2014年1月25日土曜日

【西東詩集57-5】 Buch der Sprüche(箴言の書)

【西東詩集57-5】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【原文】

GUTES tu rein aus des Guten Liebe,
Was du tust verbleibt dir nicht;
Und wenn es auch dir verbliebe
Bleibt es deinen Kindern nicht.

SOLL man dich nicht aufs schmählichste berauben,
Verbirg dein Gold, dein Weggehn, deinen Glauben.

Wie kommts dass man an jedem Orte
So viel Gutes, so viel Dummes hört?
Die Juengsten wiederholen der Aeltesten Worte,
Und glauben dass es ihnen augehoert.

LASS dich nur in keiner Zeit
Zum Widerspruch verleiten,
Weise fallen in Unwissenheit
Wenn sie mit Unwissenden streiten.

》WARUM ist Wahrheit fern und weit?
Birgt sich hinab in tiefste Gruende?《

Niemand versteht zur rechten Zeit!―
Wenn man zur rechten Zeit verstuende:
So wäre Wahrheit nah und breit,
Und wäre lieblich und gelinde.

WAS willst du untersuchen
Wohin die Milde fliesst!
Ins Wasser wirf deine Kuchen,
Wer weiss wer sie geniesst.

ALS ich einmal eine Spinne erschlagen,
Dacht ich ob ich das wohl gestillt?
Hat Gott ihr doch wie mir gewollt
Einen Anteil an diesen Tagen!

》DUNKEL ist die Nacht, bei Gott ist Licht.
Warum hat er uns nicht auch so zugereicht?《


【散文訳】

善きことを純粋に善きものの愛の中から為せ
お前が為すことは、お前のもとには留まることがない
そして、もしそれがお前のもとに留まることがあるならば
それはお前の子供達のもとには留まらない。

もし人がお前を最も辱める仕方で奪うことがないのであれば(実際はそうではないので)
お前の黄金を隠せ、お前が立ち去ることを隠せ、お前の信仰を隠せ。

人がどの場所にあっても
それだけ多くの善き事を、それほど多くの愚かさを聞くことがあるのは、どのようにだろうか?
最も若いひとたちは、最も年取ったひとたちの言葉を繰り返し
そして、それが、自分たちの場合だと思うのだ。

決してどんな時でも、矛盾にお前自身を
誤って導くことをしてはならない
聡明な人々は、無知に落ちるのだ
もし無知な人々と争うのであれば。

》何故真理は遠く遥かなのか?
何故真理は下へと最も深い根拠の中へと隠れて入るのか?《

誰も正しい時に理解をしないのだ!
もし人が正しい時に理解をすれば(現実はそうではないが)
真理は近く、広い
そして、愛すべきものであり、柔和で寛大なものであることだろう(現実はそうではないが)。

お前が研究したいと思っているもの
そこへと、柔和さ(寛大さ)は流れて行くのだ!
水の中へと、お前の菓子を投げ入れてみるがよい
誰がそれを味わうのかを誰が知ろうか。

わたしは嘗(かつ)て一匹の蜘蛛を打ち殺したときに
わたしはそいつを間違いなく静かにさせたのだろうかと考えた。
同じ様に、神がその蜘蛛に対して、わたしに対してと同様に欲したのだ
今のこの日々の分け前を!。

》暗いのは夜であり、神のみもとには光がある。
何故神はわたしたちに、そのようには整えなかったであろうか?《


【解釈】

第1連は、その通りの箴言です。自分に執着して人に与えなければ、子々孫々の栄えるためしはないということでしょう。

第2連は、これも世間を生きる為の知恵であると思います。日本にあっても然りと、わたしは思います。世には隠れて生きなければなりません。デカルトの座右の銘のふたつの箴言を思い出しました。

ひとつは、オヴィディウスからとった『よく隠れた者こそよく生きた者である』、bene vixit, bene qui latuitであり、もうひとつは、セネカの悲劇『ティーエステス』からとった、「万人に識(し)られつつおのれ自身には識られざる者は、死に臨んで死を怖れる」、illi mors gravis incubat, qui notus nimis omnibus ignotus moritur sibi、です。

