2015年1月31日土曜日

【西東詩集104】 Schenke(酌人)


【西東詩集104】 Schenke(酌人)


【原文】

                            Schenke

HEUTE hast du gut gegessen,
Doch du hast noch mehr getrunken;
Was hast du bei dem Mahl vergessen
Ist in diesen Napf gesunken.

Sieh, das nennen wir ein Schweinchen,
Wie’s dem satten Gast gelüstet;
Dieses bring ich meinem Schwane
Der sich auf den Wellen brüstet.

Doch vom Singschwan will man wissen
Dass er sich zu Grabe läutet;
Lass mich jedes Lied vermissen,
wenn es auf dein Ende deutet.


【散文訳】

           
           酌人

今日は、旦那は、よく召し上がりになりましたねえ
それなのに、食べるよりもまだもっとお飲みになりましたよ
食事のときに旦那が忘れちまったことは
この小鉢の中に沈んじまってますよ。

ほら、いいですか、これを、われら酌人は子豚ちゃんと呼んでいるんです
その子豚ちゃんが、満腹した客人にまだ喰いたい喰いたいといっている通りでね
こいつを、おいらは、波の上で威張ってゐる
おいらの白鳥のところに持って行くんでさあ。

ところがどっこい、世間が、歌う白鳥のことで、知りたいのは
こいつが、弔鐘を鳴らしているってえことなんですよ
どの歌も願い下げだね
もしその歌が、旦那の 臨終を暗示しているのであればね。


【解釈と鑑賞】

第1連の小鉢と訳した容器には、何か吐いたり、吐き出したりしたものを、そこに吐き出すのではないかと思います。

第2連の、

波の上で威張っている白鳥

というのは、白鳥の歌という言われがあるように、最後の死の前の歌という含意があるのでしょう。それ故に、その次に弔鐘を鳴らすことを世間は期待していると続くのでしょう。

この白鳥と子豚の組み合わせは、食い過ぎて死なないようにというのが、一番単純な解釈でありませう。

かうしてみますと、酌人という若者も、やはり文藝の素養があって、そのことを仕事の上で要求されていたのかも知れません。

【西東詩集103】 Schenke, Dichter, Schenke(酌人、詩人、酌人)


【西東詩集103】 Schenke, Dichter, Schenke(酌人、詩人、酌人)


【原文】

                      Schenke

WELCH ein Zustand! Herr, so späte
Schleichst du heut aus deiner Kammer;
Perser nennens Bidamag buden,
Deutsche sagen Katzenjammer.

                     Dichter

Lass mich jetzt, geliebter Knabe,
Mir will nicht die Welt gefallen,
Nicht der Schein, der Duft der Rose,
Nicht der Sang der Nachtigallen.

                    Schenke

Eben das will ich behandeln,
Und ich denk, es soll mir klecken,
Hier! geniess die frischen Mandeln
Und der Wein wird wieder schmecken.

Dann will ich auf der Terasse
Dich mit frischen Lüften tränken,
Wie ich dich ins Auge fasse
Gibst du einen Kuss dem Schenken.

Schau! die Welt ist keine Höhle,
Immer reih an Brut und Nestern,
Rosenduft und Rosenöle!
Bulbul auch sie singt wie gestern.

JENE garstige Vettel,
Die buhlerische,
Welt heisst man sie,
Mich hat sie betrogen
Wie die uebrigen alle.
Glaube nahm sie mir weg,
Dann die Hoffnung,
Nun wollte sie
An die Liebe,
Da riss ich aus.
Den geretteten Schatz
Für ewig zu sichern
Teilt ich ihn weiblich
Zwischen Suleika und Saki.
Jedes der beiden
Beeifert sich um die Wette
Höhere Zinsen zu entrichten.
Und ich bin reicher als je:
Den Glauben hab’ ich wieder!
An ihre Liebe den Glauben;
Er, im Becher, gewährt mir
Herrliches Gefühl der Gegenwart;
Was will da die Hoffnung!



【散文訳】

           
     酌人

なんという体たらくだ!旦那、こんなに遅い時間に
忍び足とは、旦那、今日になってから、あんたの其の部屋からねえ
ペルシャ人は、ビダマーグの襤褸家(ぼろや)といってまさあ
ドイツ人は、二日酔い(猫の悲嘆の声)といっておりますねえ。

     詩人

放っといとくれ、愛する子童よ
わたしには、世界が気に入らぬのだ
陽の光も、薔薇の花の香りも
夜 啼き鶯たちの歌も。

     酌人

正に其れこそが、おいらの出番
そして、おいらがしっかりやらなけりゃと思いますよ
ほら!もぎたての巴旦杏( すもも)ですよ
それに、葡萄酒が、 これまた、いい味がすること請け合いですよ。

となると、次に、おいらは露台(テラス)に出て
旦那に、新鮮な空気を飲ませてやって
おいらが旦那の目をしっかりと見れば
旦那は、この酌童に口付けをしてくれるという訳さ。

ほら目を開けて!、世界は空虚な穴ではないですよ
雛と巣で、いつも豊かで
薔薇の花の香りと薔薇の油で!
ブルブル鳥(夜啼き鶯)もまた、昨日のように歌ってますよ。


あの吝嗇の淫売婦の
あの婀娜(あだ)な女を
世界だと、世間は呼んでいるが
おいらは、あんな女に騙されてちまってさ
他の有り体の奴ら同然にね。
信じるこころを、あの女はおいらから奪い取ったのさ
それから、希望もね
こうして今や、あいつが慾し、求めているのは
愛なのさ
となりゃあ、三十六計逃げるにしかずさ。
救済された財宝(ハーテム、詩人のこと)を
永遠に保障するために
おいらは、その宝を、女々しくも(男のように独り占めしないで)
ズーライカとサーキーとで分けるのさ。
二人のいづれもが
熱心に
より高い利子を支払うという競争を求めるって寸法さ
そして、おいらは、以前よりも金持ちになるというわけさ、つまり
あの信ずるこころを、再び取り戻すのさ!
あんたがたの愛に接し向かって、あの信ずるこころをね、というのも
あいつが、杯の中で、おいらに授けてくれるのさ
今こうして在ることの素晴らしい感情を
すると、そこで、希望が何かを慾っするというわけさ!


