【西東詩集103】 Schenke, Dichter, Schenke(酌人、詩人、酌人)
【原文】
Schenke
WELCH ein Zustand! Herr, so späte
Schleichst du heut aus deiner Kammer;
Perser nennens Bidamag buden,
Deutsche sagen Katzenjammer.
Dichter
Lass mich jetzt, geliebter Knabe,
Mir will nicht die Welt gefallen,
Nicht der Schein, der Duft der Rose,
Nicht der Sang der Nachtigallen.
Schenke
Eben das will ich behandeln,
Und ich denk, es soll mir klecken,
Hier! geniess die frischen Mandeln
Und der Wein wird wieder schmecken.
Dann will ich auf der Terasse
Dich mit frischen Lüften tränken,
Wie ich dich ins Auge fasse
Gibst du einen Kuss dem Schenken.
Schau! die Welt ist keine Höhle,
Immer reih an Brut und Nestern,
Rosenduft und Rosenöle!
Bulbul auch sie singt wie gestern.
JENE garstige Vettel,
Die buhlerische,
Welt heisst man sie,
Mich hat sie betrogen
Wie die uebrigen alle.
Glaube nahm sie mir weg,
Dann die Hoffnung,
Nun wollte sie
An die Liebe,
Da riss ich aus.
Den geretteten Schatz
Für ewig zu sichern
Teilt ich ihn weiblich
Zwischen Suleika und Saki.
Jedes der beiden
Beeifert sich um die Wette
Höhere Zinsen zu entrichten.
Und ich bin reicher als je:
Den Glauben hab’ ich wieder!
An ihre Liebe den Glauben;
Er, im Becher, gewährt mir
Herrliches Gefühl der Gegenwart;
Was will da die Hoffnung!
【散文訳】
酌人
なんという体たらくだ!旦那、こんなに遅い時間に
忍び足とは、旦那、今日になってから、あんたの其の部屋からねえ
ペルシャ人は、ビダマーグの襤褸家(ぼろや)といってまさあ
ドイツ人は、二日酔い(猫の悲嘆の声)といっておりますねえ。
詩人
放っといとくれ、愛する子童よ
わたしには、世界が気に入らぬのだ
陽の光も、薔薇の花の香りも
夜 啼き鶯たちの歌も。
酌人
正に其れこそが、おいらの出番
そして、おいらがしっかりやらなけりゃと思いますよ
ほら!もぎたての巴旦杏( すもも)ですよ
それに、葡萄酒が、 これまた、いい味がすること請け合いですよ。
となると、次に、おいらは露台(テラス)に出て
旦那に、新鮮な空気を飲ませてやって
おいらが旦那の目をしっかりと見れば
旦那は、この酌童に口付けをしてくれるという訳さ。
ほら目を開けて!、世界は空虚な穴ではないですよ
雛と巣で、いつも豊かで
薔薇の花の香りと薔薇の油で!
ブルブル鳥(夜啼き鶯)もまた、昨日のように歌ってますよ。
あの吝嗇の淫売婦の
あの婀娜(あだ)な女を
世界だと、世間は呼んでいるが
おいらは、あんな女に騙されてちまってさ
他の有り体の奴ら同然にね。
信じるこころを、あの女はおいらから奪い取ったのさ
それから、希望もね
こうして今や、あいつが慾し、求めているのは
愛なのさ
となりゃあ、三十六計逃げるにしかずさ。
救済された財宝(ハーテム、詩人のこと)を
永遠に保障するために
おいらは、その宝を、女々しくも(男のように独り占めしないで)
ズーライカとサーキーとで分けるのさ。
二人のいづれもが
熱心に
より高い利子を支払うという競争を求めるって寸法さ
そして、おいらは、以前よりも金持ちになるというわけさ、つまり
あの信ずるこころを、再び取り戻すのさ!
あんたがたの愛に接し向かって、あの信ずるこころをね、というのも
あいつが、杯の中で、おいらに授けてくれるのさ
今こうして在ることの素晴らしい感情を
すると、そこで、希望が何かを慾っするというわけさ!
【解釈と鑑賞】
Schenke、酌人というのも、この詩を読みますと、女を買うのですから、まあ若い青年という、あるいは10代後半位からの年齢の職業なのでしょう。
何かかう、自分の客人との間の同性愛的な感情も共有しているものと見えます。他の詩でもそうでありましたけれども。
最初の酌人の詩にあるように、日本語で二日酔いということを、
ペルシャ人は、ビダマーグの襤褸家(ぼろや)といってまさあ
ドイツ人は、二日酔い(猫の悲嘆の声)といっておりますねえ。
というのです。
前者は、何か市場にある露店や屋台の家のことで、ペルシャ人は、そんな酷い家とも言えない場所から這い出して来ることを二日酔いといい、後者は、その通りで、猫が頭のなかでミャウミャウ、ニャーニャーと泣いている声を張り上げるのが聞こえるのでしょう。
前者の襤褸家から這い出すは、詩人が売春婦のその部屋から這い出すに、言葉を掛けています。そういって、酌人は、詩人をからかっているのです。
最後の、下から3行目の、
あいつが、杯の中で、おいらに授けてくれるのさ
という一行のこの「あいつ」が何を指すかについては、次の4つの可能性があります。
1。葡萄酒(男性名詞)
2。詩人(男性名詞)
3。神(男性名詞)
4。これら全てを同時に指し示す
わたしはおそらく、im Becher、杯の中にとあるので、1だとおもいます。
しかし、2であれば、杯の中にある詩人という意味で、まあ酒に溺れた詩人という意味、それほど酒の好きな詩人という意味になるでしょう。
このEr(あいつは、彼は)は、行頭ですから大文字で始まりますので、3の可能性も否定できません。そうであれば、酒坏(さかつき)の中にいる神という存在という意味になります。この意味は、1に近づくでしょう。
しかし、言葉遊びの名人としてのゲーテを思えば、4の可能性も否定なしとはしないのではないかと思います。
最後に、酌人のいうブルブル鳥の写真です。