍を読んでいてです。Kindleの電子書籍というのは実によくできていて、カーソルで単語をマークアップすると、何とOxfordの辞書の説明がポップアップで画面に現れるのです。これは実に便利です。

この単語の意味を検索するのに、2語を選択すると、そのポップアップが現れないということに気づきました。単語1語と記号1つの組み合わせでは、ポップアップは現れる。この辞書のシステムは、記号には意味を持たせていないということがわかります。

わたしが何故シュールレアリスムに惹かれるかということの理由の一端が、論理の側から解明され、そのことを知ることのできた事件でした。

シュールレアリスムとは、単語の意味と意味を合わせたときに無意味になるという意味の割り当てをする論理を愛するということであり、その論理の偏愛の宣言が、シュールレアリスム宣言ということに、一言で言うと、なります。

答えはいつも隠れている。伏在している。既に在る。

ということを、久し振りで、思い出しました。

2012年7月25日水曜日

【Eichendorfの詩 6】Zwielicht (黄昏)


【Eichendorfの詩 6】Zwielicht (黄昏)

【原文】

Zwielicht

Daemmrung will die Fluegel spreiten
Schaurig rühren sich die Bäume,
Wolken ziehn wie schwere Traeume -
Was will dieses Graun bedeuten?

Hast ein Reh du, lieb vor andern,
Lass es nicht alleine grasen,
Jaeger ziehen im Wald und blasen,
Stimmen hin und wieder wandern.

Hast du einen Freund hienieden,
Trau ihm nicht zu dieser Stunde,
Freundlich wohl mit Aug und Munde,
Sinnt er Krieg im tueck'schen Frieden.

Was heut muede gehet under,
Hebt sich morgen neugeboren.
Manches bleibt in Nacht verloren -
Huete dich, bleib wach und munter!


【散文訳】

黄昏

黄昏が両翼を広げる
ぞっとしながら、木々は触れ合っている
雲が、重い夢のように、動いている
この恐怖は何を意味しているのか?

一匹の野呂鹿が、お前は、何よりも好きだ
野呂鹿をひとりにして草を食ませておいてはいけない
狩人達が森の中を行き、そして狩りの笛を吹いている
声々が、行ったり来たりと移動している

お前は、一人の友を地上に持っている
この時間には、その友を信頼してはならない
友情深く、しっかりと眼と口を以て
友は、策謀を凝らした平和の中で、戦争を企んでいる

今日疲れて滅するものは
明日新たに生まれて立ち上がる
幾多のものが夜に失われたままである
お前の身を護れ、警戒して、陽気であれ!


【解釈と鑑賞】

この詩は、前の詩、Im Walde(森の中で)の雰囲気とテーマを濃厚に受け継いでいる詩だと思います。

雰囲気とは、森、狩人、狩り、狩りの笛の音、木々のざわめき、これらのものによって惹き起こされる恐怖の感情です。

それでは、そのテーマとは何かというと、やはり、この恐怖感という以外にはないでしょう。

そうして、時間は、たそがれ時。昼が終わり、夜の始まる間の中間の時間です。何故か人間はこの時間に強く惹かれる。日本人なら逢魔が時というでしょうか。

第1連で、最初に恐怖を歌い、第2連で愛する野呂鹿と、それを失わしめる狩人達のことを歌い、愛するものを失うことに対するある感情を歌い、第3連で、友を歌い、この黄昏時の友を信用するなと歌うのです。

この第3連の第4行目の、友情深く、しっかりと眼と口を以てと訳した一行は、前の行にも掛かり、後の行にも掛かることができます。即ち、

この時間には、その友を信頼してはならない
友情深く、しっかりと眼と口を以て

とも読めるし、

友情深く、しっかりと眼と口を以て
友は、策謀を凝らした平和の中で、戦争を企んでいる

とも読む事ができます。

そうして、第4連で、今日疲れて滅するものが、明日生まれ変わって起き上がることを歌うのですが、その理由が、多くのものが夜に失われたままであるからと読めます。

だから、夜の間にお前も失われぬように気をつけよ、陽気であれ!というのか、夜の間には幾多もののが失われて、そのままになっているのであるから、その理由で、お前は今日疲れて滅しても、明日新生するのだといっているか、いづれも解釈が可能だと思います。

優れた詩人はヴィジョンを以て歌うものです。

アイヒェンドルフも、冒頭述べた舞台設定の上に、明らかに眼に見える何かを見ているのだと思います。

そして、それは恐怖という、最も人間の根源的な深い感情に結びついている。

この詩は、これから読んで行くアイヒェンドルフの詩を見ると、更に深い解釈が出来るのではないかと思います。




2012年7月21日土曜日

【西東詩集6】Vier Gnaden(4つの恵み)


【西東詩集6】Vier Gnaden(4つの恵み)

【原文】

Vier Gnaden

Dass Araber an ihrem Teil
Die Weite froh durchziehen,
Hat Allah zu gemeinem Heil
Der Gnaden vier verliehen.

