2014年1月18日土曜日

【西東詩集57-4】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【西東詩集57-4】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【原文】

DUEMMER ist nichts zu ertragen,
Als wenn Dumme sagen den Weisen:
Dass sie sich in grossen Tagen
Sollten bescheidentlich erweisen.

WENN Gott so schlechter Nachbar waere
Als ich bin und als du bist,
Wir hätten beide wenig Ehre;
Der lässt einen jeden wie er ist

GESTEHTS! die Dichter des Orients
Sind Größer als wir des Okzidents.
Worin wir sie aber völlig erreichen,
Das ist im Hass auf unsresgleichen.

ÜBERALL will jeder obenauf sein,
Wie's eben in der Welt so geht.
Jeder sollte freilich grob sein,
Aber nur in dem was er versteht.

VERSCHON uns, Gott, mit deinem Grimme!
Zaunkoenige gewinnen Stimme.

WILL der Neid sich doch zerreissen,
Lass ihn seinen Hunger speisen.

SICH im Respekt zu erhalten
Muss man recht borstig sein.
Alles jagt man mit Falken,
Nur nicht das wilde Schwein.

WAS hilfts dem Paffen-Orden
Der mir den Weg verrannt?
Was nicht gerade erfasst worden
Wird auch schief nicht erkannt.

EINEN Helden mit Lust preisen und nennen
Wird jeder der selbst als Kühner stritt.
Des Menschen Wert kann niemand erkennen
Der nicht selbst Hitze und Kälte litt.


【散文訳】

これ以上馬鹿なことで、堪えられないものはない、
愚者が賢者に向かってこう言うのだ:
賢者は偉大な日々にあっても
謙虚に自分自身を示さなければならないのだ。

神がこれほどに、実際にこうしているわたしやお前よりも
悪い隣人であるとするならば;
我々は、両方ともに、尊敬の念を勝ち得ることが少ないだろう;
神は、各人を、神がそうであるようになすからである。

告白するがいい(認めよ)!東洋の詩人達は
西洋の詩人達である私達よりも偉大であると。
何の中で、私達は東洋の詩人達に、しかし、全く至っているかというと、
それは、私達西洋の詩人達への憎しみの中にあって、そうなのだ。

至る所で、誰もが上に行きたいと思っている
まさにこの世では、そのように起こるように。
誰もが勿論、粗雑ぞんざいにならずにはいられないのだろうが、
しかし、それは、その者が理解しているものの中においてのみである。

我等を慈しみ給え、神よ、お前の憤怒を以て!
みそさざいが、自分の声を獲得するのだ。

羨望が四分五裂すれば
羨望の空腹のままに食事をさせるがいい。

尊敬の中に自らを持するためには
まさしく無愛想でなければならぬ。
ひとは、総てを鷹を使って狩り
但し、野生の白鳥を狩ることはしないのだ。

騒がしいだけの連中の集まりに何の役に立とうか
私の行く道を邪魔する結社に?
よく理解されなかったものは
実際曲げても認識されることはないのだ。

一人の英雄を、陽気に褒め称え、そして、その名を呼ぶこと
自分自身、勇敢な者として、争う者なら誰でもが、そうする。
人間の価値は、誰も認識できないものだ
自分自身で熱と冷たさに苦しむことのない者には誰も。


【解釈】

第1の詩の「偉大な日々にあっても」の偉大なと訳したドイツ語のgrossに、ゲーテの皮肉が感ぜられます。このgross、大きいという語の選択そのものが、愚者の用語選択なのです。賢者はこのような曖昧な言葉使わず、使ったとしても、この語以外の語彙の選択が全くことなっていることでしょう。

言葉というものは、精妙であり、ゲーテはその極をしって使っていることがわかります。こんなgross、大きいという平凡な形容詞ひとつをとっても。

第3の詩は、何か当時の詩人の、世間からの扱いが、そうだというのでしょう。しかし、それ以上をゲーテは語っておりません。

みそさざいは、ドイツ語でZaunkoenig、垣根の王、従い、どの家の垣根にやってきてはやかましくまた傍若無人に振る舞い、しかし他方可愛らしく、ドイツ人に親しい鳥でもあるのでしょう。人間をそのみそさざいに譬えています。

最後の詩は、全くその通りだと思います。いうことはありません。

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