【解釈と鑑賞】

Schenke、酌人というのも、この詩を読みますと、女を買うのですから、まあ若い青年という、あるいは10代後半位からの年齢の職業なのでしょう。

何かかう、自分の客人との間の同性愛的な感情も共有しているものと見えます。他の詩でもそうでありましたけれども。

最初の酌人の詩にあるように、日本語で二日酔いということを、

ペルシャ人は、ビダマーグの襤褸家(ぼろや)といってまさあ
ドイツ人は、二日酔い(猫の悲嘆の声)といっておりますねえ。

というのです。

前者は、何か市場にある露店や屋台の家のことで、ペルシャ人は、そんな酷い家とも言えない場所から這い出して来ることを二日酔いといい、後者は、その通りで、猫が頭のなかでミャウミャウ、ニャーニャーと泣いている声を張り上げるのが聞こえるのでしょう。

前者の襤褸家から這い出すは、詩人が売春婦のその部屋から這い出すに、言葉を掛けています。そういって、酌人は、詩人をからかっているのです。

最後の、下から3行目の、

あいつが、杯の中で、おいらに授けてくれるのさ

という一行のこの「あいつ」が何を指すかについては、次の4つの可能性があります。

1。葡萄酒(男性名詞)
2。詩人(男性名詞)
3。神(男性名詞)
4。これら全てを同時に指し示す

わたしはおそらく、im Becher、杯の中にとあるので、1だとおもいます。

しかし、2であれば、杯の中にある詩人という意味で、まあ酒に溺れた詩人という意味、それほど酒の好きな詩人という意味になるでしょう。

このEr(あいつは、彼は)は、行頭ですから大文字で始まりますので、3の可能性も否定できません。そうであれば、酒坏(さかつき)の中にいる神という存在という意味になります。この意味は、1に近づくでしょう。

しかし、言葉遊びの名人としてのゲーテを思えば、4の可能性も否定なしとはしないのではないかと思います。

最後に、酌人のいうブルブル鳥の写真です。






【Eichendorfの詩102】Zeitlieder(時代の歌々)


【Eichendorfの詩102】Zeitlieder(時代の歌々) 
  

【原文】

Wo ruhig sich und wilder
Unstete Wellen teilen,
Des Lebens schöne Bilder
Und Kläng verworren eilen,
Wo ist der sichre Halt? -
So ferne, was wir sollen,
So dunkel, was wir wollen,
Fasst alle die Gewalt.

【散文訳】

Wo ruhig sich und wilder
Unstete Wellen teilen,
Des Lebens schöne Bilder
Und Kläng verworren eilen,
Wo ist der sichre Halt? -
So ferne, was wir sollen,
So dunkel, was wir wollen,
Fasst alle die Gewalt.

静かに互いに、そして、一層荒々しく
不安定な波という波が分かれる場所で
生命の、美しい像という像は
そして、響という響は、混乱しながら急いで行く
確実な停止は、何処にあるのだ?
かくも遠い、わたしたちのしなければならぬことは
かくも暗い、わたしたちの欲するものは
皆の者よ、力を摑め。


【解釈と鑑賞】

4行目の、

混乱しながら

と訳した、このドイツ語はverworrenですが、この言葉の意味には、その上の2行目で、波が互いに分かれるとある其の様子を同時に表しているドイツ語です。

即ち、混乱しながらという言葉を、崩ほれるとか、砕けながらとか、そのような形象を波の分かたれる姿だと思って下されば、脈絡が通じると思います。

そのような波の様が、同時に時代の頽落であり、退廃であるのです。

この詩も、前の前の詩のAn die Dichter(詩人たちに)と題した詩のこころに通じる詩であると思います。

【Eichendorfの詩101】Wünschelrute(魔法の杖)


【Eichendorfの詩101】Wünschelrute(魔法の杖) 
  

【原文】

Schläft ein Lied in allen Dingen,
Die da träumen fort und fort,
Und die Welt hebt an zu singen,
Triffst du nur das Zauberwort.


【散文訳】

ひとつの歌が、あらゆる物の中に眠っている
あらゆる物は、そこで、ほら、夢見て、夢見て、夢見る
そして、世界が、歌い始める
お前は、只その呪文の文句を言い当てればいいのだ。


【解釈と鑑賞】

これも解釈不要の詩ではないでしょうか。

世界は、謎であり、迷宮である。何故ならば、その中には、一個の歌が眠っているからである。

この、(世界、 歌または詩、夢見ること、詩人)という主題は、リルケも、その晩年の傑作『オルフェウスへのソネット』の中で歌っております。

その詩では、少女が世界を眠るのでした。眠りと夢は同義です。

この詩は、世界の、万物の中で歌が眠り、同時に世界が、万物が夢見るのです。

さて、その密やかなる関係の扉を開ける鍵である呪文の言葉とは何か。

これは、アイヒェンドルフの場合には、自然の典型的な要素である、森、夜啼き鶯、狩りの笛の音、夕暮れ、朝焼け、山々、谷々等々といった言葉とその組み合わせなのでしょう。

あなたにとっては、どのような言葉が、これに当たるのでしょうか。

Die Dachstube(屋根裏部屋):第6週 by Ezra Pound(1885 ー 1972)

Die Dachstube(屋根裏部屋):第6週 by  Ezra Pound(1885 ー 1972)
 

【原文】

Komm, laß uns die bemitleiden, denen es besser geht als uns.
Komm, Freundin, erinnere dich:
           Die Reichen haben Diener und keine Freunde,
Und wir haben Freunde und keine Diener.
Komm, laß uns bemitleiden Verheiratete und Unverheiratete.

Dämmerung tritt mit kleinen Füssen ein
            Wie eine goldne Pavlowa,
Und ich bin meiner Sehnsucht nahe.
Nichts Besseres hat das Leben
Als diese Stunde klarer Ruhe,
            Stunde gemeinsamen Abendgangs.