Den Turban erst, der besser schmückt
Als alle Kaiserkronen;
Ein Zelt, das man vom Orte rückt
Um überall zu wohnen;

Ein Schwert, das tuechtiger beschuetzt
Als Fels und hohe Mauern;
Ein Liedchen, das gefällt und nützt,
Worauf die Maedchen lauern.

Und Blumen sing ich ungestoert
Von Ihrem Shawl herunter,
Sie weiss recht wohl was Ihr gehört
Und bleibt mir hold und munter.

Und Blum' und Früchte weiss ich euch
Gar zierlich aufzutischen,
Wollt ihr Moralen zugleich,
So geb' ich von den frischen.


【散文訳】

4つの恵み

アラビア人が、その頼りとして
遥か彼方を快活に遍歴するために
アラーは、みなの旅の平安のために
4つの恵みを授けた

まづターバン、これはよりよく飾るもの
すべての王冠よりも
テント、これは場所を変えるもの
至るとこに住むために

剣(つるぎ)、これはより役立ち護るもの
巌(いわお)と高い壁よりも
歌、これは好ましく、役立つもの
乙女達が焦がれて、聴き耳を立てるもの

そして、花々をわたしは存分に歌う
あなたの肩掛けから落ちるのを
彼女は自分に属するものを誠によく知っている
そして、いつも、わたしに優しく、こころを明るくしてくれる

そして、花々と果物を、お前達のために
卓上に全く綺麗に飾って、並べることができる
もしお前達が同時に道徳を求めるならば
わたしは新鮮な道徳の中から取って、お前達に与えよう。


【解釈と鑑賞】

この詩の題名は、4つの恵み。

その4つの恵みとは、ターバン、テント、剣に歌。

その目的とは、アラビア人たちが長い旅をするのに、一路平安を保証するため。

と、1連、2連までを歌って、3連、4連と、歌の調子が、言わば転調をします。

3連は、アラーの神の肩掛けから花々が落ちて来ることを歌うといい、それに続けて、彼女(恋人でありませう)のわたしに与えてくれる状態を歌っています。

4連は、お前達という複数2人称で、アラビア人達に呼びかけ、食卓を花と果物で飾り立てることと、アラビア人達がモラルを求めるならば、花々と果物のように、それらと同様に新鮮な(複数の)道徳の中から、アラビア人達のための道徳を取り出して、与えようと歌っています。

4つの恵みを歌った最初の2連と、後の2連の調子とモチーフは異なりますが、しかし、ゲーテはこれらをひとつの詩としてまとめた以上、これらふたつの纏まり同士は、釣り合っている筈です。

疑問は、何故ゲーテは3連で、アラーの肩掛けからの落花のことをいい、恋人のことをいったか、

何故4連で、花と果物で食卓を飾ることをいい、アラビア人達に与える道徳のことをいったかということです。

こうしてみると、わたしはリルケの晩年のふたつの詩、即ちデゥイーのの悲歌とオルフェウスへのソネットにある典型的な詩人の詩作法を思い出します。

リルケの詩作法は、大きな転調と飛躍をしばしば持ち、読者を理解の外におくかのようにして、読者を放り投げるところがありますが、この詩の構成にも、類似の、詩人のこころを、わたしは感じ取ります。

即ち、そのこころとは、このようなこころです。

ゲーテは、この詩中のわたしとなって、どこかのオアシスに、神の加護を十分に受けて、恋人と暮らし、花と果物で宴席を設けて、やって来た長途のアラブ人達の旅の苦労を労(ねぎら)う。

そうして、アラブ人たちがわたしに問う、このような場所に苦労もせずに、好きな女とだけ暮らしていていいのか?と。

しかし、わたしは自由であり、既にFreisinn(自由の感覚、自由の志操)で、そのこころを歌っている通りに暮らしているのであり、タリスマンという護符に守られた生活を、神の加護のもとにしているのである。

それは、世上の道徳ですら、また旅の生活の道徳ですら、自由に創造することができる身分であり、地位であり、暮らしであるのだ。

さあ、道徳の中でも、今神から与えられ、またはわたしが知り、創造した道徳をお前達に授けよう。それは、恰も卓上の新鮮な花や果物ように、新鮮な道徳である。

今までの、ここまで読んで来た詩篇の創造するコンテキストの中読むと、このような解釈となるでせう。

詩を作るということは、このような創造行為なのだと、この詩中のわたしのこのような考えについても、また詩外からこの詩を書いたゲーテという詩人のことを眺めても同様に、そのように思うのです。

素晴らしい詩篇だと思います。

第31週: Hochsommer (盛夏) by Christian Ernst (1967 - )



第31週: Hochsommer (盛夏) by Christian Ernst (1967 - ) 

【原文】

Hochsommer

Die Sonne drueckt
kein Auge zu
Selbst die Nacht
nur ein Wimpernschlag


【散文訳】

盛夏

太陽は
目を瞑(つむ)らない
夜でさへ
たった一つの瞬(まばた)きに過ぎない


【解釈と鑑賞】

ドイツ語圏の詩人です。

この詩人のWikipediaはありません。

短い詩で、盛夏、夏の盛りの夏を言い表し、言い切っています。

涼しい筈の夜を、たった一瞬の瞬きにしたことで、一層夏の昼間の暑さと明るさを際立たせています。

今の東京の暑さを思うと、もうこれだけで十分、あるいは一層、暑くなる詩です。

2012年7月18日水曜日

【Eichendorfの詩5】Im Walde (森の中で)


【Eichendorfの詩5】Im Walde (森の中で)

【原文】

Im Walde

Es zog eine Hochzeit den Berg entlang,
Ich hoerte die Voegel schlagen,
Da blitzten viel Reiter, das Waldhorn klang,
Das war ein lustiges Jagen!

