【Eichendorfの詩 41】Zur Hochzeit (結婚式にて)
【原文】
Zur Hochzeit
Was das für ein Gezwitscher ist!
Durchs Blau die Schwalben zucken
Und schrein: 》Sie haben sich geküsst!《
Vom Baum Rotkehlchen gucken.
Der Storch stolziert von Bein zu Bein;
》Da muss ich fischen gehen―《
Der Abend wie im Traum darein
Schaut von den stillen Hoehen.
Und wie im Träume von den Hoehen
Seh ich nachts meiner Liebsten Haus,
Die Wolken darüber gehen
Und löschen die Sterne aus.
【散文訳】
結婚式にて
なんという鳥の囀(さえず)りだ!
青色を通り抜けて、燕が飛んでいる
そして、叫んでいる:》あなたたちは互いに口づけを交わした!《
木から、喉の赤い可愛い鳥が覗いている。
コウノ鳥が脚を粛々と動かして自慢げに歩いている
》さあ、魚をとりにいかねばならぬ―《
夕べが、夕べの中にある夢の中にいる様に
静かな高みから見ている。
そして、高みの夢の中でのように
わたしは、毎夜、わたしの愛する人の家を見る
雲はその家の上を行き
そして、星々を掻き消してしまう。
【解釈と鑑賞】
結婚式の詩であるのに、結婚式の様子を全く歌っていません。
そうではなく、(結婚式が教会堂で行われるとしたならば)、その式場の外で起きていることを歌っています。これが、不思議なことです。
とはいへ、きっと燕もコウノ鳥も、結婚式を祝っているのでしょう。
しかし、結婚式を祝うにせよ、コウノ鳥が、さてこれから魚を採りに行こうと言うのは、これも不思議です。結婚式に魚を供するのでしょうか。日本なら有り得ますが、これはそうではないのでしょう。
何か、この個所も非常にシュールレアリスティックな感じのする個所です。勿論、詩の全体の雰囲気もそうなのですが。つまり、この世の現実ではない世界だということです。
わたしは、この詩人のこのようなところに強く惹かれているのでしょう。
また、「夕べが、夕べの中にある夢の中にいる様に/静かな高みから見ている。」と訳したところは、夕べが主語で、高みから眺めているのです。
そしてこの「夕べの中にある夢の中にいる様に」という個所は、こう解する以外にはなく、何か夕べというものと夢とが入れ籠で互いにreferenceし合っている不思議な関係になっています。
最後の連は、わたしの愛する人がこの結婚式に臨んでいるのならば、やはり結婚はできずに、外から離れて、その愛する人の家(別の男性と一緒に暮らしている)を思いやるということになるでしょう。
これが、いつものアイヒェンドルフの恋の歌です。
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