2014年12月7日日曜日

【Eichendorfの詩95】Zum Abschied(別れに臨んで)



Eichendorfの詩95Zum Abschied別れに臨んで)  
  

【原文】

Der Herbstwind schüttelt die Linde,
Wie geht die Welt so geschwinde!
Halte dein Kindlein warm.
Der Sommer ist hingefahren,
Da wir zusammen waren -
Ach, die sich lieben, wie arm!

Wie arm, die sich lieben und scheiden!
Das haben erfahren wir beiden,
Mir graut vor dem stillen Haus,
Dein Tüchlein noch lässt du wehen,
Schau still in die Gasse hinaus.

Die Gassen schauen noch nächtlich,
Es rasselt der Wagen bedächtig -
Nun plötzlich rascher der Trott
Durchs Tor in die Stille der Felder
Da grüssen so mutig die Wälder,
Liebe Töchterlein, fahre mit Gott!


【散文訳】

秋の風が、菩提樹を揺らす
何とまあ、世界は、かくも速やかに過ぎ行くことか!
お前の子供を暖かいようにしなさい
夏は、過ぎ去った
わたしたちが一緒にいたというのに
ああ、お互いに愛し合ったわたしたちが。何と哀れなことか!

何と哀れなことか、お互いに愛し合った者たちが、別れるとは!
それを、わたしたち二人が経験したのだ
わたしは、この静かな家の前で、白髪になる
お前のハンカチを、まだ風になびかせるがいい
静かに、小路の中を見遣るがいい。

小路は、また夜めいて、見ている
馬車が疑い深げに、がたがた音を立てている
と、突然に、より一層急激に、馬の諾足(速歩)が音を立てる
町の門を潜り、野原の静けさの中に入る
すると、そこでは、陽気に、森という森が挨拶をする
愛する娘たちよ、神と共に行くがいい!


【解釈と鑑賞】

第1連は、季節の過ぎ行くはやさを嘆いている。

夏とは、朱夏であって、人生の夏、すなわち青春と解して、いでしょう。何故ならば、その季節に出会ったわたしたちの別れを歌っているからです。

青春時代に出会ったものたちが別れなければならないという主題は、普遍的な主題です。わたしは、E.T.A.ホフマンの『セラピオン同盟』(Die Serapion Brüder)を思い出します。

第2連では、その別れのことが一層歌われています。

二行目の、

この静かな家の前で、わたしは白髪になる。

或いは、

この静かな家の前で、わたしは灰色になる


と訳すこともできる一行があります。

静かな家とは、愛する娘の居ない、空虚な、からぽその家という意味ではないかと思います。

そう解すれば、その次の行の、

お前のハンカチを、まだ風になびかせるがいい

を理解することができます。このハンカチは、別れの印に馬車から身をのりだして、振っているものでしょう。

娘は、かうして、馬車に乗って旅立ったのです。

さうして、いつものアイヒェンドルフの詩に特徴的なように、町の城門を出て、野原の、従い自然の中へと入って行くのです。

実際には、別れ別れになるわけですから、それは哀れでありますが他方、別れた娘は、自然の中へ、森の中へと入って行くのですから、この詩を歌う詩人にとっては辛いことではなく、むしろ、神とともに行け!という祝福の言葉になるのでしょう。



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