Und eh ich's gedacht, war alles verhallt,
Die Nacht bedecket die Runde,
Nur von den Bergen noch rauschet der Wald
Und mich schauert im Herzensgrunde.


【散文訳】

森の中で

結婚式の列が山裾に沿って歩んで行く
わたしは鳥達が羽搏く音を聞いた
と、その時、数多くの者達が馬に騎乗して
電光石火の如くに走り去り、狩りの笛が鳴り響いて
それは、陽気な狩りだった!

そして、わたしがそう思う前に、全ての音が消えて行き
夜が酒宴の一座を覆い
山々からのみ、森がまだざわざわと音を立てていた
そして、今、わたしはこころの底からぞっとしているのだ。

【解釈と鑑賞】

アイヒェンドルフらしい詩だと思います。

第1連の最初の一行を読んで、わたしは当時の東ドイツでみた結婚式の馬車の行列を思い出しました。緑の山を背景に、この詩に歌われているように、山裾を粛々と馬車が進むのです。

鳥達が羽搏き、狩人達が騎乗して電光石火に走り去り、狩りの笛の音が響き渡る。そうして、陽気なという形容詞に冠飾された狩り。これは、全くアイヒェンドルフの世界です。

第2連では、それらの物音が消え去り、夜が来る。そうして、山々から森のささやきが聞こえる。

最後の一行は、そのような不思議の世界に対して感じた詩人の感情なのだと思います。この一行だけが過去形ではなく、現在形になって、今のこととして歌われています。

印象の深い、ロマン主義のと言えばロマン主義の、詩だと思います。


しかし、この詩は、何々主義と呼んで事足れりというだけでは済まない何かを含んでいると思います。


それは、一行目から2行目へ、2行目から3行目への飛躍。


それから、最後から2行目から最後の行への飛躍です。


結婚式の馬車の行列(だと仮に致しましょう)の美しい、緑に映えた光景から、わたしが鳥の羽ばたきの音を耳にするという一行を介して、突然狩りの騎乗の者たちの荒々しい光景に変ずる。そうして、それを陽気だというアイヒェンドルフ。


そうして、それは一場の夢のように消え去ることが第2連で歌われ、山々の森のさやぐ音を聞いて、ぞっとするアイヒェンドルフ。


このふたつのアイヒェンドルフに、何かこの詩人の想像力の淵源を見る思いがします。


2012年7月17日火曜日

Somthing Great




Somthing Great

Somthing Great
Looks as though it were nothing
In usual daily life
It is accomplished.

If you have been taking care every day
Of something, which
Nobody knows and nobody is aware of and
You have been doing without discontinuation.
It comes to you one day as though it were natural, and
it is accomplished.

How easily and unexpectedly it is accomplished,
Something Great, which one has been wishing himself for a long time
Twenty years from that time
Further twenty years from that that time
You are feeling not enthusiastic, but
Your are feeling moved calmly now
And an entire freedom is in your possession
to say or not to say others about it.





2012年7月14日土曜日

【西東詩集5】Talismane(タリスマンという護符)


【西東詩集5】Talismane(タリスマンという護符)

【原文】

Talismane

Gottes ist der Orient!
Gottes ist der Okzident!
Nord-und südliches Gelände
Ruht im Frieden seiner Hände.
       *
Er, der einzige Gerechte,
Will fuer jedermann das Rechte.
Sei, von seinen hundert Namen,
Dieser hoch gelobet! Amen.
       *
Mich verwirren will as Irren;
Doch du weisst mich zu entwirren.
Wenn ich handle, wenn ich dichte,
Gib du meinem Weg die Richte.
       *
Ob ich Irdisches denk und sinne,
Das gereicht zu höherem Gewinne.
Mit dem Staube nicht der Geist zerstoben,
Dringet, in sich selbst gedrängt, nach oben.
       *
Im Atemholen sind zweierlei Gnaden:
Die Luft einziehen, sich ihrer entladen.
Jenes bedrängt, dieses erfrischt;
So wunderbar ist das Leben gemischt.
Du danke Gott wenn er dich presst,
Und dank ihm wenn er dich wieder entlässt.


