【西東詩集111】 PARSI NAMEH BUCH DES PARSEN(パルシー教徒の巻):VERMÄCHTNIS ALTPERSISCHERN GLAUBENS
【原文】
VERMÄCHTNIS ALTPERSISCHERN GLAUBENS
Welch Vermächtnis, Brüder, sollt’ euch kommen
Von dem Scheidenden, dem armen Frommen,
Den ihr Jüngeren geduldig nährtet,
Seine letzten Tage pflegend ehrtet?
Wenn wir oft gesehen den König reiten,
Gold an ihm und Gold an allen Seiten,
Edelstein’ auf ihn und seine Grossen
Ausgesät wie dichte Hagelschlossen,
Habt ihr jemals ihn darum beneidet?
Und nicht herrlicher den Blick geweidet,
Wenn die Sonne sich auf Morgenflügeln
Darnawends unzähligen Gipfelhügeln
Bogenhaft hervorhob? Wer enthielte
Sich des Blicks dahin? Ich fühlte , fühlte
Tausendmal, in so viel Lebenstagen,
Mich mit ihr, der kommenden, getragen,
Gott auf seinem Throne zu erkennen,
Ihn den Herrn des Lebensquells zu nennen,
Jenes hohen Anblicks wert zu handeln
Und in seinem Lichte fortzuwandeln.
Aber stieg der Feuerkreis vollendet,
Stand ich als in Finsternis geblendet,
Schlug den Busen, die erfrischten Glieder
Warf ich, Stirn voran, zur Erde nieder.
Und nun sei ein heiliges Vermächtnis
Brüderlichem Wollen und Gedächtnis:
Schwerer Dienste tägliche Bewahrung,
Sonst bedarf es keiner Offenbarung.
Regt ein Neugeborner fromme Hände,
Dass man ihn sogleich zur Sonne wende,
Tauche Leib und Geist im Feuerbade!
Fühlen wird es jeden Morgens Gnade.
Dem Lebenden übergebt die Toten,
Selbst die Tiere deckt mit Schutt und Boden,
Und so weit sich eure Kraft erstrecket
Was euch unrein dünkt es sei bedecket.
Grabet euer Feld ins zierlich Reine,
Dass die Sonne gern den Fleiß bescheine
Wenn ihr Bäume pflanzt, so sei’s in Reihen,
Denn sie lässt Geordnetes gedeihen.
Auch dem Wasser darf es in Kanälen
Nie am Laufe, nie an Reine fehlen;
Wie euch Senderud aus Bergrevieren
Rein entspringt, soll er sich rein verlieren.
Sanften Fall des Wassers nicht zu schwächen,
Sorgt die Gräben fleissig auszustechen;
Rohr und Binse, Molch und Salamander,
Ungeschöpfte! tilgt sie miteinander.
Habt ihr Erd’ und Wasser so im Reinen,
Wird die Sonne gern durch Lüfte scheinen,
Wo sie, ihrer würdig aufgenommen,
Leben wirkt, dem Leben Heil und Frommen.
Ihr, von Müh zu Mühe so gepeinigt,
Seid getrost, nun ist das All gereinigt,
Und nun darf der Mensch, als Priester, wagen
Gottes Gleichnis aus dem Stein zu schlagen.
Wo die Flamme brennt erkennet freudig:
Hell ist Nacht und Glieder sind geschmeidig,
An des Herdes raschen Feuerkräften
Reift das Rohe Tier- und Pflanzensäften.
Schleppt ihr Holz herbei, so tut mit Wonne,
Denn ihr tragt den Samen irdscher Sonne;
Pflückt ihr Pambeh, mögt ihr traulich sagen:
Diese wird als Docht das Heilge tragen.
Werdet ihr in jeder Lampe Brennen
Fromm den Abglanz höhern Lichts erkennen,
Soll euch nie ein Missgeschick verwehren
Gottes Thron am Morgen zu verehren.
Da ist unsers Daseins Kaisersiegel,
Uns und Engeln reiner Gottesspiegel,
Und was nur am Lob des Höchsten stammelt
Ist in Kreis’ um Kreis dort versammelt.
Will dem Ufer Senderuds entsagen,
Auf zum Daranwend die Flügel schlagen,
Wie sie tagt ihr freudig zu begegnen
Und von dorther ewig euch zu segnen.
WENN der Mensch die Erde schätzet,
Weil die Sonne sie bescheinet,
An der Rebe sich ergötzte,
Die dem scharfen Messer weinet -
Da sie fühlt dass ihre Säfte,
Wohlgekocht, die Welt erquickend,
Werden regsam vielen Kräften,
Aber mehreren erstickend —:
Weiss er das der Glut zu danken
Die das alles lässt gedeihen
Wird Betrunkner stammelnd wanken,
Mäßiger wird sich singend freuen.
