2015年1月3日土曜日

【Eichendorfの詩98】Der Schreckenberger(あのシュレッケンベルガーという男)


【Eichendorfの詩98】Der Schreckenberger(あのシュレッケンベルガーという男) 
  

【原文】

Aufs Wohlsein meiner Dame,
Eine Windfang ist ihr Panier
Fortuna ist ihr Name,
Das Lager ihr Quartier!

Und wendet sie sich weiter,
Ich kümmre mich nicht drum,
Da draußen ohne Reiter,
Da geht die Welt so dumm.

Statt Pulverblitz und Knattern
Aus jedem wüsten Haus
Gevattern sehn und schnattern
Alle Lust zum Land hinaus.

Fortuna weint vor Ärger,
Es rinnt Perl auf Perl.
》Wo ist der Schreckenberger?
Das war ein anderer Kerl.《

Sie tut den Arm mir reichen,
Fama bläst das Geleit,
So zu dem Tempel steigen
Wir der Unsterblichkeit.


【散文訳】

わたしの貴夫人の健康を祝して
風よけが、この夫人の軍旗であり
幸運の女神(フォルトゥーナ)というのが、この夫人の名前だ
野営の陣地が、この夫人の宿営だ!

そして、この貴婦人は、更に身を転ずる
わたしは、それには頓着しない
見ろ、外には騎兵も無く
見ろ、世界はかくも愚かに進んでいる。

火薬の電光と機関銃のパチパチ鳴る音の代わりに
どの荒涼たる家の中から
代父が外を眺め、そして鵞鳥のようにガアガアと鳴いて
あらゆる陽気、愉快を国土に向かって発している。

幸運の女神は、怒りの余りに涙し
真珠が次から次と迸(ほとばし)る
》あのシュレッケンベルガーという男はどこにいるの?
あの男は、格別だった。《

女神はわたしに腕を伸ばし
風評の女神が、この随行の喇叭を吹く
かうして、わたしたちは
不死の寺院へと昇り行く。


【解釈と鑑賞】

この詩の背景をよく説明してくれている次のウエッブページがありましたので、ご紹介します。

http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/W/Wolf/S935.htm

「アイヒェンドルフ晩年の短編小説”Die Glücksritter”(『運任せの騎士たち』)の挿入詩です。シュレッケンベルガーは物語の脇役。三十年戦争の終結によって職を失った傭兵の彼が、 新たな戦場を求めて仲間たちとハンガリーに向う途中、ハレ近郊の村の廃墟で野営している時に、女詐欺師ジンカSinkaに騙された話をしながら歌うのがこ の詩です。すると兵士たちが帽子を振って歓呼の声を上げ、『崇高なる新郎新婦バンザイ、我等が不滅の神殿騎士殿万歳!』“Viva das hohe Brautpaar,hoch lebe unser Templeherr der Unterblichkeit!”と叫びます。この神殿騎士というのは十字軍時代のテンプル騎士団のことのようです。
ジンカは彼らの傭兵連隊で商 売をする女酒保商人で、その美貌で兵士たちを篭絡して稼いでいましたが、ある時貴婦人に変装して傭兵たちを誘惑し館に誘い込んで閉じ込め、その間に連隊の 金庫を盗んで逃走したのです。ですからこの詩の野営地のフォルトゥーナとはジンカのことで、美人に騙された負け惜しみの歌というわけでしょう。」

第1連で歌ているのは、この幸運の女神が、いつも移動していて、一所には常住しないということ、幸運とはそのようなものだというのです。

従い、第2連の最初の一行では、この女神は身を転じて、或いは軍隊用語を使うならば、転戦して、他へと向かうのです。しかし、この詩の話者は、そんなことは気にしないと言っております。

Da draußen ohne Reiter,
見ろ、外には騎兵も無く

とあるので、世間、世俗には、幸運の女神の軍隊がいないということを言っているのです。従い、また、

Da geht die Welt so dumm.
見ろ、世界はかくも愚かに進んでいる。

というわけです。

第3連の、

Statt Pulverblitz und Knattern
Aus jedem wüsten Haus
Gevattern sehn und schnattern
Alle Lust zum Land hinaus.
火薬の電光と機関銃のパチパチ鳴る音の代わりに
どの荒涼たる家の中からも
代父が外を眺め、そして鵞鳥のようにガアガアと鳴いて
あらゆる陽気、愉快を国土に向かって発している。

とある、3行目の代父と訳したGevatterという言葉ですが、これはキリスト教の言葉で、子供の洗礼に立ち会う人であり、また名付け親になる人をいうと辞書にあります。そこから意味が転じて、他人だが親しい、身内のような人間という意味になりますし、そうなると、ここでのGevatterという使い方のように、ある程度の軽蔑の意味をこの語に含めることもできるようになって来るのでしょう。

第4連の真珠とは、いうまでもなく、女神の涙の譬喩(ひゆ)です。
この連にあるシュレッケンベルガーという男を少し調べましたが、不明です。定冠詞がついて呼ばれておりますので、これはこの話者と女神には旧知の既知のあの男ということになります。

或いはまた、名前をそのまま直訳いたしますと、恐怖の男、驚愕の男という意味ですから、何かそのような性格と能力を持った男を、アイヒェンドルフは、ここで発明したのかも知れません。

即ち、この名前から言っても、第3連の代父、教父(恐怖ではない)とは雲泥の差のある、何か芯のある男であったのでしょう。

第4連については注釈は不要だと思います。いつものアイヒェンドルフの、幸運の女神の登場するこの種の詩の常套の結末です。

0 件のコメント: