2015年3月1日日曜日

Sieben Häute(7つの皮膚):第10週 by Sarah Kirsch(1935 ー 2013)


Sieben Häute(7つの皮膚):第10週 by  Sarah Kirsch(1935 ー 2013)



【原文】

Die Zwiebel liegt weißgeschält auf dem kalten Herd
Sie leuchtet aus ihrer innersten Haut daneben das Messer
Die Zwiebel allein das Messer allein die Hausfrau
Lief weinend die Treppe hinab so hatte die Zwiebel
Ihr zugesetzt oder die Stellung der Sonne überm Nachbarhaus
Wenn sie nicht wiederkommt wenn sie nicht bald
Wiederkommt findet der Mann die Zwiebel sanft und das
     Messer beschlagen


【散文訳】

玉葱が、白く皮を剥(む)かれて、冷たい竃(かまど)の上にいる
玉葱は、その内側の皮膚の中から発光していて、その横にナイフがある
玉葱は一人、ナイフは一人、その家の主婦は
泣きながら、階段を走って降りたが、それほど、玉葱は
主婦を苦しめたのだ、或いは、隣家の上の太陽の位置が、主婦を苦しめたのだ
もし主婦が再び戻って来なければ、もし主婦がぢきに
再び戻って来なければ、夫は玉葱が柔らかくなっているのを見つけ、そして、その
ナイフが錆びているのを見つける


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。ドイツの詩人、それも東ドイツの詩人です。ベルリンの壁の崩壊も経験した詩人です。

日本語のWikipedia:http://goo.gl/u2NdEY
ドイツ語のWikipedia:http://de.wikipedia.org/wiki/Sarah_Kirsch

7つの皮膚という題名ですが、これは何を意味しているのでしょう。

隣家の上の太陽の位置が、主婦を苦しめたのだ、とありますので、日本語で言えば
隣の家の芝生は青く見えたということ、何か隣の家の家庭は明るく太陽の光に照らされて
いたということ、それに対して、この主婦の家は暗く、太陽の陽が差し込まないので、
主婦は孤独で一人、ナイフも一人で孤独、しかし、太陽の代わりに、玉葱が内部から
光を発して、毎日毎日仕事をする台所を照らしてくれているということなのでしょう。

そうして、その玉葱は、例によって涙腺を刺激しますから、このことに掛けて、詩人は
主婦の苦しみからなのか、この玉葱が光を発してくれていて自分を救ってくれていることに
涙したのか、泣きながら階段を降りて外へ走り出るのです。

しかし、こうしてみると、台所が階段の上にあるというのも解せません。従い、この詩の第一行の竃は、二階のこの主婦の部屋にあるのでしょう。しかし、ということは、この主婦は、この玉葱を二階の自分の部屋の竃の上の置いていたということになります。何故ならば、玉葱は内部から光を発して、その暗い部屋を照らしてくれたからでしょう。二階に竃など本来ありませんから、それほどこの女性は孤独であったということなのです。

この女流詩人は、同じ詩人の夫と離婚をしておりますので、その前に書いた詩ではないかと思います。


かうしてみますと、冒頭の問い、即ち、7つの皮膚という題名ですが、これは何を意味しているのでしょうか、という問いに答えることができます。

玉葱のように7つの皮膚を持って自分は、生活に堪えに堪えたけれども、もうその数々の皮を剥いて、自分は裸になりたいし、なったのだと、そうして、家を出るのだ、もう毎日料理をして来たナイフも孤独に錆びついているのだと、そのように、この詩は言っているのではないでしょうか。



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