第3連の詩は、若いひとは、やはり人生で年老いたひとたちと同じ過ちを犯し、それを繰返すが故に、老いたひとたちの言葉は自分たちの言葉だと思うという意味でしょう。

第4連の詩は、これも世に生きる知恵というべきでありましょう。無知蒙昧なるものたちと争うことは人生の時間をどぶに捨てるようなものです。

第5連は、真理を探究する者にとっては、その通りの疑問と、或いは嘆きでありましょう。

第6連は、第5連を引き継いで、いつも真理を知ることと、それを知るタイミング(時機)とは、一致しない人間の常を歌っています。

第7連は、更に第6連を引き付いて、柔和さと寛大さを歌っています。その徳を、水に投げやるお菓子に譬(たと)えるゲーテの心情や如何に。確かに、その通りではないでしょうか。

こうしてみると、いづれも孤独に堪える言葉であるようです。

第8連は、蜘蛛を撃ち殺したように、神はわたしに同じことをしているということを歌った詩です。蜘蛛がそうであったように、それで生きていることが鎮まるこことはないのでしょうし、蜘蛛を殺しただけの報いをこの日々で甘受しているという風にも解釈ができるのではないかと思います。

最後の連は、神のみもとに光があるようには、人間のもとのにはいつも光があるのではないということを疑問文として歌った歌ということになります。

【Eichendorfの詩 53-4】Sonette(ソネット)

【Eichendorfの詩 53-4】Sonette(ソネット)

【原文】

                          5

Nicht Träume sind's und leere Wahngesichte,
Was von dem Volk den Dichter unterscheidet.
Was er inbruenstig  bildet, liebt und leidet,
Es ist des Lebens wahrhafte Geschichte.

Er fragt nicht viel, wie ihn die Menge richte,
Der eignen Ehr nur in der Brust vereidet;
Denn wo begeistert er die Blicke weidet,
Gruesst ihn der Weltkreis mit verwandtem Lichte.

Die schöne Mutter, die ihn hat geboren,
Den Himmel liebt er, der ihn auserkoren,
Lässt beide Haupt und Brust sich heiter schmücken.

Die Menge selbst, die herbraust, ihn zu fragen
Nach seinem Recht, muss den Beglückten tragen,
Als Element ihm bietend ihren Rücken.


【散文訳】

夢ではなく、虚しい狂気の顔ではないのだ
大衆を、詩人が分つものは
詩人が熱心に形成し、愛しそして苦しむものは
それは、生命の真性の歴史(物語)なのだ。

詩人は、有象無象が詩人をし向けるようには、多くを問わずに
自分に固有の名誉に対して、唯胸の内で、宣誓するのだ;
何故ならば、詩人が熱狂して眼差し(眼)を楽しませるところでは
世間が、詩人を、親しい光(灯火)で挨拶をするのだから。

詩人を産んだ美しい母親を
詩人を選びとった天を、詩人は愛するのだ
頭(かしら)も胸も両方とも、もっと明朗に飾るがいいのだ。

有象無象自身は、詩人に問うことを
その正義を問うことを騒がしく言うのだが、この幸運な男を担わねばならないのだ
自然(宇宙)の要素としての詩人に、彼等の背中を向けながら


【解釈と鑑賞】

詩人と大衆の乖離、永遠に理解されない詩人と大衆の関係を歌った詩だということができるでしょう。

ドイツ語で、die Menge、有象無象という言葉は、こうして読むと、強く響きます。

第3連の明朗にというheiterという言葉は、アイヒェンドルフの愛する言葉のひとつです。

最後の連の詩人の正義を問うと訳したところは、何故詩人が正しいのかを問うという意味です。それを問う事に世間は忙しく、喧(かまびす)しいが、第2連にあるように、詩人はこころ密かに吾が胸の内でのみ宣誓をするのです。

これが、詩人であり、無名の人生を生きる、天に選ばれた人間の人生であるというのです。

世俗の人間の選民意識とは大いに異なり、全く逆であると言ってもよいでしょう。

詩人、即ち言語の精華である詩を産み出す人間と社会との永遠に理解されない、世間からみたら倒錯している芸術家の在り方を歌った詩だということになります。

どちらが正気であり、どちらが狂気であるか。

最初の一行は、そのことを問うております。


Wirf deine Angst(お前の不安を投げつけろ):第5週 by Rose Auslaender(1901 - 1988)