【散文訳】

おい、我々よりももっとより良くやっている人々を憐れもうではないか
おい、友達(女)よ、思い出せ:
   金持ちは召使いを持っているが、しかし、友達(男)は一人もいない
そして、我々には、友達(男)はいるが、しかし、召使いはいないということを。
おい、結婚している奴らと、結婚していない奴らを憐れもうではないか。

黄昏が、小さな足で、登場する
    黄金のパヴローヴアのように
すると、わたしは、わたしの憧れに近いところにいて
これ以上より良いものを、人生は持ってはいないのだ
清澄な静寂のこの時間より以上のより良いものを
    即ち、皆と一緒の夕暮れの過ぎ行くことの時間より以上のより良いものを


【解釈と鑑賞】


この詩人の、Wikipediaです。言うまでもなく、アメリカの高明な詩人です。

日本語のWikipedia:
http://goo.gl/571pSc

英語のWikipedia:
http://goo.gl/RoYtsV

Ezra Pound基金があります:
http://www.poetryfoundation.org/bio/ezra-pound

第 1連の最後の行の、憐れもうではないかと訳した憐れむというドイツ語はbemitleidenですが、日本で今普通に憐れむと訳すと、何か一方的に憐れむ ように思われますが、ドイツ語の原意はそうではなく、一緒に苦しみを分かち合うというこころが宿った言葉です。もともと、日本語の哀れを覚えるという言葉 も、そうである筈です。

この一緒に苦しみを分かち合うというこころが、第2連の

皆と一緒の夕暮れの過ぎ行くことの時間

という言葉の中のStunde gemeinsamen Abendgangsにある、皆と一緒の道行きという表現にそのまま通じているのです。

また、第1連の最初の一行の


我々よりももっとより良くやっている人々

という言葉の、もっとより良くと訳した箇所は、そのまま第2連の下から3行目の

これ以上より良いものを、人生は持ってはいないのだ


という言葉の、これ以上より良いものを、という表現にお互いに通っております。

第1連のこの箇所のドイツ語は、普通に日常に、やあ元気かい?とか、調子はどうだい?というときに使う挨拶の言葉の言い方なのですが、そう訳すと、第2連の第2連の下から3行目に呼応しなくなりますので、敢えて、前者でも後者と同じ訳語を採用しました。

第2連の黄金のパヴローヴァとは一体何かを調べましたが、なかなか見つかりませんでした。Googleで見つかるのは、この詩人のこの詩のこの言葉と、画 像でみる次のお菓子ばかりです。これが、黄金のパヴォローヴァなのでしょうか。そうであれば、この詩人の好きなお菓子なのでしょう。


この写真は、オーストリア風のパヴローヴァとありました。

しかし、この詩の題名は何故Die Dachstube(屋根裏部屋)というのでしょうか。

そ うして、思うことは、この詩人は、屋根裏部屋にいて、上方から、その狭い窓から下界を眺めて、道行く人々に此の詩の言葉を投げかけているのだということで す。そう思って、この詩を読むと、そのこころが、何故このような詩を歌ったのかが、より良くわかるのではないでしょうか。


【Eichendorfの詩100】An die Dichter(詩人たちに)


【Eichendorfの詩100】An die Dichter(詩人たちに) 
  

【原文】

Wo treues Wollen, redlich Streben
Und rechten Sinn der Rechte spürt,
Das muss die Seele ihm erheben,
Das hat mich jedesmal gerührt.

Das Reich des Glaubens ist geendet,
Zerstört die alte Herrlichkeit,
Die Schönheit weinend abgewendet,
So gnadenlos ist unsre Zeit.

O Einfalt, gut in frommen Herzen,
Du züchtig schöne Gottesbraut!
Dich schlugen sie mit frechen Scherzen,
Weil dir vor ihrer Klugheit graut.

Wo findet du nun ein Haus, vertrieben,
Wo man dir deine Wunder lässt,
Das treue Tun, das schöne Lieben,
Des Lebens fromm vergnüglich Fest?

Wo findest du den alten Garten,
Dein Spielzeug, wunderbares Kind,
Der Sterne heil'ge Redensarten,
Das Morgenrot, den frischen Wind?

Wie hat die Sonne schön  geschienen!
Nun ist so alt und schwach die Zeit;
Wie stehst so jung du unter ihnen,
Wie wird mein Herz mir stark und weit!

Der Dichter kann nicht mit verarmen;
Wenn alles um ihn her zerfällt,
Hebt ihn ein göttliches Erbarmen-
Der Dichter ist das Herz der Welt.

Den blöden Willen aller Wesen,
Im Irdischen des Herren Spur,
Soll er durch Liebeskraft erlösen,
Der schön Liebling der Natur.

Drum hat ihm Gott das Wort gegeben,
Das kühn das Dunkelste bennent,
Den frommen Ernst im reichen Leben,
Die Freudigkeit, die keiner kennt.

Da soll er singen frei auf Erden,
In Lust und Not auf Gott vertrauen,
Dass aller Herzen freier werden,
Eratmend in die Klänge schaun.

Der Ehre sei er recht zum Horte,
Der Schande leucht er ins Gesicht!
Viel Wunderkraft ist in dem Worte,
Das hell aus reinem Herzen bricht.

Vor Eitelkeit soll er vor allen
Streng hüten sein unschuld'ges Herz,
Im Falschen nimmer sich gefallen,
Um eitel Witz und blanken Scherz.

Oh, lasst unedle Mühe fahren,
O klingelt, gleisst und spielet nicht
Mit Licht und Gnade, so ihr erfahren,
Zur Sünde macht ihr das Gesicht!

Den lieben Gott lass in dir walten,
Aus frischer Brust nur freilich sing!
Was wahr in dir, wird sich gestalten,
Das andre ist erbärmlich Ding.-

Den Morgen seh ich ferne scheinen,
Die Ströme ziehn im grünen Grund,
Mir ist so wohl! - die's ehrlich meinen,
Die grüß ich all aus Herzensgrund!