【散文訳】

タリスマンという護符

東の世界は神のものだ!
西の世界は神のものだ!
北と南の土地は
その両手の平安の中に憩っている。
       *
彼、唯一の正義なるものは
誰のためにも正義を欲する。
その百の名前によって
このものは、高く尊崇されてあれ!アーメン。
       *
道に迷うことが、わたしを混乱させようとする
しかし、お前はわたしを混乱から遠ざけることができる
わたしが商いをし、わたしが詩作をするときには
どうか我が道に真っ直ぐに正しい方向を与え賜へ
       *
わたしが地上のことについて考え、そして思うかどうか
それが、より高い利益となる。
塵となって、精神は雲散霧消するものではない
自己の中へと駆り立てられて、上の方へと迫るがよい
       *
息を吸うことの中には、二色(ふたいろ)の恩恵がある
空気を吸引すること、それを吐き出して軽くなること
前者は圧迫し、後者は新鮮にする
かくも不思議に、生は混交している。
神がお前を押して圧迫するときには、神に感謝せよ
そして、お前を再び放つときには、神に感謝せよ。


【解釈】

Freisinn、自由の感覚、自由の志操を歌ったあとで、ゲーテは再びタリスマンと呼ばれる護符の題の詩を置きます。

この詩は、*印を間においた5つの連、あるいは5つの詩から構成されています。この*がそれぞれの連を分ち、また繋げるという緩やかな連関の役目を果たしています。

読者は自由な組み合わせで読んでよいということでしょう。

註釈によれば、第1連と第3連は、コーランの詩句であるとのことです。

詩の題からいって、タリスマンという護符は、この5つの連のような生活を保証してくれるものだということなのでしょう。

タリスマンは、西東詩集の最初の詩、Hegire(ヘジラ)に歌われている通りの、単純簡素な生活を与えてくれる。

Googleの画像検索でtalismanと検索すると、古典的な護符の他に、今流行の電子的なゲームの世界の護符も数多く現れます。

時代は異なれ、世代も異なれ、心底において、人間は同じものを求めるものと見えます。

















第30週: Lange Zeit (長い時間) by Robert Walser (1878 - 1956)



第30週: Lange Zeit (長い時間) by Robert Walser (1878 - 1956) 

【原文】

Lange Zeit

Ich tu mir Zwang,
zu scherzen und lachen.
Was soll ich machen?

Gewohnten Gang,
im mueden Herzen,
gehen alte Schmerzen.

Ich muss den Hang,
zu weinen, bezwingen,
nebst andern Dingen.


【散文訳】

長い時間

わたしに、冗談を言ったり、そして笑ったりする
衝動が湧く。
どうしたらよいのだ?

いつもの成り行き(道)を
疲れたこころの中で
古い冗談が辿る

わたしは、泣き虫の性癖を
他の色々な物の他に
強いなければならない。


【解釈と鑑賞】

この詩人はスイスの詩人です。

ロベルト•ヴァルザーの英語のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Walser_(writer)

最後の写真が載っているウエッブページがあります。散歩中に心臓麻痺で雪の中で倒れて、息をひきとりました。

http://www.stephanelambert.com/2010/07/01/robert-walser/

わたくしも20代の初めに、この作家の奇妙な味のする短編に幾つか触れたことがあります。

わたくしにとっては、印象の深い作家のひとりです。

難しい言葉で書かれているわけではありません。易しい言葉で書かれている詩ですが、この詩人の短い散文と同様に、何か不可解なものを感じさせる詩です。特に、第3連は。

冗談や笑いは衝動であるのに対し、泣き癖は性癖であるという対比です。

第1連の「古い冗談」は、懐かしい冗談とも訳す事ができます。

しかし、何か不可解である。と思って、この不可解の理由を考えると、第4連が欠落しているからだということに思い当たりました。

上に書いたように、第1連は第2連はひとつのまとまりを持っています。

これに対して、第3連は第4連を持っておりません。もし第4連を、この詩全体の均衡を考えて第4連を書くとすると、例えば次のようになるでしょう。

Ungewohnten Gang,
im gemunterten Herzen,
gehen neue Freuden.

非凡な道を
こころ楽しく
新たな喜びは行く

しかし、この一連があったとして、それで詩になるでしょうか。全然詩にはならないのだと思います。

全くの余白、投げ出したような空白があって、それとそれ以外の文字で書かれた言葉が釣り合っている。

思えば、これはロベルト•ヴァルザーの創作の秘密ばかりであるのではなく、どのような芸術家の創作の淵源であるのではないでしょうか。即ち、欠落の感覚は。

この詩は、一行毎にコンマがあって、短い句の並んだ詩となっています。その句のコンマのひとつひとつの所で、詩人は溜め息をついているように思います。詩人の溜め息が聞こえる。言葉の意味、一行の意味を分解するような。

そうして、この詩の題に戻って考えると、そのような長い時間を過ごして来たといっているのです。

第3連の「他の色々な物の他に」の「他の色々な物」という言葉に、こうして考えて来ると、実に様々な含みがあります。










2012年7月13日金曜日

「シュールレアリスム宣言」とは何か2

「シュールレアリスム宣言」とは、そして、その理論篇の実作たる「溶ける魚」を読んで、わかったことは、

「シュールレアリスム宣言」とは、言葉の概念の写実主義宣言であったということである。


2012年7月11日水曜日

【Eichendorfの詩4】Der frohe Wandersmann (陽気な旅人)


【Eichendorfの詩4】Der frohe  Wandersmann (陽気な旅人)

【原文】

Der frohe Wandersmann

Wem Gott will rechte Gunst erweisen,
Den schickt er in die weite Welt;
Dem will er seine Wunder weisen
In Berg und Wald und Strom und Feld.

