【西東詩集110】 ES IST GUT(佳きかな)
【原文】
BEI Mondschein im Paradeis
Fand Jehova im Schlafe tief
Adam versunken, legte leis
Zur Seit ein Eichen, das auch entschlief.
Da lagen nun, in Erdeschranken,
Gottes zwei lieblichste Gedanken. —
Gut!! rief er sich zum Meisterlohn,
Er ging sogar nicht gern davon.
Kein Wunder dass es uns berückt,
Wenn Auge frisch in Auge blickt,
Als hätten wirs so weit gebracht
Bei dem zu sein der uns gedacht.
Und ruft er uns, wohlan! es sei!
Nur, das beding ich, alle zwei.
Dich haben dieser Arme Schranken,
Liebster von allen Gottes-Gedanken.
【散文訳】
天国の月の光の元に
エホバは、アダムが眠りの中に深く
沈んでゐるのを見つけ、そつと
脇に、小さな卵ををいた、その卵もまた眠り込んだ。
そこには、かうして今や、地上の幾つもの棚の中に
神の最も愛する二つの思想が横たわっていた。
佳きかな!と、出来栄えの佳さに、神は自分自身に叫んだ
神は、そこから立ち去らうとさへ、なかなかしなかった。
恰も、わたしたちの事を思つた者の元にいる
ことになるようにと、わたしたちが事を運んだかの如くに
目が新鮮に目の中を見るほどに近く相対するならば
それが、わたしたちを魅惑するのは
何の不思議も無いことだ
そして、神は、さあさあ!よし!と、わたしたちに叫けぶ
私は、ただ二人である者達だけに限って、かうしてをきたいだけなのだ。
お前を、この 両の腕(かひな)の棚が所有するのだ
すべての神の思想の中の最も愛すべき思想よ。
【解釈と鑑賞】
この詩では、ゲーテ(話者)と、歌われている神とが一体となつてゐます。
特に、第二連の最後の、
私は、ただ、二人ともに、かうしてをきたいだけなのだ。
お前を、この 両の腕(かひな)の棚が所有するのだ
すべての神の思想の中の最も愛すべき思想よ。
といふ箇所では、さうなつてゐます。
しかし、第一連で、神は何故アダムの傍に卵ををくのでせうか。
これが謎です。
第二連の、
恰も、わたしたちの事を思つた者の元にいる
ことになるようにと、わたしたちが事を運んだかの如くに
目が新鮮に目の中を見るほどに近く相対するならば
それが、わたしたちを魅惑するのは
何の不思議も無いことだ
とあるこの詩行は、神がそつとアダムの傍に卵ををいて、この詩行で歌はれた通りになつてゐることをいつてゐるのでせう。
それと同時に、この詩行は、神の御心を、人間のこのやうな心情から推し量って、第一連で神がアダムと卵の傍を立ち去り難かつたことの理由を述べてゐます。
神の仕事を人間の仕事の場合に置き換えてゐるのです。
さうして、
Nur, das beding ich, alle zwei.
といふ一行をだう解釈するかをあれこれと思案をして、このalle zweiをだう取るかといふと、
1。アダムと卵
2。すべての二人組みのものたち
といふ二つの解釈が成り立つと考へました。
上記2の考へから、この詩を歌つてゐるのは、女性だと考へると、第2連の最後の二行、即ち、
お前を、この 両の腕(かひな)の棚が所有するのだ
すべての神の思想の中の最も愛すべき思想よ。
のお前をのお前が、男性であることの説明がつくと考へました。
さう思へば、何故第一連で、神がアダムの傍に卵ををくのかの説明もつくやうに思ひます。
すると、第二連のわたしたちという複数二人称は、恋人同士の二人、即ちハーテムとズーライカといふことになります。その名前は、この詩の中のどこにも出て参利ませんけれども。
しかし、ゲーテは何故この寓話の巻の最後にこの詩を措いたのでせうか。
この最後の詩は、真ん中のWunderglaube(奇蹟を起こす信心)を挟んで、最初の無題の詩に対応し、照応してゐるのだと、わたしは思ひます。
冒頭の詩にある真珠のこころを以って、2番目の詩、即ち Wunderglaube(奇蹟を起こす信心)といふ寓話詩にある数々の局面での苦労を凌いで生きることができれば、最後のこの、ES IST GUT(佳きかな)といふ神に嘉(よみ)されるところに至るといふことなのではないでせうか。
しかし、確かなことは、この詩中で、ゲーテは、神であり、アダムであり、卵であり、話者たる女性であるといふ事です。
言葉との関係で、実に変幻自在、自由自在、融通無碍の境地にゐるゲーテがゐることになります。
【原文】
BEI Mondschein im Paradeis
Fand Jehova im Schlafe tief
Adam versunken, legte leis
Zur Seit ein Eichen, das auch entschlief.
