2014年5月10日土曜日

【Eichendorfの詩 65】Umkehr(帰還)

【Eichendorfの詩 65】Umkehr(帰還)

【原文】

Leben kann man nicht von Tönen,
Poesie geht ohne Schuh,
Und so wandt ich denn der Schönen
Endlich auch den Rücken zu.

Lange durch die Welt getrieben
Hat mich nun die irre Hast,
Immer doch bin ich geblieben
Nur ein ungeschickter Gast.

Überall zu spät zum Schmause
Kam ich, wenn die andern voll,
Trank die Neigen vor dem Hause,
Wusst nicht, wem ich’s trinken soll.

Musst mich vor Fortuna bücken
Ehrfurchtsvoll bis auf die Zeh’n,
Vornehm wandt sie mir den Rücken,
Liess mich so gebogen stehen.

Und als ich mich aufgerichtet
Wieder frisch und frei und stolz,
Sah ich Berg’ und Tal gelichtet,
Blühen jedes dürre Holz.

Welt hat eine plumpe Pfote,
Wandern kann man ohne Schuh―
Deck mit deinem Morgenrote
Wieder nur den Wandrer zu!


【散文訳】

楽の音だけで生きることはできない
詩情(ポエジー)は、靴がなければ歩けない
そして、わたしは、だから、美しい人に
ついに、実際、背を向けたのだ。

さて、そういうわけで、狂気の躁急は
長い間、世界中わたしを追い立てた
しかし、わたしは、いつも
ただの不器用な客のままであった。

どこでも、宴会に来るには遅すぎて
他人が腹一杯になったところで、わたしは到着するのだ
家の前で頽廃を飲んだ
わたしが誰のために飲むべきなのかを知らなかった。

わたしは、幸運の女神の前で背を屈(かが)めた
恭(うやうや)しく、足のつま先まで
高貴に、その女神は、わたしに背を向けて
わたしを、曲がったままに立たせておいた。

そして、再び新鮮に自由に誇り高く
わたしが身を起こし、立てたときに
わたしは、山や谷が明るくあるのを観た
どの痩せた樹木も花咲いているのを観た。

世界は、不格好で粗野な前足を持っている
旅を、靴を履かずにすることはできない
お前の曙光で、覆(おお)え
再び、ただ旅人だけを!


【解釈と鑑賞】

題名のドイツ語、Umkehrを帰還と訳しましたが、また回心と訳しても間違いではないと思われる。

第1連の「美しい人」は、実際の女性の恋人、憧れのひとという意味かも知れません。しかし、これは深読みを承知でいうならば、この美しい女性は、第2連に出て来るdie Welt、世界であるという解釈も成り立ち得るかも知れません。最後の連で歌っている世界をみると、此世界を粗野な前足として歌っていますので、第2連の世界と最後の連の世界では、世界に対する態度が変わっていることがわかります。それは後述します。

さて、第1連で歌っているのは、芸術だけでは生きてはいけないということ、歌や詩作だけでは、生活ができないということ。ということであれば、美しい人とは、美の女神であるかも知れません。そのように読むことも可能です。

第3連は、まったくその通りのことでありませう。世間はいつも急ぎ、わたしは取り残され、いつも遅くやってくる。詩人は、この世では、いつも不器用な客人である。

第5連の

Sah ich Berg’ und Tal gelichtet,
わたしは、山や谷が明るくあるのをみた

とあり、わたしはこのように訳しましたが、lichtenという動詞の意味は、樹木を伐採して、森に光を入れるという意味です。そうして、森や木々が、透いて、光輝くさまを言っています。

第4連の

Vornehm wandt sie mir den Rücken,
Liess mich so gebogen stehen.
高貴に、その女神は、わたしに背を向けて
わたしを、曲がったままに立たせておいた。

から、第5連の

Und als ich mich aufgerichtet
Wieder frisch und frei und stolz,
そして、再び新鮮に自由に誇り高く
わたしが身を起こし、立てたときに

までの間には、きっと苦しみの時間があったことでせう。この苦悩の時間を、空白の行間で、詩人は示しております。

最後の連の

Welt hat eine plumpe Pfote
世界は、不格好で粗野な前足を持っている

と訳した一行の意味は、eine plumpe PfoteのPfoteのドイツ語での用例を見ますと、それは、何か悪いことをしたときに、丁度犬の前足を叩いて、強く礼儀、礼節を教えるようなときに、前足が出て参ります。


だから、旅をするには靴が必要だというのです。この一行は、それまでの、世界、世間に対する感じ方、考え方から一転していて、その意味では、題名のUmkehr、回帰、回心になっております。

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