Wirf deine Angst(お前の不安を投げつけろ):第5週 by  Rose Auslaender1901 - 1988





【原文】

Wirf deine Angst
in die Luft

Bald
ist deine Zeit um
bald
wächst der Himmel
unter dem Gras
fallen deine Träume
ins Nirgends

Noch 
duftet die Nelke
singt die Drossel
noch darfst du lieben
Worte verschenken
noch bist du da

Sei was du bist
Gib was du hast


【散文訳】


お前の不安を投げつけろ
空中に

あるときは
お前の時間が死に
あるときは
天(空)が成長して大きくなり
草の下では
お前の夢々が落ちて行く
どこにもない場所へと

まだ
カーネーションが薫っていて
ツグミが歌っていて
まだ、お前が愛することがゆるされているのだ
言葉を贈ることも
まだ、お前が今ここにこうして在るのだから

お前である者で在るがいい
お前の所有するものを与えるがいい


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書Wikipediaです。


http://de.wikipedia.org/wiki/Rose_Ausländer


この詩人は毎年登場しています。

この出版社の編者の好きな詩人なのでしょう。

最初の一行は、この女流詩人が自らに歌って歌のように聞こえます。

その他の行も連も、註釈は不要かと思います。


最後の連の2行が、最初の連の冒頭の2行と呼応しているのです。

2014年1月18日土曜日

【西東詩集57-4】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【西東詩集57-4】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【原文】

DUEMMER ist nichts zu ertragen,
Als wenn Dumme sagen den Weisen:
Dass sie sich in grossen Tagen
Sollten bescheidentlich erweisen.

WENN Gott so schlechter Nachbar waere
Als ich bin und als du bist,
Wir hätten beide wenig Ehre;
Der lässt einen jeden wie er ist

GESTEHTS! die Dichter des Orients
Sind Größer als wir des Okzidents.
Worin wir sie aber völlig erreichen,
Das ist im Hass auf unsresgleichen.

ÜBERALL will jeder obenauf sein,
Wie's eben in der Welt so geht.
Jeder sollte freilich grob sein,
Aber nur in dem was er versteht.

VERSCHON uns, Gott, mit deinem Grimme!
Zaunkoenige gewinnen Stimme.

WILL der Neid sich doch zerreissen,
Lass ihn seinen Hunger speisen.

SICH im Respekt zu erhalten
Muss man recht borstig sein.
Alles jagt man mit Falken,
Nur nicht das wilde Schwein.

WAS hilfts dem Paffen-Orden
Der mir den Weg verrannt?
Was nicht gerade erfasst worden
Wird auch schief nicht erkannt.

EINEN Helden mit Lust preisen und nennen
Wird jeder der selbst als Kühner stritt.
Des Menschen Wert kann niemand erkennen
Der nicht selbst Hitze und Kälte litt.


【散文訳】

これ以上馬鹿なことで、堪えられないものはない、
愚者が賢者に向かってこう言うのだ:
賢者は偉大な日々にあっても
謙虚に自分自身を示さなければならないのだ。

神がこれほどに、実際にこうしているわたしやお前よりも
悪い隣人であるとするならば;
我々は、両方ともに、尊敬の念を勝ち得ることが少ないだろう;
神は、各人を、神がそうであるようになすからである。

告白するがいい(認めよ)!東洋の詩人達は
西洋の詩人達である私達よりも偉大であると。
何の中で、私達は東洋の詩人達に、しかし、全く至っているかというと、
それは、私達西洋の詩人達への憎しみの中にあって、そうなのだ。

至る所で、誰もが上に行きたいと思っている
まさにこの世では、そのように起こるように。
誰もが勿論、粗雑ぞんざいにならずにはいられないのだろうが、
しかし、それは、その者が理解しているものの中においてのみである。

我等を慈しみ給え、神よ、お前の憤怒を以て!
みそさざいが、自分の声を獲得するのだ。

羨望が四分五裂すれば
羨望の空腹のままに食事をさせるがいい。

尊敬の中に自らを持するためには
まさしく無愛想でなければならぬ。
ひとは、総てを鷹を使って狩り
但し、野生の白鳥を狩ることはしないのだ。

騒がしいだけの連中の集まりに何の役に立とうか
私の行く道を邪魔する結社に?
よく理解されなかったものは
実際曲げても認識されることはないのだ。

一人の英雄を、陽気に褒め称え、そして、その名を呼ぶこと
自分自身、勇敢な者として、争う者なら誰でもが、そうする。
人間の価値は、誰も認識できないものだ
自分自身で熱と冷たさに苦しむことのない者には誰も。


