2012年8月10日金曜日

第34週: Als sie nach einer Sommerreise ihren Garten wiedersah (彼女がある夏の旅行の後自分の庭を再び見たとき) by Peter Horst Neumann (1936 - 2009)


第34週: Als sie nach einer Sommerreise ihren Garten wiedersah (彼女がある夏の旅行の後自分の庭を再び見たとき) by Peter Horst Neumann  (1936 - 2009)

【原文】

Als sie nach einer Sommerreise ihren Garten wiedersah

Die unter Wunden
aufgesteckte Brombeerhecke
wuchs über sich hinaus,
mit Stachelschlangen
sind die Wege ueberschossen,
dein Fleiss vergessen,
deine Ordnung ueberlebt.

Verbruedert wuchert Kresse
zwischen Bohnen, die Zwiebeln
haben sich mit Wicken
ueberworfen, der kleine Kuerbis
stieg den Baum hinauf,
lässt seine Kugeln bei den Äpfeln
leuchten.

Sich zu verwüsten -
Lust der Gärten. Wenn
du dich freuen könntest,
Gaertnerin. Die Bombe
vom Tomatenstrauch
faellt weich.



【散文訳】

彼女がある夏の旅行の後自分の庭を再び見たとき

傷の下に掛けられている黄苺の繁みが
繁み自身を超えて、その外へと成長していた
棘の列が
道々に氾濫している
お前の勤勉は忘却され
お前の秩序は保(も)たなかった。

絡み合い、一致団結し合って、金蓮花が増殖し放題であり
豆の間には、玉葱が
やはず豌豆(えんどう)と仲違いをしていたし、小さな南瓜(かぼちゃ)が
木の幹を登っていて
その南瓜の玉を、林檎たちの間から輝かせている。

荒廃する
荒れ放題になりたいという庭の快楽。もし
そう言ってあなたが喜ぶことができるとしたら、庭師(女性)のあなたよ。爆弾が
トマトの薮の爆弾が
柔らかく落ちるのだ。

【解釈と鑑賞】

この詩人のドイツ語のWikipediaです。残念ながら、写真がありません。

http://de.wikipedia.org/wiki/Peter_Horst_Neumann

夏の旅行から帰ってみると、折角丹精籠めて作って来た庭が荒れ放題になっていることを歌った詩です。

この詩を読んで、山本夏彦のエッセイで、ある日本画家の庭の荒れ放題の様子を描いた素晴らしいエッセイのことを思い出しました。

あなたが庭仕事をするのであれば、より豊かにこの詩の景色を想像することができるでしょう。

最後の連の庭という言葉は、ドイツ語では複数形になっていますので、この庭には、様々な植物を植えてある小さな庭が沢山あるという、その小さな部分的な庭が沢山あるのだということを複数形で示しています。この庭の様が想像され得ます。

Die unter Wunden
aufgesteckte Brombeerhecke
傷の下に掛けられている黄苺の繁みが

と詠んだ、傷の下にという言葉が何を意味しているのか。

文字通りにとるべきなのか、あるいは譬喩(ひゆ)なのか。

あるいは、庭という場所の中にこのWunde、傷という言葉を措くと、もう直ぐにあああの事だと解るという、そのような傷のことなのだと思います。

ここが一寸不明でした。ご教示下さい。

最後の2行。トマトの爆弾が柔らかく落下するという一文は素敵だ。



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