【散文訳】

誠実な意志を、誠心誠意の努力を
そして、正しい感覚(意義)を、正しい者が感じる場所では
それこそが、その人間の魂を高めずにはいられない
それこそが、わたしを毎回毎回感動させたのだ。

信仰の帝国は、終わり
古い荘厳は、破壊され
美は、泣きながら、身を背けて
かくも無慈悲になって、私たちの時代はあるのだ。

おお、無邪気、純真よ、敬虔な心臓の中に善くあって
お前は、貞淑にも美しい神の花嫁だ!
奴らは、卑劣な冗談を言って、お前を打擲した
なぜならば奴らの狡賢さの余りに、お前がぞっと恐ろしがるからだ。

何処に、お前は、追放されて、こうして今、一つの家を見つけるのか
何処に、人はお前にお前の奇跡をなすにまかせるというのか
誠実な行いを、美しい愛を
生命の、敬虔にも愉快なる祝祭をまかせるというのか?

何処に、お前は、お前の古い、懐かしい庭を見つけるというのか?
お前の玩具を、不思議な子供を
星々の神聖なる話し方を
燭光を、新鮮な風を、何処に見つけるというのか?

何と、太陽は、美しく輝いていたことか!
こうして今や、時代は、かくも古く、そして弱くなった
何と、お前は、それらに混ぢって、かくも若々しく立っていることか、すると
何と、わたしの心臓は、強く、そして遥かになることか!

詩人たるものは、一緒に貧しくなり、零落することはできない
詩人をめぐる総てのものが、崩壊するならば
神聖なる慈悲が、詩人を抱き上げるのだ
詩人は、世界の心臓なのだ。

総ての生き物の愚かな意志を
主の支配する地上的なるものの中にある痕跡を
詩人は、愛の力を通じて、救済するのが使命なのだ
自然の、美しき思われ者として。

それ故に、神は詩人に言葉を与え給ふた
勇敢にも、最も暗きものに名前をつける其の言葉を
豊かな生命の中に、敬虔なる真剣さを
誰も知らない歓びを、与え給ふた。

そこで、詩人は、地上で自由に歌う定めなのだ
喜びと苦難の中に、神を信頼する定めなのだ、すると
万人のこころは、より自由になり
呼吸をしっかりと自分のものにしながら、諸々の響きの中を眺め入るのだ。

名誉にとっては、詩人こそ、まさしく財宝であれ
恥辱にとっては、詩人こそ、その顔を照らして明るくするのだ
たくさんの奇跡の力が、言葉の中にあり
その言葉は、明朗に、純粋なこころの中から溢れ出るのだ。

虚栄心から、詩人は、誰よりも
強く、その純潔のこころを護らねばならぬ。
虚栄心から、虚偽の中にあっては、決して奢ってはならぬ
空虚な機知とぴかぴかの冗談を引き換えにして。

おお、下賤の労苦を行かしめ、放っておけ
おお、呼び鈴を鳴らして人を起こすな、ぴかぴか飾って人を欺くな、賭け事をするな
光と恩寵を以って行くのだ、だからこそ、お前たちは知るのだ
お前たちは、その顔を、罪となすのだ!と

愛する神が、お前の中で支配するに任せなさい
新鮮な胸の内から、もう無論、唯々(ただただ)歌うのだ!
お前の中で真実であるものは、必ず姿形を取ることになる
その他のものは、憐れなものなのだ。

朝が、わたしは遥かに輝いているのをみる
川の流れという流れが、緑なす地を征く
わたしは、それですっかりいい気持ちだ!これらは本当にわたしのものなのだ。
これらのものに、わたしはこころの底から挨拶をするのだ!


【解釈と鑑賞】

この詩は、複数の詩人たちへと題している詩です。

この詩を読みますと、同時代の、そうしてその時代が何か退廃している時代の、その中で生きる詩人たちへの呼びかけの、詩人はかくあるべしという発声の詩であることがわかります。

恐らく、アイヒェンドルフという詩人にとって、何か一番辛く苦しい時代であったのです。

自分自身に対して呼びかけることだけでは足りず、詩人たちへと題して呼びかけたことに、それは現れております。

その意を汲んで、この詩を読むことにいたしませう。

2015年1月25日日曜日

Das ist das Schwerste(それが一番難しいことだ):第5週 by Selma Meerbaum-Eisinger(1924 ー 1942)



Das ist das Schwerste(それが一番難しいことだ):第5週 by  Selma Meerbaum-Eisinger(1924 ー 1942)





【原文】

Das ist das Schwerste: sich verschenken
Und wissen, dass man überflüssig ist,
Sich ganz zu geben und zu denken,
Dass man wie Rauch ins Nichts verfliesst.

【散文訳】

それが、一番難しいことだ。即ち、我が身を 他人(ひと)に贈ることが
そして、人間は余りものであると知ることが
我が身を全く与えて、そして自己のことを考えることが
人は、無の中にある煙のように流れ去っているのだということを考えることが。

【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。ドイツの詩人です。

http://de.wikipedia.org/wiki/Selma_Meerbaum-Eisinger

このWikipediaの記述を読みますと、ユダヤ人で、ウクライナのMichailowkaの強制収容所で、18歳で亡くなっております。それで、このような少女時代の写真しか残っていないのです。

母方の家系を通じて、やはり詩の世界に名を残したPaul Cellanのまた従姉妹(またいとこ)に当たります。

この詩も素晴らしい、認識と覚悟の詩です。

素晴らしいというのは、この言葉には虚無がなく、悲嘆もなく、大げさな感情も、愚かな感情の揺れもないからです。

このこころで、10代を生きた。

もっと生きたら、素晴らしい詩をもっと書いたことでしょう。



Ich sehe oft um Mitternacht(私はよく真夜中頃に見る):第4週 by Matthias Claudius(1740 ー 1815)


Ich sehe oft um Mitternacht(私はよく真夜中頃に見る):第4週 by  Matthias Claudius(1740 ー 1815)



【原文】

Ich sehe oft um Mitternacht,
Wenn ich mein Werk getan
Und niemand mehr im Hause wacht,
Die Stern' am Himmel an.

Sie gehn da, hin und zerstreut
Als Lämmer auf der Flur;
In Rudeln auch, und aufgereiht
Wie Perlen an der Schnur;

Und funkeln alle weit und breit,
Und funkeln rein und schön;
Ich seh die große Herrlichkeit,
Und kann mich satt nicht sehn...

Dann saget, unterm Himmelszelt,
Mein Herz mir in der Brust:
》Es gibt was Besseres in der Welt
Als all ihr Schmerz und Lust.《

Ich werf mich auf mein Lager hin,
Und liege lange wach,
Und suche es in meinem Sinn,
Und sehne mich darnach.



【散文訳】

わたしは、よく、真夜中頃に見る
わたしが、わたしの作品のことを為し
そして、誰ももはや家の中で目を覚ましていないときにはいつでも
天にある星々を見る。

星々は、あそこを往く、そして散在して
草原にいる子羊たちとして
また群れをなして、そしてきれいに糸に通されて
糸(ひも)に縫われた真珠たちのように

そして、すべての星々は、遠く広く何処までも燦(きら)めき
そして、純粋に、そして美しく、燦めいている
わたしは、偉大な荘厳を見る
そして、わたし自身を見て、見飽きることがない...

すると、天幕の下にあって
わたしの心臓が、わたしに、胸の中でこういうのだ
》世の中には、もっと 良いものが存在する
お前たちの総ての苦しみと喜びとして。《

わたしは、わたしの寝床に横になり
そして、長い間、目を覚ましたまま横たわっている
そして、わたしのこころの、意識の、感覚の中で、わたしの寝床を求めるのだ
そして、それに憧れるのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。ドイツの詩人です。

http://de.wikipedia.org/wiki/Matthias_Claudius

上に掲げた画像でわかるように、ドイツという国の発行する切手に、この詩人は、なっております。

Wikipediaによれば、母がたの家系と通じて、テオドル・シュトルムやヨハンネス・ブラームスと親戚関係にあるとあります。

ドイツの電車に乗りますと、日本ならば丁度夥(おびただ)しい広告の張り巡らしてある入り口の扉の上、窓の上、棚の上の面に、ヘルマン・ヘッセやハインリッヒ・ハイネの詩が掲示されております。ドイツ人は、詩をこのように大切にし、日常のものとしております。

他方、翻って、日本の詩人たちはどうでしょうか。わたしは、率直に言って、日本の詩人たちの貧しさ、即ち社会を欠いているということの貧しさに無自覚であるという貧しさを思わずにはいられません。他方、国家の発行する切手に、詩人の切手がないということは、国も社会も詩人に敬意を払うことをしていないということを意味します。桂冠詩人のいるイギリスや、その他の欧米で言われれるpoet in residenceのいない、詩文についてはやはり貧しく、惨たるものだという以外にはない日本の詩のことを嘆かずにはいられません。

この詩人も、この詩もまた、ドイツ人の間に知られているのでしょう。





2015年1月12日月曜日

【西東詩集102】 SCHENKE spricht(酌人が語る)

【西東詩集102】 SCHENKE spricht(酌人が語る)


【原文】

DU, MIT deinen braunen Locken,
Geh mir weg, verschmitzte Dirne!
Schenk ich meinem Herrn zu Danke,
Nun so küsst er mir die Stirne.

Aber du, ich wollte wetten,
Bist mir nicht damit zufrieden,
Deine Wangen, deine Brüste
Werden meinen Freund ermüden.

Glaubst du wohl mich zu betriegen
Dass du jetzt verschämt entweichest?
Auf der Schwelle will ich liegen
Und erwachen wenn du schleichest.

SIE haben wegen der Trunkenheit
Vielfältig uns verklagt,
Und haben von unsrer Trunkenheit
Lange nicht genug gesagt.
Gewöhnlich der Betrunkenheit
Erliegt man bis es tagt;
Doch hat mich meine Betrunkenheit
In der Nacht umher gejagt.
Es ist die Liebestrunkenheit,
Die mich erbärmlich plagt,
Von Tag zu Nacht, von Nacht zu Tag
In meinem Herzen zagt.
Dem Herzen, das in Trunkenheit
Der Lieder schwillt und ragt
Dass keine nüchterne Trunkenheit
Sich gleichzuheben wagt.
Lieb-, Lied- und Weines Trunkenheit,
Ob nachtet oder tagt,
Die göttlichste Betrunkenheit,
Die mich entzückt und plagt.

DU KLEINER Schelm du!
Dass ich mir bewusst sei
Darauf kommt es überall an.
Und so erfreu ich mich
Auch deiner Gegenwart,
Du allerliebster,
Obgleich betrunken.

WAS in der Schenke waren heute
Am frühsten Morgen für Tumulte!
Der Wirt und Mädchen! Fackeln, Leute!
Was gabs für Händel, für Insulte!
Die Flöte klang, die Trommel scholl!
Es war ein wüstes Wesen -
Doch bin ich, Lust und Liebe voll,
Auch selbst dabei gewesen.

Dass ich von Sitte nichts gelernt
Darüber tadelt mich ein jeder;
Doch bleib’ ich weiblich weit entfernt
Vom Streit der Schulen und Katheder.


【散文訳】

お前、お前の茶色の巻き毛をしたお前
俺の元から去れ、狡賢(ずるがしこ)い女め!
俺が、わが主人(あるじ)に、感謝のために、酒を注(つ)ぐのだ
さて、今や、わが主人は、俺の額に口付けするのだ。

しかし、いいか、よく聞けよ、俺は賭けてもいいが
お前は、俺にはちっとも満足なものじゃない
お前の頬、お前のふたつの胸は
俺の友達(主人)を疲れさせること必定だ。

お前はきっと、俺を騙したいと思っているんだろう?
お前は、さて今から、恥ずかしく思って、逃げようと、そう思っているんだろう?
俺は、敷居の上に寝転んでいて
そして、お前が足音を忍ばせると、目覚めてやるのさ。

客人たちは、酩酊の故に
様々に俺たちを告発した
しかし、俺たちの酩酊については
長いこと、語っても、不十分にしか語らなかった。
普通は、酩酊には
朝が来るまでは逆らえないものだ
しかし、俺の酩酊と来たら
夜中でも、俺をあっちにもこっちにも狩り立てた。
俺を、哀れにも苦しめるのは
愛の酩酊なのだ
昼も夜も、夜も昼も
その酩酊は、俺の心臓の中で、臆病にしているのだ。
数々歌われる歌の酩酊の中で膨れ上がり、聳(そび)え立つ、その心臓に於いては
だから、どんな素面(しらふ)の(世俗の)酩酊も
敢えて対抗しようなどとは思わないのだ。
愛の、歌の、酒の酩酊は
夜が来ようと、朝が来ようと
最も神々しい陶酔であり
俺を魅了し、苦しめるのだ。

