2014年10月11日土曜日

【西東詩集89】 Suleika



【西東詩集89】 Suleika


【原文】

Suleika

War Hatem lange doch entfernt,
Das Mädchen hatte was gelernt,
Von ihm war sie so schone gelobt,
Da hat die Trennung sich erprobt.
Wohl!dass sie dir nicht fremde scheinen:
Sie sind Suleikas, sind die deinen.

Behramgur, sagt man, hat den Reim erfunden,
Er sprach entzückt aus reiner Seele Drang;
Dilaram schnell, die Freundin seiner Stunden,
Erwiderte mit gleichem Wort und Klang.

Und so, Geliebte! warst du mir beschieden
Des Reims zu finden holden Lustgebrauch,
Dass auch Behramgur ich, den Sassaniden,
Nicht mehr beneiden darf: mir ward es auch.

Hast mir dies Buch geweckt, du hasts gegeben;
Denn was ich froh, aus vollem Herzen sprach,
Das klang zurück aus deinem holden Leben,
Wie Blick dem Blick, so Reim dem Reime nach.

Nun tön es fort zu dir, auch aus der Ferne;
Das Wort erreicht, und schwände Ton und Schall.
Ists nicht der Mantel noch gesäter Sterne?
Ists nicht der Liebe hochverklärtes All?

DEINEM Blick mich zu bequemen,
Deinem Munde, deiner Brust,
Deine Stimme zu vernehmen
War die letzt- und erste Lust.

Gestern, ach! war sie die letzte,
Dann verlosch mir Leucht und Feuer,
Jeder Scherz der mich ergetzte
Wird nun schuldenschwer und teuer.

Eh es Allah nicht gefällt
Uns aufs neue zu vereinen,
Gibt mir Sonne, Mond und Welt
Nur Gelegenheit zum Weinen.



【散文訳】

ハーテムが、長い事、遠く居なくなったものだから
この生娘も、何かを学んだのです
娘は、ハーテムに、かくもよく褒められました
だから、別れが自らを試したのです
そう、きっと、かく在る二人が、あなたには常ならぬものには見えないということ、即ち
ふたりは、ズーライカのものであり、ふたりは、あなたのものなのだということを、試したのです。

ベハラムグーアは、とひとは言うのだけれど、韻律を発明したのだと
彼は、純粋な魂の衝動の中から、有頂天になって話をした
ディララムは、素早く、彼の授業の時間の女友達に
同じ言葉と響きを以て、その質問に答えた

そして、そう、愛する者よ!お前は、わたしには
韻律の、優美な悦楽の使用を発見するよう定められていたのだ
ベハラムグーアがわたしだとしても、ササン朝ペルシャの人たちを
もはやこれ以上羨むことはゆるされない。つまり、わたしにも、それと同じことが起こったのだ。

この巻は、わたしを目覚めさせたのだ、お前がこの巻を呉れたのだ、
というもは、わたしが、満腔の悦びを以て話したことは
お前の優美な生の中から、響き返して来たのだから
眼差しが、眼差しに倣(なら)ひ、韻律が韻律に倣ふやうに。

さて、かうなったことであるから、この巻は、お前の所へと進み往き、鳴り響くがよい、また遠くからであらうと、鳴り響くがよい。というのも、
言葉は実際に到達する、そうすれば、音と響きが消え失せようから。
この巻は、もっと播種された星々の外套ではないのか?
この巻は、愛の、高々と神々しく輝く万有ではないのか?

お前の眼差しが、わたしを安楽にするということ
お前の唇(くちびる)が、お前の胸が、わたしを安楽にするということ
お前の声を聞き取るということ
これらのことは、最後で最初の悦びだ。

昨日は、ああ!その悦びは、最後の悦びであった
すると、灯りと炎が、わたしから消え失せ
わたしを悦ばせたどの戯れ言も
今や、負債の重さとなり、また高いものについくことになる。

わたしたちを、新たにひとつに結びつけることが
アッラーのお気に召さぬことになる前に
わたしに太陽と月と世界を呉れ
泣くための機会を呉れ



【解釈と鑑賞】

このズーライカという題名である筈のこの詩は、詩の題名と歌われている内容との関係が、非常に複雑微妙な関係にある詩です。

もし今迄のように、その詩の題名が示す名前が、その詩を歌っている者だという理解であると単純で判りやすいのですが、この詩の題がズーライカであるから、この詩を歌っているのがズーライカかというと、ズーライカであったり、ハーテム(ゲーテ)であったりするのです。

話者が、巧みに入れ替わります。

ですから、この詩の題名のズーライカは、ハーテムが呼びかけてズーライカと呼んだそのズーライカという意味にもとることができます。

ふたりの恋人が混然一体となっています。それほどに、この詩は、一連のこの巻の中の詩のうちでも、とりわけ重要な詩なのです。

第2連のベハラムグーアとは、ササン朝ペルシャの王様で、5世紀のひと。音楽と詩を愛し、これらの藝術を支援したと、註釈にあります。

また、ディララムという人物は、この王様の奴隷の名前です。註釈に、Herzensruheと、この奴隷のことを言っておりますから、ベハラムグーアという王様は、この奴隷といると、こころが安らかになったのでしょう。そういう間柄のふたりの名前です。

Dilaram schnell, die Freundin seiner Stunden,
Erwiderte mit gleichem Wort und Klang.

とありますので、この奴隷は、やはり学識も豊かな、また美しい言葉とその響きで、何かを教えることを、親しい友人たちにしていたのだと思われます。

第5連もまた、複雑な連です。

Nun tön es fort zu dir, auch aus der Ferne;
Das Wort erreicht, und schwände Ton und Schall.
Ists nicht der Mantel noch gesäter Sterne?
Ists nicht der Liebe hochverklärtes All?
さて、かうなったことであるから、この巻は、お前の所へと進み往き、鳴り響くがよい、また遠くからであらうと、鳴り響くがよい。というのも、
言葉は実際に到達する、そうすれば、音と響きが消え失せやうから。

一行目の tönは、接続法I式、二行目のerreichtは、現実のことの話法、即ち現在形、同じ行のschwände は、接続法II式。schwände が単数なのは、Ton und Schallを一つのまとまり、一式と見ているからでしょう。

schwände Ton und Schallとあるので、実際には、そうではなく、音と響きは残って、いつまでも鳴り響いているのです。それを、敢えて接続法II式で表したというそのこころは、やはり、それほどにこの音と響きは、ズーライカとのこの恋の中で生まれたものである以上、現実を遥かに離れて、誠に尊く、得難いものであるからでありませう。

三行目の、

この巻は、もっと播種された星々の外套ではないのか?

とある一行の意味は、星々は、種を播かれたように宇宙に散在していて、実際に芽を出し成長するものであり、そのような星々が、外套にすっぽりと包まれている、その外套が、このズーライカの巻という相聞歌集であるというのです。

シュールレアリスムの詩を読むような一行です。

最後の連で、呼びかけている相手は、勿論、ズーライカです。







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