【Eichendorfの詩107】Die Freunde5(友達5)の1
【原文】
1
Seh ich des Tages wirrendes Beginnen,
Die bunten Bilder fliehn und sich vereinen,
Mögt ich das schöne Schattenspiel beweinen,
Denn eitel ist, was jeder will gewinnen.
Doch wenn die Strassen leer, einsam die Zinnen
Im Morgenglanze wie Kometen scheinen,
Ein stiller Geist steht auf den dunklen Steinen,
Als wollt er sich auf alte Zeit besinnen:
Da nimmt die Seele rüstig sich zusammen,
An Gott gedenkend und an alles Hohe,
Was rings gedeihet auf der Erden Runde.
Und aus dem Herzen lang verhaltne Flammen,
Sie brechen fröhlich in des Morgens Lohe,
Da Grüß ich, Sänger, dich aus Herzensgrund!
【散文訳】
わたしは、昼間の混乱した始まりを目にする
多彩な形象が逃亡し、四散し、そして一つに成る
わたしは、この美しい影絵を泣きたい
といふのも、ひと誰もが獲得したいと思ふものは、虚栄であるからだ。
とはいへ、通りといふ通りが空虚に、屋根が孤独に
朝日の光の中で、彗星のやうに輝くならば
静かな精神が、暗い石畳の上に立つている
恰も古い時代を思ひ出すかの如くに。
さあ、そこで、魂は武装をして身を引き締める
神を祈念しながら、さうして、周囲にあつて、
地上の円の上で繁栄する全ての高みを思ひながら
さうして、こころの中からは、長く保たれた数々の炎が
陽気に、朝の烈火の中に押し入るのだ
そこで、わたしは挨拶をする、お前歌い手よ、お前に、こころの底から!
【解釈と鑑賞】
連詩5篇からなる詩『友達』の第5の詩です。
この第5の詩が更に3つに分かれています。その最初の詩が、これです。
第1連では、昼間の世界は虚栄に満ちたものであることが歌われています。この昼間の世界は影絵の世界であるという。これは全く、世間の目から見れば倒立し、倒錯したものに見えますが、しかし、この方が真実であり、真理なのです。
さうして、「恰も古い時代を思ひ出すかの如くに」静かな精神が、暗い石畳の上に立っているのだといふ。この恰も(als ob)とある以上、この精神のたっている暗い石畳という場所には時間がないのですし、それ故に、この精神は静かなのです。沈黙せる精神といってもよいでせう。
しかし、やはり朝が来る、さうして昼が来る。そのために、魂は武装をして、どのように生きるかが歌われているのが、第3連と第4連です。
訳していて思ふことは、この詩のドイツ語は、言葉としてみると、全くその通りで、即ち話者であるアイヒェンドルフと径庭がなく、言葉の方がアイヒェンドルフだということです。
0 件のコメント:
コメントを投稿