お前、いたずら坊主よ、やい!
俺は知っているということ
どこにいても、これが大事なのだ。
そして、俺は喜んでいるのだ
実際、お前が今目の前にいるということを
お前、一番可愛い奴よ
酔っ払ってしまっていても。

酒場で、今日いた者たちは何なのだ
一番早い朝にいて、それも陶酔のために!
酒場の亭主に娘達!松明(たまつ)!人間たち!
喧嘩のために、侮辱のために!
横笛という横笛が鳴り響いた、太鼓が鳴った!
それは、荒涼たる物事だった
しかし、俺は、陽気と愛で一杯になって
自分もその場にいたのだ。

俺が、礼儀作法や道徳について学ばなかったということ
これについては、誰もが俺を非難する
しかし、俺は、女々しいことに、遥かに遠いままなのさ
学校と講壇の戦いからはね。


【解釈と鑑賞】
最後から3連目は、これは、酌童が自分が酌する主人になって、その役を演じて、その口ぶりも真似ているのでしょう。

これ以前の、この巻の主題のひとつである酩酊、陶酔という、酒を飲んでのこの人間の状態を、酌童の目から歌った詩ということになります。

Morgens und abends zu lesen(朝も晩も読書すること)


Morgens und abends zu lesen(朝も晩も読書すること):第3週 by  Bertolt Brecht(1898 ー 1956   )


【原文】

Der, den ich liebe
Hat mir gesagt
Dass er mich braucht.

Darum
Gebe ich auf mich acht
Sehe auf meinen Weg und
Fürchte von jedem Regentropfen
Dass er mich erschlagen könnte.


【散文訳】

わたしが愛する男が
わたしに言った
男はわたしが必要だ、と。

それ故に
わたしは、わたしに注意を払い
わたしの道の方角を見て、そうして
どの雨の雫をも恐れ
その雨滴が、わたしを撃ち殺すことができるかも知れないことを恐れた。


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。いうまでもなく、ドイツの劇作家でもあります。

http://goo.gl/Aj2mdV

小さな筈の雨の雫が、自分を殺すかも知れないという此の譬喩(ひゆ)に、この詩人の感覚が生きています。普通は、大きなものが人間を殺すと、普通の人ならば、歌うことでしょう。

そうして、題名に戻って此の詩を考えてみますと、毎日朝夕にする読書とは、このようなものだと言っているのです。

とあれば、最初の連の最初の一行の、わたしが愛する男とは、自分自身のことでありませう。ブレヒトが、もうひとりのブレヒトと対話をしているということになります。

しかし、翻って、わたしたちの読書を鑑みますと、読書とは確かにそのようなものではないでしょうか。それは、ささやかな行為であり、確かに雨滴から身を護ることに違いありません。

【Eichendorfの詩99】Trost(慰め)


【Eichendorfの詩99】Trost(慰め) 
  

【原文】

Es haben viel Dichter gesungen
Im schönen deutschen Land,
Nun sind ihre Lieder verklungen,
Die Sänger ruhen im Sand.

Aber solange noch kreisen
Die Stern um die Erde rund,
Tun Herzen in neuen Weisen
Die alte Schönheit kund.

Im Walde da liegt verfallen
Der alten Helden Haus,
Doch aus den Toren und Hallen
Bricht jährlich der Frühling aus.

Und wo immer müde Fechter
Sinken im mutigen Strauss,
Es kommen frische Geschlechter
Und fechten es ehrlich aus.


【散文訳】

多くの詩人たちが歌を歌って来た
美しい、ドイツの国で
さて、かうして、今になってみると、詩人たちの歌の響きは止み
歌い手たちは、砂の中に憩ふてゐる。

しかし、依然として、
星々が、地球の周囲を巡つている限り
心臓は、新しいやり方で
古い、懐かしい美を告げ知らせる。

森の中、そこに朽ちてゐるのは
古い英雄たちの家
しかし、門扉という門扉、回廊という回廊からは
毎年、春が芽を出す。

そして、いつも剣士が疲れて
勇敢な死闘の中に沈む場所で
新鮮な同じ種族の者たちがやって来て
そして、誠実に戦い抜く。


【解釈と鑑賞】

このやうな詩を読みますと、現実を荘厳することが、詩人の使命であり、その仕事だといふことを、やはり思ひます。

どのやうな詩人も、修辞を巧みにして、即ち譬喩(ひゆ)を以って、このやうに歌う。

どのやうな出来事を見て、アイヒェンドルフが此の詩を書いたのかはわかりませんが、現実は、ここに書いてあることの裏返しであつたのでせう。

最後の連の、剣士が沈むとある此の沈むとは、そのまま戦いに敗れて身が沈むといふ形象であり、従い没するといふ意味であり、死ぬといふことを言い表しております。

2015年1月3日土曜日

【西東詩集101】 Suleika, Hatem, Dem Kellner, Dem Schenken(ズーライカ、ハーテム、給仕に、酌人に)


【西東詩集101】 Suleika, Hatem, Dem Kellner, Dem Schenken(ズーライカ、ハーテム、給仕に、酌人に)


【原文】

Suleika

WARUM du nur oft so unhold bist?

Hatem

Du weisst daß der Leib ein Kerker ist,
Die Seele hat man hinein betrogen,
Da hat sie nicht freie Ellebogen.
Will sie sich da - und dorthin retten,
Schnürt man den Kerker selbst in Ketten;
Da ist das Liebchen doppelt gefährdet,
Deshalb sie sich oft so seltsam gebärdet.

WENN der Körper ein Kerker ist,
Warum nur der Kerker so durstig ist?
Seele befindet sich wohl darinnen
Und bliebe gern vergnügt bei Sinnen;
Nun aber soll eine Flasche Wein,
Frisch eine nach der andern herein.
Seele wills nicht länger ertragen,
Sie an der Türe in Stücke schlagen.