【散文訳】
古代ペルシャの信仰の遺言
どんな遺言が、同胞(はらから)よ、お前たちのところに来ることになっているのか
あの分かつ者から、あの貧しい敬虔なる者から
お前たち、より若い者たちが、忍耐強く養った其の者から
お前たちが、その者の最後の日々を大切にしながら、尊敬している其の者から
わたしたちは、王が騎行するのをよく見かけたが、そのたびごとに
王には黄金が、すべての場所には黄金が
王と王の高官たちの上へ、宝石が
密に詰まった雹(ひょう)の粒のように、種子が播(ま)かれた
お前たちは、それ故に、嘗(かつ)て王を羨望したのではないか?
そして、(王を視る)その視線をもっと楽しませなかったのではないか
太陽が朝の翼に乗って
ダルナベンド山脈の数限り無い、山の頂きの丘々に
弓なりになって、立ち上がった其の度ごとに?誰が
その光景を見るのを止めただろうか?わたしは感じた、感じたのだ
幾千回も、かくも沢山の人生(生命)の日々の中で
わたしが、太陽と一緒に、そのやって来るものと一緒に、運ばれるのを
玉座の上にゐる神を認識するために
神を、生命の源泉の主人と呼ぶために
あの高貴な姿に価するように行動するために
そうして、神の光の中で、更に前へと逍遥するために。
しかし、火の円環は、完成して登ったのだ
わたしは、闇の中でのように、目が眩(くら)んで、立ってゐた
胸を打ち、新鮮になった四肢を
わたしは、額を前にして、大地に投げた。
さて、こうして今や、神聖なる遺言は
同胞(はらから)の意志と記憶のために
(神への)重たき奉仕の、日々の維持(勤め)であれ
さなくんば、(神の)啓示など不要であった。
新しく生まれた者が、敬虔な両手を動かすと
この者を直ちに太陽に向けようと
体と精神を、火の浴湯の中に浸(ひた)せ!
日々の朝の(神の)恵みを感じることになるのだから。
生きている者に、死者たちを譲るがいい
動物さへをも、瓦礫と土で覆ふのだ
そして、お前たちの力の伸びて及ぶ限り
お前たちにとって不純に思えるもの、これは覆われてあれ。
お前たちの野原を、優美な純粋なるものの中へと埋めるのだ
太陽が、喜んで勤勉を照らすために
お前たちが数々の樹木を植えるのであれば、秩序正しく植えるがいい
何故ならば、太陽は、秩序立てられたものを繁栄させるからだ。
水もまた、数々の運河の中にあって
走ることにも、純粋であることにも、決して不足することはない
お前たちから、センデルート河が、鉱山警察管区の中から外へと
純粋に飛び出して来るように、センデルート河は、純粋に消失する運命にあるのだ。
水の柔らかな瀧を、弱めないようすることに
数々の墓を勤勉に掘って、中のものを取り出すことに心を砕きなさい
葦とヨシを、井守(イモリ)と蜥蜴(とかげ)を
これらの汲めど尽きないものたち!これらを、互いに互いを使って、消去しなさい。
大地と水を、そのように、純粋なるものの中に持ちなさい、そうすれば、
太陽は、喜んで、空気を貫いて輝き
太陽は、大地と水にふさわしいように受け入れてくれて
生命を働かせ、生命に安寧とご利益を授けてくれる。
お前たちは、苦労から苦労へとかくも苛(さいな)まれているが
慰められてあれ、こうして今や、宇宙が純粋になったのだから
そうして、今や、人間は、僧侶のように、果敢にも
神の似姿(火花)を、石の中から(鑿を加えて)打ち出すことが許されているのだから。
炎が燃える場所で、喜んで認識するがいい、即ち
夜は明るく、四肢は柔らかく、しなやかになり
竈(かまど)の性急な火の諸力に触れて
生(なま)のものが、動物や植物の液体を熟成させるのだ。
お前たちの材木をひきづって持って来い、歓喜を以って、そうするのだ
というのは、お前たちは、地上の太陽の種子を運んでいるのだからだ
お前たちのパムベー(綿花)を引き抜くがいい、そうして、のびのびと気持ちよく、こう言うがいいのだ:
パムベー(綿花)は、ランプの芯として、神聖なるものを運ぶことになるのだ、と。
お前たちは、どのランプの燃え盛る 中にも
敬虔に、より高貴な光の反照を認識するならば
神の玉座を、朝になって礼拝することを
不運や災難が拒むことはないのだ。
そこで、(ランプは)わたしたち此の世の身分の者の持つ皇帝の印章ということになるのだ
わたしたちと天使たちにとっては、純粋な神の鏡だ
そして、最高のものの賞賛にのみ吃るものが
環(わ)になり 環を重ねて、そこに集まっているのだ。
わたしが、センデルード河の岸辺を断念して
ダランヴェンド山脈を目指して、両の翼を以って羽ばたきたい
その山々が朝を迎える通りに、山々に喜んで出逢うために
そして、そこから永遠に、お前たちを祝福するために。
もし人間が大地を大切に思うならば
何故ならば、太陽は大地を照らすという理由で
