2014年1月25日土曜日

【Eichendorfの詩 53-4】Sonette(ソネット)

【Eichendorfの詩 53-4】Sonette(ソネット)

【原文】

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Nicht Träume sind's und leere Wahngesichte,
Was von dem Volk den Dichter unterscheidet.
Was er inbruenstig  bildet, liebt und leidet,
Es ist des Lebens wahrhafte Geschichte.

Er fragt nicht viel, wie ihn die Menge richte,
Der eignen Ehr nur in der Brust vereidet;
Denn wo begeistert er die Blicke weidet,
Gruesst ihn der Weltkreis mit verwandtem Lichte.

Die schöne Mutter, die ihn hat geboren,
Den Himmel liebt er, der ihn auserkoren,
Lässt beide Haupt und Brust sich heiter schmücken.

Die Menge selbst, die herbraust, ihn zu fragen
Nach seinem Recht, muss den Beglückten tragen,
Als Element ihm bietend ihren Rücken.


【散文訳】

夢ではなく、虚しい狂気の顔ではないのだ
大衆を、詩人が分つものは
詩人が熱心に形成し、愛しそして苦しむものは
それは、生命の真性の歴史(物語)なのだ。

詩人は、有象無象が詩人をし向けるようには、多くを問わずに
自分に固有の名誉に対して、唯胸の内で、宣誓するのだ;
何故ならば、詩人が熱狂して眼差し(眼)を楽しませるところでは
世間が、詩人を、親しい光(灯火)で挨拶をするのだから。

詩人を産んだ美しい母親を
詩人を選びとった天を、詩人は愛するのだ
頭(かしら)も胸も両方とも、もっと明朗に飾るがいいのだ。

有象無象自身は、詩人に問うことを
その正義を問うことを騒がしく言うのだが、この幸運な男を担わねばならないのだ
自然(宇宙)の要素としての詩人に、彼等の背中を向けながら


【解釈と鑑賞】

詩人と大衆の乖離、永遠に理解されない詩人と大衆の関係を歌った詩だということができるでしょう。

ドイツ語で、die Menge、有象無象という言葉は、こうして読むと、強く響きます。

第3連の明朗にというheiterという言葉は、アイヒェンドルフの愛する言葉のひとつです。

最後の連の詩人の正義を問うと訳したところは、何故詩人が正しいのかを問うという意味です。それを問う事に世間は忙しく、喧(かまびす)しいが、第2連にあるように、詩人はこころ密かに吾が胸の内でのみ宣誓をするのです。

これが、詩人であり、無名の人生を生きる、天に選ばれた人間の人生であるというのです。

世俗の人間の選民意識とは大いに異なり、全く逆であると言ってもよいでしょう。

詩人、即ち言語の精華である詩を産み出す人間と社会との永遠に理解されない、世間からみたら倒錯している芸術家の在り方を歌った詩だということになります。

どちらが正気であり、どちらが狂気であるか。

最初の一行は、そのことを問うております。


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