Dem Kellner

SETZE mir nicht, du Grobian,
Mir den Krug so derb vor die Nase!
Wer mir Wein bringt sehe mich freundlich an,
Sonst trübt sich der Eilfer im Glase.

Dem Schenken

Du zierlicher Knabe, du komm herein,
Was stehst du denn da auf der Schwelle?
Du sollst mir künftig der Schenke sein,
Jeder Wein ist schmackhaft und helle.


【散文訳】

ズーライカ

あなたが、本当に時につれなくなることがあるのは何故?


ハーテム

体が牢獄だということは、お前も知っているだろう
魂を、人は、その中に騙して連れ込んだのだ
だから、魂は、自由な肘を持たなくなった。
そこで、魂がみづからをどうにかしたいと思えば、あそこに行って救いたいとお思えば、
人は、牢獄自体を鎖に繋ぐだろう
そうなれば、愛するものは、二重に危険に晒されるのだ
それ故に、魂は、しばしば、そのように振舞うことが稀なのだ。

もし体が牢獄ならば
何故牢獄だけが、かくも喉が渇いているのだろうか?
魂は、きっとその中にあるのに
そうして、そうなれば、喜んで満足して、五感の感覚のもとに留まることだろうのに
しかし、さて、こうしてみると、一壜の酒が
鮮やかに、気持ちよく、次から次へとやって来なければなるまい。
魂は、もはやこれ以上堪えたくはないのだ
その壜を扉にぶつけて粉々に打ち壊してしまいたいのだ。


給仕に向かって

俺のところには置くな、お前、武骨な田舎者よ
俺の鼻面に、そんな風に無作法に、酒壺を置くんぢゃない!
俺に酒を持ってくる奴は、俺を親し気に見てからにしろ
そうでなけりゃ、アイルファーの葡萄酒が、硝子の杯の中で濁ってしまう。


酌人に向かって

お前、瀟洒なる少年よ、お前は入って来るがよい
一体、そんな敷居に立って、どうしたというのだ?
お前が、将来、わたしに酒を注(つ)ぐ酌人であるというのに
どの酒も、美味く、そして明朗な味がするぞ。



【解釈と鑑賞】

給仕に向かって歌う詩にあるアイルファーというのは、葡萄酒の銘柄の名前です。

ヴァイマールの西の郊外の葡萄園で採れる葡萄酒です。次のウエッブサイトがあります。:
http://www.weinbau-zu-weimar.de/roter-eilfer

また、このアイルファーという葡萄酒は、ゲーテの好きな葡萄酒であったと見えて、Eilferという題名の詩も書いており、それに曲がつけられて、次のような曲をこの同じウエッブサイトで聴くことができます。楽譜も載っております。:
http://www.weinbau-zu-weimar.de/eilfer

このフィルファーという葡萄酒は、ドイツ語でいうKometenwein、コメット葡萄酒、彗星葡萄酒と呼ばれる葡萄酒のひとつで、その年が非常に葡萄にとって条件のよい年で、このとき100年に一度の出来と言われる葡萄酒の名前です。

ゲーテのこの詩の葡萄酒も、この彗星葡萄酒のアイルファーを歌っているのだと言われています。このことを書いたWikipediaがあります。:
http://de.wikipedia.org/wiki/Kometenwein

なんだか、葡萄酒の話で、終わってしまいました。

この詩を読みますと、酒場にあっても、給仕と酌人は異なる身分と仕事であって、前者は酒場に専属であるのに対して、後者は酒場に来る常連客に専属の身分であるものと見えます。これが、ペルシャの世界の酒場の様子なのでしょう。

Tapete(絨毯):第2週 by Thilo Krause(1977 ー )


Tapete(絨毯):第2週 by  Thilo Krause(1977 ー    )



【原文】

Ich lernte, lernte mittags in Grossmutters Bett:
Kreise fangen nirgendwo an und Kreise
hören nirgendwo auf. Du kannst sie
mit den Augen eine Stunde lang abfahren.
Du kannst auf ihnen eine Stunde lang
unterwegs sein, dass deine Pu;allen
sich selbst nachjagen wie der Hund
des Nachbarn immer wieder seinem Schwanz nachjagte
in der einen Stunde zwischen Zwoelf und Eins
die mich Grossmutter ins Bett steckte...

Du sollst schlafen, sagte sie
aber von Tapete und Hunden
hatte sie keine Ahnung.

【散文訳】

わたしは学んだ、いつもお昼に、祖母のベッドの中で学んだ、つまり
円環という円環がどこからも始まらず、そして、円環という円環が
どこに於いてでも終わらないのだ。お前はそれらの円環を
眼で以って、一時間の長い時間、遍(あまね)く廻るのだ。
お前は、円環の上で、一時間の長い時間
途上にいることができ、お前の被後見者たる孤児たちは
自分自身の後を、猟犬のように追いかける
隣家の犬が、再三再四、自分の尻尾を追い掛けるように
12時と1時の間の一時間の内に
わたしを、祖母がベッドに隠した其の一時間の内に

お前は眠らなければならないよ、と祖母は言った
しかし、絨毯と犬たちのことについては
祖母は、何も知らかった。



【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。ドイツの、ドレスデン生まれの、そういう意味では東ドイツ生まれの詩人です。

http://de.wikipedia.org/wiki/Thilo_Krause


1977年の生まれとありますので、今年(2015年)38歳の詩人です。

Wikipediaを見ますと、数々の受賞歴を有しています。通俗的ないいかたをすれば、有望なるドイツ語の詩人ということになりませう。

わたしはこの詩を読んで、エリアス・カネッティの自伝的連作のひとつ、多分その第1作目の『Die gerette Zunge』(救われた舌)にある子供時代の逸話を思い出しました。

それは、子供の、幼児のカネッティが、家の床の絨毯を眺めて、そこに紅白の兵隊とその陣形を見て取って、戦争をして遊ぶことに夢中になっていたという逸話です。その子供の遊びを、あるとき母親に見つかって、禁止されて、終わりになってしまったという逸話です。

