【西東詩集99】 Suleika(ズーライカ)
【原文】
WIE mit innigstem Behagen,
Lied, empfind’ ich deinen Sinn!
Liebevoll du scheinst zu sagen:
Daß ich ihm zur Seite bin.
Daß er ewig mein gedenket,
Seiner Liebe Seligkeit
Immerdar der Fernen schenket,
Die ein Leben ihm geweiht.
Ja! mein Herz es ist der Spiegel,
Freund! worin du dich erblickt,
Diese Brust, wo deine Siegel
Kuß auf Kuß hereingedrückt.
Süßes Dichten, lautre Wahrheit
Fesselt mich in Sympathie!
Rein verkörpert Liebesklarheit,
Im Gewand der Poesie.
LASS den Weltenspiegel Alexandern;
Denn was zeigt er? - Da und dort
Stille Völker, die er mit den andern
Zwingend rütteln möchte fort und fort.
Du! nicht weiter, nicht zu Fremdem strebe!
Singe mir, die due dir eigen sangst.
Denke daß ich liebe, daß ich lebe,
Denke daß du mich bezwangst.
DIE Welt durchaus ist lieblich anzuschauen,
Vorzüglich aber schön die Welt der Dichter;
Auf bunten, hellen oder silbergrauen
Gefilden, Tag und Nacht, erglänzen Lichter.
Heut ist mir alles herrlich; wenns nur bliebe!
Ich sehe heut durchs Augenglas der Liebe.
IN TAUSEND Formen magst du dich verstecken,
Doch, Allerliebste, gleich erkenn ich dich;
Du magst mit Zauberschleiern dich bedecken,
Allgegenwärtge, gleich erkenn ich dich.
An der Zypresse reinstem, jungen Streben,
Allschöngewachsne, gleich erkenn ich dich;
In des Kanales reinem Wellenleben,
Allschmeichelhafte, wohl erkenn ich dich.
Wenn steigend sich der Wasserstrahl entfaltet,
Allspielende, wie froh erkenn ich dich;
Wenn Wolke sich gestaltend umgestaltet,
Allmannigfaltge, dort erkenn ich dich.
An des geblümten Schleiers Wiesenteppich,
Allbuntbesternte, schön erkenn ich dich;
Und greift umher ein tausendarmger Eppich,
O! Allumklammernde, da kenn ich dich.
Was ich mit äußrem Sinn, mit innerm kenne,
Du Allbelehrende, kenn ich durch dich;
Und wenn ich Allahs Namenhundert nenne,
Mit jedem klingt ein Name nach für dich.
【散文訳】
最も親密な心地よさで以ってのように
歌よ、わたしはお前の感覚(意義)を感じるのだ!
愛に満ちて、前はこう歌っているように見える:
わたしが彼(ハーテム)の傍(そば)にいるのだということを。
彼が永遠にわたしのことを忘れないということ
彼の愛の至福が
いついつまでも、遠いこと(ふたりが離れ離れになっていること)に贈り物をするということ
ひとつの生命が彼に奉納した其の遠いことに
そう!わたしのこころ、それは鏡
友よ!その中に、あなたはあなたを見る
この胸を、そこには、あなたの封印が
接吻に接吻を重ねて捺印するのです。
甘い詩作、純粋な真実が
わたしを共感の中に捉えて、縛り付ける!
純粋に、愛の清澄を具体化するのです
詩情(ポエジー)の長衣を纏(まと)って
世界という鏡をして、アレクサンダー詩行の形式をとらしめよ
何故なら、その鏡が何を示すと思う?ーそこにも、ここにも
静かな民の姿を示すのです、鏡が、他の民と一緒に
強制しながら、先へ先へと、がたがた音を立てながら進んで行きたい静かな民を。
あなた!それ以上先へ行かないで、見知らぬ男の方へ行かうとしないで!
わたしに歌って、あなたが自分のものだと歌ったこのわたしに
わたしは愛しているということ、わたしは生きているということを考えて
あなたは、わたしに強いたということを考えて。
世界は徹頭徹尾、愛らしく見ることができる
特に、しかし、詩人の世界は美しいものです
多彩な、明朗な、または銀鼠色の
広野に、昼と夜に、光という光が輝いている。
今日は、わたしには全てが荘厳である;すべてが只々そのままに留まってくれればいいのに!
わたしは、今日は、愛の眼鏡を通して見ているのです。
千の姿をして、お前はお前を隠したがる
しかし、最も愛する人よ、直ぐにわたしはお前とわかるのだ
お前は、魔法のヴェールで、お前を覆い隠したいと思っている
最も現前するものよ、直ぐにわたしはお前とわかるのだ。
糸杉の最も純粋で、若々しい努力をみると
最も美しく成長した人よ、直ぐにわたしはお前とわかるのだ
運河の純粋な波の生命の中に
最も愛らしい人よ、間違いなく、わたしはお前とわかるのだ
もし段々と、水の流れの迸(ほとばし)りが開いて行くならば
最も無心に遊んでいる人よ、わたしはお前と知ってどんなに嬉しいことか
もし雲が形をなしながら、姿を組み替えるならば
最も多種多様である人よ、そこに、わたしはお前を見るのだ。
花の盛りのヴェールの、草原の絨毯に
最も多彩に星を散りばめられた人よ、美しいお前を知るのだ
そして、周りにある千もの腕を持った常春藤(きづた)を掴みなさい
おお!最もかたく巻きつく人よ、そうら、わたしはお前を知っているのだ。
山岳に、朝が点火するときにはいつでも
直ぐに、最も明朗にする人よ、わたしはお前に挨拶をする
すると、わたしの頭上で、天が純粋に丸くなり
最もこころを広げてくれる人よ、すると、わたしはお前を呼吸しているのだ。
わたしが外側の感覚で、内側の感覚で、知ることを
お前、最も教えれてくれる人よ、わたしはお前を通して知るのだ。
そして、もしわたしがアッラーの名前を百回呼ぶときにはいつも
どの名前で呼んでも、ひとつの名前がお前の為に余韻となって鳴り響いているのだ。
【解釈と鑑賞】
Suleikaの題のもとに、4つの詩が収められています。
ドイツ語の原文では、それぞれの詩の最初の蓮の冒頭の一語を大文字で表して、それを示しています。
訳の方には、下線を付して、それを示しました。
かうして読んでみますと、最初の3つの詩はズーライカの歌った詩、最後の4番目の詩がハーテムが歌った詩ということが判ります。
丁度文字の分量も半分半分になっているのではないかと思います。
最初の詩の4連目に、甘い詩作、純粋な真実とある此の言葉は、ゲーテの自伝『詩と真実』という題名を思わせます。ゲーテにとっては、詩作をすることが、生きていることの真実を語ることだったのだということが、やはり此の恋愛詩のこの一行を見ても判ります。
70歳を過ぎての此の最晩年の詩集においても、この言葉の組み合わせを大切にしているゲーテですから、これ以前の作品のこころもまた詩にあったと言ってよいのではないでしょうか。
この言葉の組み合わせを、自分が文字で書くのではなく、愛する女性から受け取ることのできたゲーテは、幸せを感じたことでしょう。
さて、この長い詩を以って、ズーライカの巻は終わりとなります。
次は、酌人の巻です。ドイツ語で、と言ってもアラビア語で書かれている最初の題名は、SAKI NAMEHであり、SAKIということから、これもドイツ人は日本の酒をSAKIと発音しますので、なんともぴったりとして有難い題名です。
ドイツ語では、SAKI NAMEHに続いて、DAS SCHNKENBUCH、酌人の書と名前がついています。
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