Die Trägen, die zu Hause liegen,
erquicket nicht das Morgenrot,
Sie wissen nur von Kinderwiegen,
Von Sorgen, Last und Not um Brot.

Die Baechlein von den Bergen springen,
Die Lerchen schwirren hoch vor Lust,
Was sollt ich nicht mit ihnen singen
Aus voller Kehl und frischer Brust?

Den lieben Gott lass ich nur walten;
Der Bächlein, Lerchen, Wald und Feld
Und Erd und Himmel will erhalten,
Hat auch mein Sach aufs best bestellt!





【散文訳】

陽気な旅人

神が正しい恵みを与え賜ふそのひとを
神は広い世界の中へと使い遣る
そのひとに、神は奇蹟を示したいと思し召す
山の中で、森の中で、嵐の中で、原野の中で

家にある怠惰に、燭光は生気をもたらすことはない
怠惰は、ただ子供の揺り籠について知っているだけ
心配について、重荷について、パンを得る苦労について知っているだけだ

山々の小川は弾け飛び
雲雀は愉快の余り高く飛び廻る
雲雀と一緒になって何を歌はないことがあらうか
喉一杯に、そして、新鮮な胸の内から

わたしは愛する神をして只支配せしむるのみ
小川も、雲雀も、森も、そして原野も
そして、大地も、空をも、支配せしめるのみだ
神は、実際、わたしのものを最善の状態にしてくれたのだ!

【解釈と鑑賞】

旅人は、神のお使い。そうして、詩のような理由によって、いつも陽気である。

定住し、固定して住まう人間達との対比を、アイヒェンドルフは好むようだ。

Wandernという言葉に、思いの外の思い入れがあるのだと思います。決して、reisen(これも旅をするという動詞)とはいいません。やはり、あちこちと逸脱をする歩みに旅人の真意を見ているのだと思います。

Hat auch mein Sach aufs best bestellt!は、もっと旨い訳がありそうに思います。

2012年7月10日火曜日

偉大なこと



偉大なこと

偉大なことは
何食わぬ顔をして
普通の生活の中で
成し遂げられるものだ
もし毎日あなたが心がけているならば
何かを
たれにも知られずに
努力したとして
それはある日やはり自然の顔をして
やってきて、成就するのだ
長い間願っていたこと、思っていたことが
こんなにあっさりと出来てしまうなんて
あの時から20年
その時から更に20年
あなたには感激という大きな感情はない
あなたには感動というしみじみとした感情がある
そうして、それをひとに言おうと言うまいと
それは、あなたの全くの自由なのだ






2012年7月8日日曜日

「シュールレアリスム宣言」とは何か


「シュールレアリスム宣言」とは何か

初めて、気になっていた書物、アンドレ•ブルトンの「シュールレアリスム宣言」を読んだ。

わたしは、このものの考えを次の12の項目にまとめることができた。実にわたしには馴染みの深い感覚(センス)と考え方(思考)である。

1。ポエジー
2。現実と夢
3。意識と無意識
4。本物と偽物
5。独白と対話
6。美徳と悪徳
7。意志と無意志
8。幼年時代
9。自己参照
10。俳句
詩と題された一連の詩は、俳句だと理解することができる。日本人ならば。
11。高等遊民と大衆
12。無計画

2012年7月7日土曜日

【西東詩集4】Freisinn(自由の感覚)


【西東詩集4】Freisinn(自由の感覚)

【原文】

Freisinn

Lasst mich nur auf meinem Sattel gelten!
Bleibt in euren Huetten, euren Zelten!
Und ich reite froh in alle Ferne,
Ueber meiner Mütze nur die Sterne.

Er hat euch die Gestirne gesetzt
Als Leiter zu Land und See;
Damit ihr euch daran ergötzt,
Stets blickend in die Hoehe.


【散文訳】

自由の感覚

わたしをただわたしの鞍の上にいさせてくれ!
(わたしには、その価値があるのだ)
お前達は、お前達の小屋の中、お前達のテントの中に引っ込んでいろ!
そして、わたしは嬉々としてあらゆる遠くへと駱駝に乗って行くのだ
わたしの帽子の上には、ただ星々のあるばかり

彼は、お前達に星辰、星座を置いた
陸と海の指導者として
それによって、お前達が、星座を享受し、楽しむようにと
いつも高みを眺め遣りながら

【解釈】

前回の護符の詩のところでも述べましたが、最初のHegire(ヘジラ)という遁走の詩の次に、魔物や災いから我が身を護る護符を歌ったという順序には、意味のあることだと思います。これは、ゲーテがこの西東詩集の詩を詠むために必要な順序です。

そうして、今回の詩は、Freisinn、自由な思想、自由な考え、または自由な志操という題の詩であるからには、尚更。

まづ、遁走し、そうして結界を結び、その世界で自由に感じ、自由に考える、そのようなこころを歌うという順序で西東詩集の詩の世界を創造するというゲーテのこころを知ることができます。