この詩人のこの詩、子供時代の自分を率直に歌った此の詩には、カネッティと同質の子供の認識と遊戯の姿があります。

Wikiには、この詩人の生い立ちは何も書いておりませんが、きっと親元を何かの理由で離れて、祖母と一緒に暮らしていたのでしょう。そのことが、お前の孤児たちという言葉から伺うことができます。

この昼の一時間に寝るという習慣も奇妙といえば奇妙でです。

ベッドに入ってから、この子供は床の絨毯を見て、カネッティと同じ想像力を働かせて、円環と犬の動きを眺めていたのです。



【Eichendorfの詩98】Der Schreckenberger(あのシュレッケンベルガーという男)


【Eichendorfの詩98】Der Schreckenberger(あのシュレッケンベルガーという男) 
  

【原文】

Aufs Wohlsein meiner Dame,
Eine Windfang ist ihr Panier
Fortuna ist ihr Name,
Das Lager ihr Quartier!

Und wendet sie sich weiter,
Ich kümmre mich nicht drum,
Da draußen ohne Reiter,
Da geht die Welt so dumm.

Statt Pulverblitz und Knattern
Aus jedem wüsten Haus
Gevattern sehn und schnattern
Alle Lust zum Land hinaus.

Fortuna weint vor Ärger,
Es rinnt Perl auf Perl.
》Wo ist der Schreckenberger?
Das war ein anderer Kerl.《

Sie tut den Arm mir reichen,
Fama bläst das Geleit,
So zu dem Tempel steigen
Wir der Unsterblichkeit.


【散文訳】

わたしの貴夫人の健康を祝して
風よけが、この夫人の軍旗であり
幸運の女神(フォルトゥーナ)というのが、この夫人の名前だ
野営の陣地が、この夫人の宿営だ!

そして、この貴婦人は、更に身を転ずる
わたしは、それには頓着しない
見ろ、外には騎兵も無く
見ろ、世界はかくも愚かに進んでいる。

火薬の電光と機関銃のパチパチ鳴る音の代わりに
どの荒涼たる家の中から
代父が外を眺め、そして鵞鳥のようにガアガアと鳴いて
あらゆる陽気、愉快を国土に向かって発している。

幸運の女神は、怒りの余りに涙し
真珠が次から次と迸(ほとばし)る
》あのシュレッケンベルガーという男はどこにいるの?
あの男は、格別だった。《

女神はわたしに腕を伸ばし
風評の女神が、この随行の喇叭を吹く
かうして、わたしたちは
不死の寺院へと昇り行く。


【解釈と鑑賞】

この詩の背景をよく説明してくれている次のウエッブページがありましたので、ご紹介します。

http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/W/Wolf/S935.htm

「アイヒェンドルフ晩年の短編小説”Die Glücksritter”(『運任せの騎士たち』)の挿入詩です。シュレッケンベルガーは物語の脇役。三十年戦争の終結によって職を失った傭兵の彼が、 新たな戦場を求めて仲間たちとハンガリーに向う途中、ハレ近郊の村の廃墟で野営している時に、女詐欺師ジンカSinkaに騙された話をしながら歌うのがこ の詩です。すると兵士たちが帽子を振って歓呼の声を上げ、『崇高なる新郎新婦バンザイ、我等が不滅の神殿騎士殿万歳!』“Viva das hohe Brautpaar,hoch lebe unser Templeherr der Unterblichkeit!”と叫びます。この神殿騎士というのは十字軍時代のテンプル騎士団のことのようです。
ジンカは彼らの傭兵連隊で商 売をする女酒保商人で、その美貌で兵士たちを篭絡して稼いでいましたが、ある時貴婦人に変装して傭兵たちを誘惑し館に誘い込んで閉じ込め、その間に連隊の 金庫を盗んで逃走したのです。ですからこの詩の野営地のフォルトゥーナとはジンカのことで、美人に騙された負け惜しみの歌というわけでしょう。」

第1連で歌ているのは、この幸運の女神が、いつも移動していて、一所には常住しないということ、幸運とはそのようなものだというのです。

従い、第2連の最初の一行では、この女神は身を転じて、或いは軍隊用語を使うならば、転戦して、他へと向かうのです。しかし、この詩の話者は、そんなことは気にしないと言っております。

Da draußen ohne Reiter,
見ろ、外には騎兵も無く

とあるので、世間、世俗には、幸運の女神の軍隊がいないということを言っているのです。従い、また、

Da geht die Welt so dumm.
見ろ、世界はかくも愚かに進んでいる。

というわけです。

第3連の、

Statt Pulverblitz und Knattern
Aus jedem wüsten Haus
Gevattern sehn und schnattern
Alle Lust zum Land hinaus.
火薬の電光と機関銃のパチパチ鳴る音の代わりに
どの荒涼たる家の中からも
代父が外を眺め、そして鵞鳥のようにガアガアと鳴いて
あらゆる陽気、愉快を国土に向かって発している。

とある、3行目の代父と訳したGevatterという言葉ですが、これはキリスト教の言葉で、子供の洗礼に立ち会う人であり、また名付け親になる人をいうと辞書にあります。そこから意味が転じて、他人だが親しい、身内のような人間という意味になりますし、そうなると、ここでのGevatterという使い方のように、ある程度の軽蔑の意味をこの語に含めることもできるようになって来るのでしょう。

第4連の真珠とは、いうまでもなく、女神の涙の譬喩(ひゆ)です。
この連にあるシュレッケンベルガーという男を少し調べましたが、不明です。定冠詞がついて呼ばれておりますので、これはこの話者と女神には旧知の既知のあの男ということになります。

或いはまた、名前をそのまま直訳いたしますと、恐怖の男、驚愕の男という意味ですから、何かそのような性格と能力を持った男を、アイヒェンドルフは、ここで発明したのかも知れません。

即ち、この名前から言っても、第3連の代父、教父(恐怖ではない)とは雲泥の差のある、何か芯のある男であったのでしょう。

第4連については注釈は不要だと思います。いつものアイヒェンドルフの、幸運の女神の登場するこの種の詩の常套の結末です。