【Eichendorfの詩 44】Schlimme Wahl (悪い選択)
【原文】
Schlimme Wahl
Du sahst die Fei ihr goldnes Harr sich strählen,
Wenn morgens frueh noch alle Waelder schweigen,
Gar viele da im Felsengrund sich versteigen,
Und weiss doch keiner, wen sie wird erwählen.
Von einer andern Dam hört ich erzählen
Im platten Land, die Bauern rings dir zeigen
Ihr Schloss, Park, Weiler ― alles ist dein eigen,
Freist du das Weib ― wer mochte im Wald sich quälen!
Sie werden dich auf einen Phaeton heben,
Das Hochzeitskarmen toent, es blinkt die Flasche,
Weitrauschend hinterdrein viel vornehm Wesen.
Doch streift beim Zug dich aus dem Walde eben
Der Feie Blick, und brennt dich nicht zu Asche:
Fahr wohl, bist nimmer ein Poet gewesen!
【散文訳】
悪い選択
お前は運命の女神が金色の髪を梳(くしけず)るのを見た
朝早くに、まだ、総ての森々が沈黙しているならば
更に数多くの妖精が、あの巌の谷底で姿を見せているのだ
そして、勿論、誰も、女神達が誰を選び出すのかを知らないのだ。
ある別の黄鹿について、わたしは語るのを聞いた
低地の国で、周囲の農民達が、お前に示しているのは
農民達の城、公園、村落 ― 総てはお前のものだ、と。
その女(黄鹿)を自由にしてれやれ ― 誰が森の中で苦しみたいものか!
農民達は、お前をフェートン(太陽神)に捧げ掲げることだろう
結婚式の詩歌が鳴り響き、壜が光り
遥かにさやぐ音を立てて、その後ろには、数多くの高貴な生き物達がいる。
しかし、一刷毛(はけ)でお前を森の外へと容易に連れ出すのは、まさしく
その運命の女神の眼差しであり、それはお前を燃やして灰にすることはない、つまり
行くがいい、もはや一人の詩人もいなくなる所まで!
【解釈と鑑賞】
第1連第1行目の運命の女神を、第2連では、農民達に捉えられた黄鹿(別の女神)に譬えています。
この鹿は、Wikipediaによれば、ドイツ民族の狩猟の対象になり、その歴史の古い動物です。
この詩の第2連によれば、森の中に住み、そこに生きることが自由である動物として歌われています。どんなに農民達の財産をもらっても、それに引き換えることはできないのです。
第3連を読むと、その鹿を神に捧げています。これも、やはり狩猟の形象(イメージ)があるのでしょう。
そうして表立って文字にはなっておりませんが、そのように犠牲になり、生け贄になる鹿と詩人の姿が重ねられております。ここに、詩人のこころが解ります。それは、祝祭の場所に列席する、多くの高貴な生き物達のための犠牲なのです。
それ故の第4連、最後の連では、運命の女神ー黄鹿ー詩人がひとつになっているように読むことができます。
最後の一行は、その詩人の覚悟を示したものでしょう。
実に味わいの深い詩です。今まで読んだ詩の中で最高傑作の作品の一つだと思います。それは、単に自然の中を旅するという詩人や歌手の姿だけを歌うのではなく(この歌だけでも相当に深い歌ですけれども)、このように形象を幾重にも重ねて、そのこころを深く表しているというところが素晴らしいと思います。
第1連で、運命の女神たちの選ぶのは、勿論、第3連で犠牲になる覚悟のある詩人だということになります。
第4連で、その詩人は灰にはならないということは、永遠の生命が宿っているということです。
そして、最後の一行がある。
さて、そうしてみると、この詩の題名、悪い選択というのはどういう意味でしょうか。
運命の女神に選ばれたということは、運の悪いことだったという意味と、それから、それは自分で選択することのできない、やはり運命なのだという意味が、あることになります。
こうして読み込むと、第2連の最後の一行、鹿を森の中へ放してやれ、森の中でこそ鹿は自由で苦しむことがないという一行の意味が、一層深まります。
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