この詩は短いですが、誠によい詩です。

最初の連で、駱駝に乗ってと訳しましたが、実は駱駝とは言葉が明示されておりません。何か動物に乗って、自由の天地を駈けるのです。アラビアの世界ですし、テントとあるので、敢えて駱駝として訳しました。

第2連の彼とは、イスラムの神だと思います。この神は、陸と海を行くものの導き手である。

詩を書くためには、結界が必要だということを、この詩は示していると思います。

お前達は、すっこんでいろ!、俺は行きたいところへ行くのだ!というゲーテの啖呵は、実に気持ちのいいものがあります。

その結界は、やはり個人的なだけのものでは全然なく、このように豊かな社会、宗教、宇宙があって成り立つものだということが、しみじみと思われます。


















第29週: (小人) by Dieter Roth (1930 - 1998)



第29週: (小人) by Dieter Roth (1930 - 1998) 

【原文】

Auf einem kühlen Berg,
an eines Hauses Wand,
hinter einem Fenster,
bei Sonnenschein,
da ward mir schlecht,
da ward mir suess,
da hat er mich fertiggemacht,
der innere Zwerg
mit seiner Turnerei
zwischen meinen Ohren.


【散文訳】

涼しい山の上に
一軒の家の壁の傍に
窓の後ろに
太陽の光が燦々としているところで
そうすると、そこで、わたしの気分が悪くなったり
そうすると、そこで、甘い気分になったり
そうすると、そこで、彼奴がわたしをノックアウトした
内なる小人が
その体操をして
わたしの両耳の間で

【解釈と鑑賞】

この詩人のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Dieter_Roth

これによれば、アイスランドの詩人です。詩人であるばかりではなく、造形作家、画家でもあります。精悍な顔つきをした作家です。

最初は商業アートの世界にいましたが、パウル•クレーの絵画に触れて、衝撃を受け、絵画と造形の道に入って来たとあります。

そ思ってこの詩を読むと、この詩も、思いなしか、パウル•クレーの絵に似ています。

パウル•クレーの絵の持つ構成要素とその配置を、同様にこの詩人の言葉に於いて思わせるものがあります。

内なる小人とは、この詩人のもうひとりのわたしなのでしょう。

人間ではなく、小人であるところに、この詩人の創作の秘密が隠れているのだと思います。

その衝動を小人と言った。

わたしは、この詩を読んで、トーマス•マンの「Der kleine Friedemann」(小男フリーデマン)を思い出しました。



2012年7月4日水曜日

【Eichendorfの詩3】Allgemeines Wandern (みんなの旅)


【Eichendorfの詩3】Allgemeines Wandern (みんなの旅)

【原文】

Allgemeines Wandern

Vom Grund bis zu den Gipfeln,
So weit man sehen kann,
Jetzt blueht's in allen Wipfeln,
Nun geht das Wandern an:

Die Quellen von den Klueften,
Die Ström auf grünem Plan,
Die Lerchen hoch in Lueften,
Der Dichter frisch voran.

Und die im Tal verderben
In trueber Sorgen Haft,
Er moecht sie alle werben
Zu dieser Wanderschaft.

Und von den Bergen nieder
Erschallt sein Lied ins Tal,
Und die zerstreuten Brueder
Fasst Heimweh allzumal.

Da wird die Welt so munter
Und nimmt die Reiseschuh,
Sein Liebchen mittendrunter
Die nickt ihm heimlich zu.

Und ueber Felsenwaende
Und auf dem grünen Plan
Das wirrt und jauchzt ohn Ende -
Nun geht das Wandern an!


【散文訳】

みんなの旅

大地の底から山巓までも
かくも遥々(はるばる)と見渡すことができ
さあ、これから全ての梢で花がさき
こうして、いよいよ旅が始まるのだ

大地の割れ目から湧く泉
青い平野の川の流れ
空中高く飛ぶ雲雀
詩人は新鮮なこころで前進する。

そして、谷に住む人々は腐って行く
暗い心配事に捕われて
詩人は、その人々をみな
この旅に加わるように誘いたいのだ。

そして、山々から降って来て
詩人の歌が谷の中へと響き渡る
そして、気もそぞろになった兄弟達を
同時に郷愁が捕まえるのだ。

さあ、そこで、世界はかくも陽気になり
そして、旅の靴を履き
詩人の恋人も一緒に捉えると
娘は詩人に密やかに頷(うなづ)いて合図をする。

そして、岩の壁を超えて
そして、青い平野を進み
それは、際限なく、混乱し、歓声を上げるのだ
こうして、今、旅が始まるのだ!