【解釈】

第1の詩の「偉大な日々にあっても」の偉大なと訳したドイツ語のgrossに、ゲーテの皮肉が感ぜられます。このgross、大きいという語の選択そのものが、愚者の用語選択なのです。賢者はこのような曖昧な言葉使わず、使ったとしても、この語以外の語彙の選択が全くことなっていることでしょう。

言葉というものは、精妙であり、ゲーテはその極をしって使っていることがわかります。こんなgross、大きいという平凡な形容詞ひとつをとっても。

第3の詩は、何か当時の詩人の、世間からの扱いが、そうだというのでしょう。しかし、それ以上をゲーテは語っておりません。

みそさざいは、ドイツ語でZaunkoenig、垣根の王、従い、どの家の垣根にやってきてはやかましくまた傍若無人に振る舞い、しかし他方可愛らしく、ドイツ人に親しい鳥でもあるのでしょう。人間をそのみそさざいに譬えています。

最後の詩は、全くその通りだと思います。いうことはありません。

Wenn Dinge sprechen könnten(もし物が話せたら):第4週 by Wislawa Szymborska(1923 - 2012)


Wenn Dinge sprechen könnten(もし物が話せたら):第4週 by  Wislawa Szymborska1923 - 2012





【原文】

Wenn Dinge sprechen könnten - 
aber wenn sie sprechen könnten, könnten sie auch lügen.
vor allem die gewoehlichen, wenig geschätzten,
um endlich Aufmerksamkeit auf sich zu ziehen.
Grauenhaft sich vorzustellen,
was mir dein abgerissener Knopf sagen würde,
und dir - mein Wohnungsschlüssel,
der alte Schwätzer.


【散文訳】

もし物が話せたら―
しかし、もし物が話せたら、物はまた嘘もつけるだろう。
何よりも、普通の、少なく評価されている物たちが
ついには自分自身への注意を引こうとするために。

おぞましい想像だ
お前の引き裂かれたボタンがわたしに何を言うかを想像することは
そして、お前に―わたしの住まいの鍵が
この古いお喋り屋が。


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたウエッブサイトです。ポーランドの詩人です。




この詩人は去年も登場しました。1996年のノーベル文学賞受賞者。

去年の詩もそうでしたが、品のある、そうして味わいのある、いい詩です。


Wikipediaには詩のモーツァルトという呼称が書いてありましたが、さもありなむと思います。

【Eichendorfの詩 53-4】Sonette(ソネット)

【Eichendorfの詩 53-4】Sonette(ソネット)

【原文】

                          4

Wer einmal tief und durstig hat getrunken,
Den zieht zu sich hinab die Wunderquelle,
Dass er melodisch mitzieht, selbst als Welle,
Auf der Welt sich bricht in tausend Funken.

Es waechst sehnsuechtig, stuertzt und leuchtet trunken
Jauchzend im Innersten die heil'ge Quelle,
Bald Bahn sich brechend durch die Kluft zur Helle,
Bald kühle rauschend dann in Nacht versunken.

So lass es ungeduldig brausen, draengen!
Hoch schwebt der Dichter drauf in goldnem Nachen,
Sich selber heilig opfernd in Gesaegen.

Die alten Felsen spalten sich mit Krachen,
Von drüben Grüßen schon verwandte Lieder,
Zum ew'gen Meere fuehrt er alle wieder.


【散文訳】

一度、深く、そして飢(かつ)えて飲んだ者
その者を、不思議の泉は泉自身へと連れて行き
その者は、旋律に合わせるように一緒に行って、波さへもが
世界の上で、千の火花と散るのだ。

神聖なる泉は、憧れて育ち、墜落し、そして酔ふて輝き
歓喜の声をあげる、最も内奥で
あるときには、道が開けて、峡谷を通って、明るさへと向かいながら
またあるときには、冷たくさやけき音を立てて、今度は夜の中に沈みながら。

