2012年8月8日水曜日

【Eichendorfの詩 8-1】Der wandernde Musikant (旅する音楽家)


【Eichendorfの詩 8-1】Der wandernde Musikant (旅する音楽家)

【原文】

Der wandernde Musikant

Wandern lieb ich fuer mein Leben,
Lebe eben wie ich kann,
Wollt ich mir auch Mühe geben,
Passt es mir doch gar nicht an.

Schöne alte Lieder weiss ich,
In der Kälte, ohne Schuh
Draussen in die Saiten reiss ich,
Weiss nicht, wo ich abends ruh.

Manch Schöne macht wohl Augen,
Meinet, ich gefiel' ihr sehr,
Wenn ich nur was wollte taugen,
So ein armer Lump nicht waer. -

Mag dir Gott ein'n Mann bescheren
Wohl mit Haus und Hof versehn!
Wenn wir zwei zusammen wären,
Moecht mein Singen mir vergehn.


【散文訳】

旅する音楽家

我が人生をかけて、わたしは旅することを好む
わたしは、まさにわたしが生きている通りに生きている
もしわたしが自分のことにかまけていたいと思うならば
(そう思うことは実際には、ないわけだが)
それは、わたしにはふさわしいことではない。

美しい、古い歌の数々を、わたしは歌う事ができる
寒さの中で、靴もはかずに
戸外で、わたしは、(竪琴の)弦の中に激しくつかみかかる
夜にはどこで憩うのか、その場所を、わたしは知らない

幾多の美しい女性は、確かに目を惹くであろうし
わたしが、そのような美しい女性のことが好きなのだというだろうが
わたしが一寸でも何かの役に立とうと思いさえすれば
(そう思うことは、実際にはないのだが)
わたしは、哀れな、襤褸(ぼろ)のような男であるだろう

神よ、ひとりの男をお前に与え賜え
間違いなく家と庭のある男を!
もしわたしたち二人が、一緒にいるとすれば
(実際には、そういうことはないのだが)
わが歌声も、わが身のことに煩えよかし


【解釈と鑑賞】

この題、旅する音楽家の名前の元に、アイヒェンドルフは、全部で6つの詩篇をまとめています。

今回は、そのうちの第1篇目です。これら6つの詩篇の繋がりは、一つ一つ読みながら、観て行く事に致しましょう。

アイヒェンドルフは、本当にこのwandern、放浪する、旅する、遍歴するという言葉が好きなのだなあ。わたしも感化されて、この言葉が好きになりました。

何しろ、やはり、詩人は旅人である。そうして、詩人という言語芸術の精華、即ち詩をものする人間として、そうではない普通に言葉を話す人々の人生を代表していると考えるとすると、普通の人生を送っているひとびとも、即ち旅人であり、旅人でない人など、どこにもいないのである。

みな、目の前のことに忙しく自分自身を忘れる毎日であるが、確実にこころの深いところで、もうひとりのわたくしが旅をしているのだ。

そうして、この詩の場合、旅をするのが、音楽家だということが主題にとって、大切なことなのでしょう。音楽家が旅をするということ。それは、一体どういうことなのでしょうか。音楽家もまた、詩人と同様に、旅人なのでしょうか。

第2連を読んで、わたしは、わたしの好きなジャズピアニスト、Bill Evansを思いました。このピアニストも、読んだ文章によれば、生活というものに無頓着で、路上で寝るような生活をした時期があるとのことでした。

わたしがアイヒェンドルフの詩に強く惹かれるのは、第3連にあるように、徹底的に無能な人間としての人間を歌うからです。

この音楽家も無能な人間である。

一寸でも、何かの役に立てば、わたしは襤褸屑であり、乞食である。という一箇の単純極まりない思想です。

これは、アイヒェンドルフの独創ではない。しかし、わたしはこの思想に惹かれるのです。

そうしてみると、この詩篇の第1連の第1行の

für mein Leben

という言葉の意味は、わが人生を賭けても、わが人生と引き換えにしても、命を賭けても、という意味になるでしょう。

第4連では、家と庭を所有している男が歌われます。これは、大人の、一人前の男だというふうにとれば、旅する音楽家は子供だということになるでしょう。

旅する音楽家は、一切のものを所有しないのです。

これこそ、真の芸術家だと、わたしは思います。

それ故に、各連の後半の2行は、どれも接続法II式、英語でいう非現実話法で歌われています。

最後の連の最後の一行、

Moecht mein Singen mir vergehn

この行は、かくもありなむと思って、訳をつけましたが、もし間違っているのであれば、ご教示下さい。






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