Da lagen nun, in Erdeschranken,
Gottes zwei lieblichste Gedanken. —
Gut!! rief er sich zum Meisterlohn,
Er ging sogar nicht gern davon.
Kein Wunder dass es uns berückt,
Wenn Auge frisch in Auge blickt,
Als hätten wirs so weit gebracht
Bei dem zu sein der uns gedacht.
Und ruft er uns, wohlan! es sei!
Nur, das beding ich, alle zwei.
Dich haben dieser Arme Schranken,
Liebster von allen Gottes-Gedanken.
【散文訳】
天国の月の光の元に
エホバは、アダムが眠りの中に深く
沈んでゐるのを見つけ、そつと
脇に、小さな卵ををいた、その卵もまた眠り込んだ。
そこには、かうして今や、地上の幾つもの棚の中に
神の最も愛する二つの思想が横たわっていた。
佳きかな!と、出来栄えの佳さに、神は自分自身に叫んだ
神は、そこから立ち去らうとさへ、なかなかしなかった。
恰も、わたしたちの事を思つた者の元にいる
ことになるようにと、わたしたちが事を運んだかの如くに
目が新鮮に目の中を見るほどに近く相対するならば
それが、わたしたちを魅惑するのは
何の不思議も無いことだ
そして、神は、さあさあ!よし!と、わたしたちに叫けぶ
私は、ただ二人である者達だけに限って、かうしてをきたいだけなのだ。
お前を、この 両の腕(かひな)の棚が所有するのだ
すべての神の思想の中の最も愛すべき思想よ。
【解釈と鑑賞】
この詩では、ゲーテ(話者)と、歌われている神とが一体となつてゐます。
特に、第二連の最後の、
私は、ただ、二人ともに、かうしてをきたいだけなのだ。
お前を、この 両の腕(かひな)の棚が所有するのだ
すべての神の思想の中の最も愛すべき思想よ。
といふ箇所では、さうなつてゐます。
しかし、第一連で、神は何故アダムの傍に卵ををくのでせうか。
これが謎です。
第二連の、
恰も、わたしたちの事を思つた者の元にいる
ことになるようにと、わたしたちが事を運んだかの如くに
目が新鮮に目の中を見るほどに近く相対するならば
それが、わたしたちを魅惑するのは
何の不思議も無いことだ
とあるこの詩行は、神がそつとアダムの傍に卵ををいて、この詩行で歌はれた通りになつてゐることをいつてゐるのでせう。
それと同時に、この詩行は、神の御心を、人間のこのやうな心情から推し量って、第一連で神がアダムと卵の傍を立ち去り難かつたことの理由を述べてゐます。
神の仕事を人間の仕事の場合に置き換えてゐるのです。
さうして、
Nur, das beding ich, alle zwei.
といふ一行をだう解釈するかをあれこれと思案をして、このalle zweiをだう取るかといふと、
1。アダムと卵
2。すべての二人組みのものたち
といふ二つの解釈が成り立つと考へました。
上記2の考へから、この詩を歌つてゐるのは、女性だと考へると、第2連の最後の二行、即ち、
お前を、この 両の腕(かひな)の棚が所有するのだ
すべての神の思想の中の最も愛すべき思想よ。
のお前をのお前が、男性であることの説明がつくと考へました。
さう思へば、何故第一連で、神がアダムの傍に卵ををくのかの説明もつくやうに思ひます。
すると、第二連のわたしたちという複数二人称は、恋人同士の二人、即ちハーテムとズーライカといふことになります。その名前は、この詩の中のどこにも出て参利ませんけれども。
しかし、ゲーテは何故この寓話の巻の最後にこの詩を措いたのでせうか。
この最後の詩は、真ん中のWunderglaube(奇蹟を起こす信心)を挟んで、最初の無題の詩に対応し、照応してゐるのだと、わたしは思ひます。
冒頭の詩にある真珠のこころを以って、2番目の詩、即ち Wunderglaube(奇蹟を起こす信心)といふ寓話詩にある数々の局面での苦労を凌いで生きることができれば、最後のこの、ES IST GUT(佳きかな)といふ神に嘉(よみ)されるところに至るといふことなのではないでせうか。
しかし、確かなことは、この詩中で、ゲーテは、神であり、アダムであり、卵であり、話者たる女性であるといふ事です。
言葉との関係で、実に変幻自在、自由自在、融通無碍の境地にゐるゲーテがゐることになります。
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