【解釈と鑑賞】

谷に住む人々が腐って行くという一行は、強い一行です。

腐って行くとは、滅び、死んで行くということでもあります。

これで、旅がどのようなものであるかが、逆に良く理解されます。それは、常にfrisch、新鮮であるということなのです。

前の二つの詩もそうでしたが、frisch、新鮮という形容詞が深い意味を持っています。そして、季節は春である。

そうして、新鮮であり、春であることは、そうである旅は、いつも際限なく混乱し、紛糾し、歓声を上げている。

これが、今まで見たところの、アイヒェンドルフの旅のイメージ、形象です。

そうして、題名に戻ってみると、この詩の題名は何を意味しているのでしょうか。

Allgemeinとは、共通の、公共の、一般のという意味です。
わたしは、みんなの旅と訳しましたが、恐らく詩人のこころは、旅人の旅は、自分ひとりのためなのではなく、みんなの為にも旅するものなのだというこころではないでしょうか。

どんな人が旅をしても、旅とはこのようになり、このようであるものなのだということを言っている題名なのだと思います。



2012年7月1日日曜日

倉田良成の「グラベア樹林篇」を読む


倉田良成の「グラベア樹林篇」を読む

倉田さんの「グラベア樹林篇」を読んだので、その感想をここに書き記すことにします。

全部で18編の文章からなる、これは詩集です。

一篇一篇は、形式は散文ですが、その散文的スタイルの根底にあるのは、一貫して詩であり、Poesieのある場所から言葉が発せられ、記述されています。

「17 祝祭譜」に、

このマツリの中心的概念というべきものは、マツリの意義をなすものであると同時に、最も空虚な中心でもあって、いわば語根が活用を持ち、言語が用法のうちに姿を表すごとき、言葉のあらわれについての秘事だが、そのこと自体の本質は絶対的に明かされることはない。

と書いているこの一行が示す通りに、倉田さんは間違いなく宇宙が生まれる瞬間を知っている、知悉している人間、即ち芸術家、更に即ち言語芸術家、更に即ち詩人であるということを証明しています。

上の一行は無駄がなく、言葉が正確に使用されています。誤解を恐れずに言えば、言葉を正しく使用することのできる詩人は少ない。詩人の特権は言葉に意義と意味を賦与する能力ですが、(それが譬喩の能力、特に隠喩の能力です)、体系、システムの均衡、バランスを知り、感覚して言葉を正しく使用することのできる詩人は少ない。このバランスを知らない人間には、上の一行は書けないことをわたしは知っています。

この一行は、他の詩篇にもそのまま適用され、他の詩篇をも説明する一行です。この一行からみても、この詩篇は、「樹林篇」という名前が示す通りの「入り組み、錯綜しを極め、見通しがたい、相互に絡み合う世界の諸神話の様態を喚起させる」(「18 ヤムタラ帝紀」)ものとなっています。

しかし、その複雑錯綜の根底にあるのは、実に単純な思想です。あるいは、倉田さんが言語と詩の探究の果てに発見した、賢者だけの知る宇宙の唯一の絶対的な規則です。上の一行は賢者の石です。詩人ならばdie Poesieというでせう。

この18編は、理論(註釈と解釈)と実践(実作)からなっています。実作たる詩篇の後ろに註釈または解説としての理論篇がついているというセットの構成になっている。

この理論と実践という考えと実行がまた倉田さんの人生の道筋であり、如何にも倉田さんらしいと思います。また、この理論と実践という考え方は、わたしの人生の脈絡に大いに通じてもいるのです。

さて、普通の思考ならば、最初に来る筈の「18 ヤムタラ帝紀」という系図、系譜の話が最後に置かれています。それは何故でしょうか。

これは、この詩篇が、構造を備えていて、時間を捨象している、即ちこの詩篇が神話であることを保証している詩篇の順序であることを示しています。

その構造を保証しているのは、上で引用した一行に代表される思想です。(同じ値、valueを持った一行は、この詩篇の至るところにあります。)思想であり、また認識です。

この詩篇を読んでいて、わたしはトーマス•マンの言葉を思い出しました。それは、作品は自分の意志を超えて、自分の意志とは別の意志を持った生物として成長し、増殖して行くという認識を語った言葉です。

倉田さんの理論篇を読んで、同じ意識によって、言及されている文を散見しましたので、この詩篇はまさしく、そのようにして生まれた生物なのです。

小説に限らず、詩というものは、言語による芸術作品というものは、そのような生物ではないでしょうか。それ故に、多様な解釈、多義的な解釈を許容する。安部公房も自分の作品についてマンと同じことを言っていたことを今思い出します。

倉田さんが理論と実践で、この詩篇をまとめあげたということは何を、これから意味するかというと、倉田さんの詩の言葉に神話が宿る、そのような詩を書く事が一層できるようになった、そのような段階に来たということを、倉田さんの人生において、意味しています。

このように考えて来ると、この詩篇は、今の現代の日本語圏の詩人達、社会を忘れて呆けて、自分のことしか書く事のできない、あるいは自分のことすら書く事のできない、自分自身の無能についての自覚のない、そういう意味では愚かな、詩人達の在り方に対する、強烈な徹底的な批判となっていることに気づきます。

これから倉田さんが書く詩篇を楽しみとする読者の一人です。








【西東詩集3】Segenpfaender(祝福を担保するもの)


【西東詩集3】Segenpfaender(祝福を担保するもの)

【原文】

Segenpfaender

Talisman in Carneol
Gläubigen bringt er Glück und Wohl;
Steht er gar auf Onyx Grunde,
Küss ihn mit geweihtem Munde!
Alles Uebel treibt er fort,
Schützet dich und schützt den Ort:
Wenn das eingegrabne Wort
Allahs Namen rein verkuendet,
Dich zu Lieb' und Tat entzündet.
Und besonders werden Frauen
Sich am Talisman erbauen.