鋭いナイフに(切られることに)泣くことになる其の
葡萄の蔓に慰めを得て、太陽は楽しむのであるという理由で
そうであれば、太陽は、葡萄の蔓の樹液が
よく煮立てられて、世界を慰めながら
たくさんの力の元で活発に動くようになる
しかし、それ以上多くのものを窒息させながらー
ということを感じるのである。即ち、
もし人間が、それを、こういったこと総てを繁栄させる炎熱に感謝することができるならば
酔っ払いは、吃りながら、よろめき歩くことになり
もっと節度をもって、歌いながら、楽しむことになるだろう。
【解釈と鑑賞】
これは、古代ペルシャの拝火教、ゾロアスター教の僧侶の言葉を詩に仕立てたものです。
第一連の、
あの分かつ者から、あの貧しい敬虔なる者から
お前たち、より若い者たちが、忍耐強く養った其の者から
お前たちが、その者の最後の日々を大切にしながら、尊敬している其の者から
と謳われている、これらの者とは、この僧侶たる話者でありましょう。
この者は、分かつ者、関係を裁断するものであり、同時に貧しく敬虔なる者だと呼ばれています。興味ふかいことは、この者を、より若い世代が育てるのだと歌われていることです。
この分かつ者という呼び名は、最後から二つ目の連の、
わたしが、センデルード河の岸辺を断念して
ダランヴェンド山脈を目指して、両の翼を以って羽ばたきたい
その山々が朝を迎える通りに、山々に喜んで出逢うために
そして、そこから永遠に、お前たちを祝福するために。
という言葉からわかるように、最後にはセンデルード河の流れる町を遠く離れて、ダランヴェンド山脈の中に行って、そこで永遠の命を得て、そのより若いものたちを祝福するのだというのです。
巻末の註釈によれば、センデルード河は、Ispahanという都市の中を流れている河で、その源泉は、ダランヴェンド山脈の中にあるとのことです。ペルシャの古代の旅行記にはそうあると書いております。
そうして、このイスパハンという都市の南に、ダランヴェンド山脈があります。
このゲーテの詩の背景にある歴史的事実は何かといえば、それは、アッバス朝のシャーのうち、偉大なるシャーと呼ばれたシャーの時代に、このシャーがそれまで迫害されて、また所払いにあっていた古い宗教の信者たちを、自分の王宮のある町、即ちイスパハンの、城壁の外にあるGaurabadという土地を譲り、そのために、古い宗教の僧侶である此の詩の話者もイスパハンを出て、従い、最後から二連にあるように町を去り、「センデルード河の岸辺を断念して」「ダランヴェンド山脈」を目指して飛翔することになったということなのです。
恐らく、イスパハンの、城壁の外にあるGaurabadという土地では生きて行けないことであったのでせう。そのような苛烈な植民、移住であったのでせう。
ですから、この巻一巻を当てた此の詩は、年老いた拝火教の僧侶が、若者たちに別れを告げる 遺言の詩であるということができるのです。
それ故の、この詩の題名なのです。
この詩を読みますと、ゾロアスター教の教えは、太陽を礼拝し、その火を尊び、火がすべてを消滅させると共に、すべてを純化してくれる火の中の火であるということです。
しかし、他方、第十一連に、
水もまた、数々の運河の中にあって
走ることにも、純粋であることにも、決して不足することはない
お前たちから、センデルート河が、鉱山警察管区の中から外へと
純粋に飛び出して来るように、センデルート河は、純粋に消失する運命にあるのだ。
とあるように、火を打ち消す水の流れもまた純粋であり、消失する、純粋なものは消失すると考えられています。
最後から3つめの連の、
そこで、(ランプは)わたしたち此の世の身分の者の持つ皇帝の印章ということになるのだ
わたしたちと天使たちにとっては、純粋な神の鏡だ
そして、最高のものの賞賛にのみ吃るものが
環(わ)になり 環を重ねて、そこに集まっているのだ。
とある最後の行の 環は、炎の環であるかも知れません。
しかし、そうとっては、あるいは意味が狭くなるかと思いましたので、そのままに訳しました。この環は、しかし、闇の中にあって、確かに炎の環を含むものだと思います。
この地上にある相反するもの、相矛盾するものをそのままに尊び、その対立と矛盾を炎によって浄化する、それも第七連にあるように、
同胞(はらから)の意志と記憶のために
(神への)重たき奉仕の、日々の維持(勤め)であれ
というこころを以って、日々精進する生活を通じて、その浄化があるということなのです。
この一巻をそのまま、このような一篇の詩を以って当てたゲーテの意図や如何に。これは、このままゲーテの遺言であることは間違いがないでありませう。
詩人は、このように自国からも距離ををかずにはゐられないのです。
次回は、西東詩集最後の巻、天国の巻に入ります。