2012年8月26日日曜日

【西東詩集11】Liebliches(愛らしいもの)


【西東詩集11】Liebliches(愛らしいもの)

【原文】

Liebliches

Was doch Buntes dort verbindet
Mir den Himmel mit der Höhe?
Morgennebelung verblindet
Mir der Blickes scharfe Sehe.

Sind es Zelte des Vesires
Die er lieben Frauen baute?
Sind es Teppiche des Festes
Weil er sich der Liebsten traute?

Rot und weiss, gemischt, gesprenkelt
Wuesst ich Schönres nicht zu schauen;
Doch wie, hafis, kommt dein Schiras
Auf des Nordens trübe Gauen?

Ja es sind die bunten Mohne,
Die sich nachbarlich erstrecken,
Und, dem Kriegesgott zum Hohne,
Felder streifweis' fremdlich decken.

Möge stets so der Gescheute
Nutzend Blumenzierde pflegen
Und ein Sonnenschein, wie heute,
Klären sie auf meinen Wegen!


【散文訳】

愛らしいもの

あそこにある多彩なものは
わたしの天を高みと結びつけるのだろうか?
朝の霧が出ると、それは目を眩(くら)ませて
わたしから視線の鋭い視力を見えなくするのだ。

大臣(おおおみ)のテントだろうか
彼が愛するご婦人方のために建てるのは?
それは(大臣が愛する女性に与えるのは)、祝宴の絨毯だろうか
最も愛する女性を信用するものだからという理由で?

赤と白の色が、混在して、斑点になっていて
それ以上美しいというものを、わたしは見る事ができない
しかし、ハーフィスよ、お前のシラス(ハーフィスの生誕居住の地)が、どうやって
北の濁った色の地方に来るというのだ?(そんなことは、あり得ないことだろう。)

そう、隣りに延びて来ているのは
多彩な罌粟(けし)の花であり
そして、その花が、戦(いくさ)の神が軽蔑することには
野原(戦場)を帯状に仲良く覆っているのだ。

嫌われ者の男は、常にこのように
花飾りを大切にして、それを利用するがよい
そして、今日のような太陽の輝きは、
わたしの前途に、その花飾りを清めるがよい


【解釈と鑑賞】

最後までこの詩を読んでみると、ここでいう愛らしいものとは、罌粟の花の花飾りのことです。

しかし、ゲーテがなぜこの詩を書いたのか、訳そうとして読みながら考えましたが、この詩は理解するのに難しい詩でした。

前に老年と性のことを歌い、次の詩では、これからZwiespaltと題して、恋情を前提に、ふたつに分かれている(多分)男女の感情をうたいます。そうして、その次にやっと、静謐な、人生の青春を回顧するIm gegenwaertigen Vergangnes(現在する過去の中で)という詩がおかれています。

この詩の順序をみると、この詩と次の詩のゲーテは、一寸おかしい。というか、相当おかしいという感じがします。

何か、苦しい、狂気めいた感情がゲーテを支配していて、それにゲーテを抗して言葉を紡いでいるという感触があります。

この詩も表面は一見なんということもない詩ではあるのです。

この詩を読んでわかることは、戦場のような場所から離れて、いやそのような戦場(野原と戦場はドイツ語では同じ言葉です)の中にいても、戦の神には軽蔑されるだろうが、そこに咲いている多彩な罌粟の花で花飾りをつくり、それを大切に養生して、そのことから利益、便益を引き出すことをするのだといっているのです。

それは、豪壮なテントを愛する女性のためにつくって贈ることでもなく、祝宴のための高価な絨毯をつくらせることでもありません。大切なことは、全然、そういうことではないのだ。

そうして、ハーフィスに呼びかけている。このハーフィスに呼びかける連、第3連では、赤と白という色彩が出て来ます。この色彩の組み合わせも、多彩なもののひとつなのだと思います。

この色は、あるいはアラビアの世界で何か深い意味を持つのかも知れません。日本ならば源平合戦以来の紅白の色と同じように。勿論、アラビアの世界で持つ意味を。

第4連を読むと、ゲーテは自分自身をder Gescheute、嫌われる男といっていて、この言い方は相当強烈なものがあります。

それだけ、一層何故かは知りませんが、この詩を書いているときのゲーテの孤独が思われます。自分自身をそのように呼ぶことで、狂気のような苦しみの感情を乗り越えたのではないでしょうか。

そうしてみると、花飾りとは、このような詩のこと、野原(戦場)で花飾りをつくるとは、詩作をすることを言っているのだと理解することもできるでしょう。

こうしてみると、題は愛らしいもの、ですが、その中身は、実に苦しいものだと思います。

やはり、ハーフィスに呼びかけて、その力を借りることが、ゲーテには必要だったのだと思います。

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