Amulette sind dergleichen
Auf Papier geschriebne Zeichen;
Doch man ist nicht im Gedränge
Wie auf edlen Steines Enge,
Und vergönnt ist frommen Seelen
Laengre Verse hier zu waehlen.
Maenner haengen die Papiere
Gläubig um, als Skapuliere.

Die Inschrift aber hat nichts hinter sich,
Sie ist sie selbst, und muss dir alles sagen,
Was hinterdrein, mit redlichem Behagen,
Du gerne sagst: Ich sag' es! Ich!

Doch Abraxas bring ich selten!
Hier soll meist das Fratzenhafte,
Das ein düstrer Wahnsinn schaffte,
Für das Allerhöchste gelten.
Sag' ich euch absurde Dinge,
Denkt, dass ich Abraxas bringe.

Ein Siegelring ist schwer zu zeichen,
Den hoechsten Sinn im engsten Raum;
Doch weisst du hier ein Echtes anzueignen,
Gegraben steht das Wort, du denkst es kaum.


【散文訳】
祝福を担保するもの

紅玉髄の石の中にある、タリスマンと呼ばれる魔除けの護符
これは、幸せと繁栄を信ずる者に齎す
この護符は、それに、縞瑪瑙の石の土台の上にある
この護符に、清められた唇で口づけせよ
全ての悪を、この護符は追い払い
お前を護り、そしてその場所を守る
彫られた言葉がアラーの名前を純粋に告げる度に
お前に愛と行いへの火を付ける。
そして、特にご婦人方は
護符によって、信仰心を深めることであろう。

アムレットと呼ばれる護符は、同様の
紙に書かれた印(しるし)だ
しかし、宝石の狭い石の上のようには
犇めき合ってはいない
そして、信心深い魂にとっては恵まれていることには
より長い詩行を、ここでは選択することができるのだ
男達は、紙を、スカプラリオとして、信心深く肩に掛ける。

銘は、しかし、その背後には何も持っていない
銘はそれ自体銘であり、そしてお前に
その背後にあって、誠実なこころの愉快を以て
お前が喜んでこのように言うすべてを言わなければならない
即ち、わたしがそれを言うのだ、それを言っているのはわたしだ!

しかし、わたしが、アブラクサスという名前の護符を持って来ることは稀だ
この護符は、多くの場合、暗い狂気がつくった
奇怪な悪鬼風のものが、最高のものと見なされている。
お前達に馬鹿げたことを言はう
わたしがアブラクサスを持って来ることを考えてみよ

印章指環は、描くことが難しい
狭い空間の中にあるその最高の意味を
しかし、お前は、この指環で本当のものを会得することができる
彫られているのはその言葉だが、お前にはほとんど考えが及ばない

【解釈】

これは、魔除けの護符を歌った詩です。

護符と、それの持つ霊力、霊験を歌っています。

各連の最初にその護符の名前が挙げられていますが、それらは皆、原文では斜字体で書かれています。

第1連は、紅玉髄という、美しい赤い色の石です。この石におまじないの言葉が、魔除けの言葉が彫られているのでしょう。

それがどのような石であるのかは、今はGoogleの画像検索で容易に、その写真を見ることができます。

第2連は、紙でできた護符です。この紙の上に魔除けの言葉が書かれているのでしょう。

そうして、それをカソリックの修道士が肩から前後に掛ける外衣(スカプラリオ)のように掛けている。

その文字は、宝石の上に書くのとは違って、余裕がある。

第3連は、護符に刻されている銘文についての連です。そこに彫られている銘文は、見たものが思っていることそのものをズバリ言い表していて、思わず、それは自分自身が言っている言葉なのだと言ってしまいたい程の言葉なのです。

第4連、最後の連は、印章指環、即ち手紙等を封印するための印を押す指環についての連です。そこに彫られている言葉は、ほとんど考えたこともない言葉、普通にはほとんど理解することのない言葉だと歌われています。これも封印するためのものということから、やはり護符の一種だと考えることができます。

こうして4つの連を読んでみて、題名の意味に戻ると、それぞれの連で歌われている護符が、神の祝福をカタにとるもの、カタにとって、代わりに何かを与えるものということになるでしょう。あるいは、そのような祝福の保証者です。

あるいは、逆に、信者から何かを担保にとって、神の祝福、ご加護を与えるもの(担保するもの)という意味です。

後者の方がよいかも知れません。

詩人が詩集を編纂する上で、詩の順序には、やはり意味があることでしょう。

最初のHegire(ヘジラ)という遁走の詩の次に、魔物や災いから我が身を護る護符を歌ったという順序には、意味のあることだと思います。これは、必要な順序です。

そうして、次の詩は、Freisinn、自由な思想、自由な考えという題の詩であるからには、尚更。

まづ、遁走し、そうして結界を張り、その世界で自由に感じ、自由に考える、そのような順序でこの詩の世界を創造するというゲーテのこころを知ることができます。