このように我慢無く立ち騒ぎ、押し寄せるままにさせておくがいいのだ!
高く、詩人がその上に、黄金の小舟にのって浮かんでいる
自分自身を神聖に犠牲として捧げながら、歌声の中にあって。

古い岩々が、音を立てて割れ
そこから、既に親しき歌々が挨拶をする
永遠の海へと、その者はみなを再び連れて行くのだ。

            
【解釈と鑑賞】

この詩が典型的なように、アイヒェンドルフが自然を歌っても、それは単に叙景の詩では全然ないことがおわかりでしょう。

泉、Quelleという以外にはない何ものかを、この詩人は知っていたということです。

そうであればこそ、この泉も、従い(そうは書いてありませんが)その水を飲む者も、育つばかりではなく、失墜もして、輝くのです。

何か、人間が生きるということの本質が凝縮されている詩のように思われます。


2014年1月12日日曜日

『リルケの空間論』を刊行しました



リルケ特有の空間について、『ドィーノの悲歌』を中心に論じました。 

日本文化を持っているわたしたちには、相撲という、リルケの空間を理解するために格好の譬喩(ひゆ)を持っていますので、そのことから、リルケの3つの空間を表す言葉の説明をし、読者の便宜を図り、一挙に本質論に至って、悲歌の世界の空間を論じることに成功しました。 

リルケという詩人を理解するためには、その空間に対する考え方を理解せずには、その詩を理解することができません。 

1月13日(月曜日)から5日間の無料キャンペーンが始まります。

是非、あなたに、お読み戴ければと思います。 

2014年1月11日土曜日

【西東詩集57-3】 Buch der Sprüche(箴言の書)

【西東詩集57-3】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【原文】

》WIE ungeschickt habt ihr euch benommen
Da euch das Glück ins Haus gekommen!《
Das Mädchen hast nicht übelgenommen,
Und ist noch ein paarmal wiedergekommen.

MEIN Erbteil wie herrlich, weit und breit!
Die Zeit ist mein Besitz, mein Acker ist die Zeit.

GUTES tu rein aus des Guten Liebe!
Das ueberliefre deinem Blut;
Und wenns den Kindern nicht verbliebe
Den Enkeln kommt es doch zugut.

Enweri sagte, ein herrlichster der Männer,
Des tiefsten Herzens, hoechsten Hauptes Kenner:
Dir frommt an jedem Ort, zu jeder Zeit
Geradheit, Urteil und Verträglichkeit.

WAS klagst du ueber Feinde?
Sollten solche je werden Freunde,
Denen das Wesen wie du bist
Im Stillen ein ewiger Vorwurf ist?


【散文訳】

》どんなにお前達が不器用に振る舞ったか
幸福が家の中に入って来たために!《
その娘(幸福)は悪くはとらなかったのだ
そして、まだ数回は、再び戻って来たのだ。


わたしの承継した遺産は、何と素晴らしく、広びろとしていることか!
時間が、わたしの財産であり、わたしの耕す土地は、時間である。


良き事をなせ、純粋に、善人の愛のこころから!
それがお前の血筋に何かを継承させることを;
そして、それが、子供達に何も残さないようなことがあれば
それは、必ず、孫のためになるのだ。


エンウェーリーは言った、男の中の素晴らしい男が、
最も深いこころの、最高の頭の識者が:
お前には、どこでも、いつでも
真っ直ぐであること、判断、そして忍耐が、役に立つのだ。


お前は、敵どもの何を嘆いているだ?
そいつらが、いつか友達になるということが万が一でもあるのであれば
お前がそうであるがままの本質は、そのような奴らにとっては
沈黙の中で、永遠の非難であるのだろうか?(と問うてみればよいではないか。)



【解釈】

どの連も、ゲーテの箴言です。

いづれも、註釈不要で、その通りではないかと思います。


【Eichendorfの詩 53-3】Sonette(ソネット)

【Eichendorfの詩 53-3】Sonette(ソネット)

【原文】

                          3

Ein Wunderland ist oben aufgeschlagen,
Wo goldne Ströme gehen und dunkel schallen,
Gesänge durch das Rauschen tief verhallen,
Die möchten gern ein hohes Wort dir sagen.

Viel goldne Brücken sind dort kühn geschlagen,
Darueber alte Brueder sinnend wallen―
Wenn Töne wie im Fruhelingsregen fallen,
Befreite Sehnsucht will dorthin dich tragen.

