2015年1月31日土曜日

Die Dachstube(屋根裏部屋):第6週 by Ezra Pound(1885 ー 1972)

Die Dachstube(屋根裏部屋):第6週 by  Ezra Pound(1885 ー 1972)
 

【原文】

Komm, laß uns die bemitleiden, denen es besser geht als uns.
Komm, Freundin, erinnere dich:
           Die Reichen haben Diener und keine Freunde,
Und wir haben Freunde und keine Diener.
Komm, laß uns bemitleiden Verheiratete und Unverheiratete.

Dämmerung tritt mit kleinen Füssen ein
            Wie eine goldne Pavlowa,
Und ich bin meiner Sehnsucht nahe.
Nichts Besseres hat das Leben
Als diese Stunde klarer Ruhe,
            Stunde gemeinsamen Abendgangs.


【散文訳】

おい、我々よりももっとより良くやっている人々を憐れもうではないか
おい、友達(女)よ、思い出せ:
   金持ちは召使いを持っているが、しかし、友達(男)は一人もいない
そして、我々には、友達(男)はいるが、しかし、召使いはいないということを。
おい、結婚している奴らと、結婚していない奴らを憐れもうではないか。

黄昏が、小さな足で、登場する
    黄金のパヴローヴアのように
すると、わたしは、わたしの憧れに近いところにいて
これ以上より良いものを、人生は持ってはいないのだ
清澄な静寂のこの時間より以上のより良いものを
    即ち、皆と一緒の夕暮れの過ぎ行くことの時間より以上のより良いものを


【解釈と鑑賞】


この詩人の、Wikipediaです。言うまでもなく、アメリカの高明な詩人です。

日本語のWikipedia:
http://goo.gl/571pSc

英語のWikipedia:
http://goo.gl/RoYtsV

Ezra Pound基金があります:
http://www.poetryfoundation.org/bio/ezra-pound

第 1連の最後の行の、憐れもうではないかと訳した憐れむというドイツ語はbemitleidenですが、日本で今普通に憐れむと訳すと、何か一方的に憐れむ ように思われますが、ドイツ語の原意はそうではなく、一緒に苦しみを分かち合うというこころが宿った言葉です。もともと、日本語の哀れを覚えるという言葉 も、そうである筈です。

この一緒に苦しみを分かち合うというこころが、第2連の

皆と一緒の夕暮れの過ぎ行くことの時間

という言葉の中のStunde gemeinsamen Abendgangsにある、皆と一緒の道行きという表現にそのまま通じているのです。

また、第1連の最初の一行の


我々よりももっとより良くやっている人々

という言葉の、もっとより良くと訳した箇所は、そのまま第2連の下から3行目の

これ以上より良いものを、人生は持ってはいないのだ


という言葉の、これ以上より良いものを、という表現にお互いに通っております。

第1連のこの箇所のドイツ語は、普通に日常に、やあ元気かい?とか、調子はどうだい?というときに使う挨拶の言葉の言い方なのですが、そう訳すと、第2連の第2連の下から3行目に呼応しなくなりますので、敢えて、前者でも後者と同じ訳語を採用しました。

第2連の黄金のパヴローヴァとは一体何かを調べましたが、なかなか見つかりませんでした。Googleで見つかるのは、この詩人のこの詩のこの言葉と、画 像でみる次のお菓子ばかりです。これが、黄金のパヴォローヴァなのでしょうか。そうであれば、この詩人の好きなお菓子なのでしょう。


この写真は、オーストリア風のパヴローヴァとありました。

しかし、この詩の題名は何故Die Dachstube(屋根裏部屋)というのでしょうか。

そ うして、思うことは、この詩人は、屋根裏部屋にいて、上方から、その狭い窓から下界を眺めて、道行く人々に此の詩の言葉を投げかけているのだということで す。そう思って、この詩を読むと、そのこころが、何故このような詩を歌ったのかが、より良くわかるのではないでしょうか。


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