Wie bald laeg unten alles Bange, Trübe,
Du strebtest lauschend, blicktest nicht mehr nieder,
Und höher winkte stets der Brüder Liebe:

Wen einmal so berührt die heil'gen Lieder,
Sein Leben taucht in die Musik der Sterne,
Ein ewig Ziehn in wunderbare Ferne!


【散文訳】

不思議の国が、上方では、打開いてあり
そこでは、黄金の(複数の)流れが、行き、そして暗く鳴り響いていて
歌という歌が、さらさらという音を通じて、深く響き、消えて行く
それらの歌は、よろこんで、高い言葉をお前に歌いたいと思っているのだ。

多くの黄金の橋が、そこでは、勇敢にも打ち掛けられていて
その向こうには、懐かしい兄弟達が、思い深く、湧き立っているている
音という音が、春の雨の中でのように、落ちて来るならば
自由になった憧憬が、そこへとお前を運んで行くと言っている。

どんなに早く、下方には、すべての不安と憂鬱があることだろうか
お前が、聞き耳を立てて努力し、もはや下を見ず
そして、より高くへと、絶えず兄弟達の愛が合図をするのだ:

一度でも、神聖な歌という歌が触れた者は
その人生は、星辰の音楽に浸り
不思議の遥か彼方の中へと、永遠に行くのだ!

            
【解釈と鑑賞】

第3連が、接続法I式で歌われています。

これは普通に考えれば、誰かが話をしているその内容なわけですが、それは、ここではこの詩を歌っている話者が、更に話者を重ねて、その歌われる中にまた話者が歌っているということになるでしょう。

その話中話の歌われる歌が、最後の第4連というわけです。

しかし、第4連は、現在形で書かれています。

この第4連の言葉が、黄金の橋の向こうで待っている兄弟達、同胞(はらから)の合図の言葉なのです。

第3連が接続法I式で歌われているために、第2連で言われているような、黄金の橋の向こうに渡って行くということが、何か夢のことのように思われます。

やはり、それは夢とはいえ現実なのです。それを実感するには、第3連を現在形で、第4連を接続法I式またはII式で引っくり返してみれば、わかると思います。普通には、これが普通の順序ではないでしょうか。

夢とうつつの逆転した、アイヒェンドルフの世界です。素晴らしい。








Januar(1月):第3週 by Alain Lance(1939- )


Januar(1月):第3週 by Alain Lance1939-   



【原文】

Unterbrochener Schlaf
Auf der Seite
Ein Viertel der Schneemonatsnacht

Organe
Im Ruhezustand
Man koennte sie
Wie im Wasser
Vergessen

Langsame Lichter steigen
Zum noch geschlossenen
Zentrum auf


【散文訳】


途中で破られた睡りが
その側(がわ)に
雪の月の夜の一画が

器官たちが
安静な状態にあって
ひとはそれらの器官を
水の中でのように
忘れることができるかも知れない

ゆっくりとした光という光が昇って来る
まだ閉められていない
町の中心(センター街)で


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたウエッブサイトです。フランスの作家です。





第2連で器官たちと訳したOrganeは、また機関たちとも訳することができます。或いは、その方が第3連との関連で、相応しいのかも知れません。

2014年1月6日月曜日

リルケの『オルフェウスへのソネット』第1部第2部の全55篇を訳し、解釈し、鑑賞し、アマゾンのキンドルで出版しました。

リルケの『オルフェウスへのソネット』第1部第2部の全55篇を訳し、解釈し、鑑賞しました。

西洋の思想や他人の借り物の思想(それを思想とは言はむや?)に全く頼ることなく、淡々と虚心坦懐にリルケのドイツ語のテキストを読み、言語論理に従って、その思考を読解し、平易な日本語に訳し、解釈して、体系的に解説をし、体系的な鑑賞を提示しました。

お読み下されば、ありがたく思います。

http://goo.gl/F8Ly2c

2014年1月4日土曜日

【西東詩集57-2】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【西東詩集57-2】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【原文】

PRUEFT das Geschick dich, weiss es wohl warum:
Es wünschte dich enthaltsam! Folge stumm.

NOCH ist es Tag, da rühre sich der Mann,
Die Nacht tritt ein, wo niemand wirken kann.

WAS machst du an der Welt, sie ist schon gemacht,
Der Herr der Schöpfung hat alles bedacht.
Dein Los ist gefallen, verfolge die Weise,
Der Weg ist begonnen, vollende die Reise:
Denn Sorgen und Kummer verändern es nicht,
Sie schleudern dich ewig aus gleichem Gewicht.

WENN der schwer Gedrueckte klagt:
Hülfe, Hoffnung sei versagt,
Bleibet heilsam fort und fort
Immer noch ein freundlich Wort.

》WIE ungeschickt habt ihr euch benommen
Da euch das Glück ins Haus gekommen!《
Das Mädchen hast nicht übelgenommen,
Und ist noch ein paarmal wiedergekommen.



【散文訳】

才能はお前を試す、才能は何故そうするのかをよく知っている:
才能は、お前が控えめであることを臨んでいると考えるがいいのだ!黙って従え。

まだ依然として、日が高い、すると、男というものは活動するのだ
夜が始まる、そこでは、誰も働くことができない。

何をお前は、世界にしているのか、世界は既に出来上がっているというのに
創造主は、すべてを考えたのだ。
お前の骰子(さい)は投げられたのだ、そのやり方を追求せよ
道は、始まっているのだ、その旅を完成させよ:
というのは、心配と苦しみが、それを変えることがないからだし
心配と苦しみは、お前を永遠に、同じ重さ(バランス、均衡)の中から外へとぶん投げるからだ。

重く抑圧されている者が嘆くならば
助け、希望が拒否されてあれ
ずっとずっと癒やすままであれ
いつも相変わらず、親切な一言は。

》なんと不器用に、お前達は振る舞ったのか
幸運がお前達の家の中にやって来たというのに!《
その(幸運の)乙女は悪くはとらなかった
そして、まだ幾度か戻って来たのに。

【解釈】

どれも、ゲーテが折に触れて得た所感であると思われます。

どのようにでも解釈のできる、含蓄のある詩でありませう。

これらの言葉を以て、ご自分の人生に照らしてみるのも一興かと思います。

【Eichendorfの詩 53-2】Sonette(ソネット)

【Eichendorfの詩 53-2】Sonette(ソネット)

【原文】

                          2

So eitel künstlich haben sie verwoben
Die Kunst, die selber sie nicht gläubig achten,
Dass sie die Suend in diese Unschuld brachten:
Wer unterscheidet, was noch stammt von oben?

Doch wer mag würdig jene Reinen loben,
Die in der Zeit hochmuet'gem Trieb und Trachten
Die heil'ge Flamme treu in sich bewachten,
Aus ihr die alte Schönheit neu erhoben!

O Herr! gib Demut denen die da irren,
Dass, wenn ihr' Künste all zuschanden werden,
Sie töricht nicht den Gott in sich verfluchen!

Begeisterung,  was falsch ist, zu entwirren,
Und Freudigkeit, wo's öde wird auf Erden,
Verleihe denen, die dich redlich suchen!

【散文訳】

それほどに虚栄心を以て技巧を凝らして、彼等は、藝術を織り込むんだのだ
自ら信じて敬意を払っていない藝術を
それで、彼等は、罪を、この無実潔白の中に持ち込んだ
何がまだ上から由来するのかを、誰が識別しようか?

しかし、品位を以て、あの純粋な人々を褒める者は
時間の中で、高慢な衝動と努力に対して
神聖な炎を忠実に自分自身の裡に大事に持したあの純粋な人々を
その人々から、古い、懐かしい美が、新しく生まれたのだ!

おお、神よ!恭謙を、そうやって迷っている者達に与え給え
そうすれば、彼等の藝術がみな汚濁にまみれても
彼等は、愚かにも、神を自己の裡で呪いはしないだろう!

熱狂、それは間違ったものであるが、それを迷いから解き
そして、喜びを、地上で荒涼となる場所で
お前を誠実に求める人々に授けよ!
            
【解釈と鑑賞】

前の象徴的な自然を歌ったソネットとは打って変わって、人為の、人間のことを歌ったソネットです。

第1連の「何がまだ上から由来するのかを、誰が識別しようか?」とは、第3連を読むと、神に由来するものかどうかを、普通のひとには、その藝が巧みであるが故に、判別ができないということを言っているのです。

この問題は、古来から、そうして今もまた、更にこれからも、常に問題になる問題です。

藝術とは何か、という問題です。それは、どのようなこころから生まれるのでしょうか。それを、ここでアイヒェンドルフは歌っているのです。

最後の第4連も、神への願いの言葉です。







Wandlung(変態):第2週 by Alex Sadkowsky(1934- )


Wandlung(変態):第2週 by Alex Sadkowsky1934-   


【原文】

Mein Reisekoffer schlaeft
Neben dem Bett erwacht dann
Ist dunkler Hund geworden
Der heim will
Oder weiter


【散文訳】


わたしの旅行鞄が眠っている
ベッドの隣りで、すると
暗い犬が、目覚める
犬は、わが家へと帰りたいのか
又は、もっと先へ行きたいのだ


【解釈と鑑賞】



この詩人のことを書いたウエッブサイトです。







この詩人は、どうも本業は、画家のようです。

この詩は、何かやはり、この詩人の描く絵画に通うところがあるようです。



2014年1月1日水曜日

【西東詩集57】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【西東詩集57】 Buch der Sprüche(箴言の書)


【原文】

TALISMANE werd' ich in dem Buch zerstreuen,
Das bewirkt ein Gleichgewicht.
Wer mit gläubiger Nadel sticht
Überall soll gutes Wort ihn freuen.

VOM heutigen Tag, von heutiger Nacht
Verlange nichts
Als was die gestrigen gebracht.

WER geboren in boes'sten Tagen
Dem werden selbst die bösen behagen.

WIE etwas sei leicht
Weiss der es erfunden und der es erreicht.

DAS Meer flutet immer,
Das Land behaelt es nimmer.

WAS wird mir jede Stunde so bang?―
Das Leben ist kurz, der Tag ist lang.
Und immer sehnt sich fort das Herz,
Ich weiss nicht recht ob himmelwärts;
Fort aber will es hin und hin,
Und möchte vor sich selber fliehen.
Und fliegt es an der Liebsten Brust
Da ruhts im Himmel unbewusst;
Der Lebe-Strudel reisst es fort
Und immer hängts an Einem Ort;
Was es gewollt, was es verlor
Es bleibt zuletzt sein eigner Tor.


【散文訳】

護符を、わたしはこの書の中に散りばめるだろう
それが、ひとつの均衡(バランス)を生み
信心深い針を以て刺す者は、
至るところで、善き言葉が、その者を喜ばせることになりますように。

今日の日に、今日の夜に
何も求めるな
昨日の日々がもたらしたもの以外のものを。

最も空くしのある日々の中に生まれた者。
その者には、悪意ある人々でさへ、心地よいものになるのだ。

何かが軽いということがあれば、それがどのように軽いのかを
それを発明した者は知り、それに至った者は、それを知るのだ。

海はいつも満潮になり
陸は、いつもそれを決して持つ事がない。

どの時間もわたしには不安になるのは何が不安なのか?
人生は短く、日は長い。
そして、いつも、先へ先へと心臓が憧れて
わたしは、どちらが天国への方角なのかがよくわからなくなる;
先へと、しかし、心臓は、先へ先へと行きたいのだ
そして、前へ前へと逃げたいのだ
そして、心臓は、最も愛する女性の胸で憩うのだ;
生きることの渦巻きが、心臓を先へと裂いてしまい
そして、いつも、心臓は、ある一つの場所に掛かっているのだ;
心臓が欲したものも、喪ったものも
それは、最後には、心臓自身の門のままでいるのだ。


【解釈】

この箴言の書は、このような無題の長い詩で始まっています。数ページに亘って歌われています。其の後に、2篇の有題の詩が来て、この書は終ります。

適当な長さに切って、訳し、解釈を付したいと思います。

2014年の新年早々に相応しく、最初はTalismane、護符という言葉で始まります。

「いつも、心臓は、ある一つの場所に掛かっている」とある、一つの場所とは、其の後に来る門のことです。

人間にとって、門という言葉は、実に意味深長です。誰が門の支配者(管理人)なのか、誰が門番なのか、その人は誰か、扉は門番が開けるのか、自分が開けるのか等々の設問を立てることができます。

どの連も、ゲーテという人間の叡智の言葉のように、わたしには思われます。奥深い言葉。