【西東詩集100】 SAKI NAMEH Das Schenkenbuch(酒場の巻)
【原文】
JA, IN in der Schenke hab’ ich auch gesessen,
Mir ward wie andern zugemessen,
Sie schwatzten, schrieen, handelten von heut,
So froh und traurig wie’s der Tag gebeut;
Ich aber saß, im Innersten erfreut,
An meine Liebste dacht ich - wie sie liebt?
Das weiß ich nicht; was aber mich bedrängt!
Ich liebe sie wie es ein Busen gibt
Der treu sich Einer gab und knechtisch hängt.
Wo war das Pergament, der Griffel wo,
Die alles faßten? - doch so wars! ja so!
SITZ ich allein,
Wo kann ich besser sein?
Meinen Wein
Trink ich allein,
Niemand setzt mir Schranken,
Ich hab’ so meine eigne Gedanken.
SO WEIT bracht es Muley, der Dieb,
Dass er trunken schöne Lettern schrieb.
OB DER Koran von Ewigkeit sei?
Darnach frag’ ich nicht!
Ob der Koran geschaffen sei?
Das weiß ich nicht!
Dass er das Buch der Bücher sei
Glaub’ ich aus Mosleminen-Pflicht.
Dass aber der Wein von Ewigkeit sei
Daran zweifel ich nicht;
Oder dass er von den Engeln geschaffen sei
Ist vielleicht auch kein Gedicht.
Der Trinkende, wie es auch immer sei,
Blickt Gott frischer ins Angesicht.
TRUNKEN müssen wir alle sein!
Jungend ist Trunkenheit ohne Wein;
Trinkt sich das Alter wieder zu Jugend,
So ist es wundervolle Tugend.
Für Sorgen sorgt das liebe Leben
Und Sorgenbrecher sind die Reben.
DA WIRD nicht mehr nachgefragt!
Wein ist ernstlich untersaget.
Soll denn doch getrunken sein,
Trinke nur vom besten Wein:
Doppelt wärest du ein Ketzer
In Verdammnis um den Krätzer.
SOLANG man nüchtern ist
Gefällt das Schlechte,
Wie man getrunken hat
Weiss man das Rechte;
Nur ist das Übermaß
Auch gleich zu Händen;
Hafis! o lehre mich
Wie du’s verstanden.
Denn meine Meinung ist
Nicht übertrieben:
Wenn man nicht trinken kann
Soll man nicht lieben;
Doch sollt ihr Trinker euch
Nicht besser dünken,
Wenn man nicht lieben kann
Soll man nicht trinken.
【散文訳】
そうだ、酒場に、わたしは、実際、座っていた
他の人たち同様に、わたしは給仕されていた
みなが、今日について、喋り、叫び、振舞っていた
かくも陽気に、そして悲しく、その日が命ずる通りに。
わたしは、しかし、座っていた、最も深いところで歓びながら
わたしの愛する人を思っていたーこの人がどんな風に愛しているかって?
そんなことは知るものか。わたしが、しかし、悩むことといったら!
胸が与えるそのままに、わたしは、この人を愛している
一人の女性に誠実に自らを与え、そして騎士の侍臣のように身を任せる其の胸がそうであるがままに。
どこに羊皮紙はあるのだ、筆はどこだ
これら全てを掴まえた羊皮紙や筆は?そうさ、そうだったのだ!その通りだったのだ!
わたしは一人で座っている
ほかのどこにもっといい場所に居ることができるだろうか?(そんな場所はない)
わたしの酒を
わたしは一人で飲む
誰も邪魔をして遮る者はいない
わたしは、かくも、わたし一人の考えに耽っている。
ここまでは、ムレイが、この盗賊が
酔っ払って、美しい文字を書いてくれた。
コーランは永遠であろうか?
それを、わたしは問うことはない!
コーランは、創作されたものだろうか?
そんなことは、わたしは知らない!
コーランが、本の中の本であると
わたしは、モスリムの人たちの義務の中から
そう思っている。
酒が、しかし、永遠であることを
わたしは疑うことはない!
或いはまた、酒が、天使たちによって創造されたことは
ひょっとしたら、実際、詩ではないのかも知れない。
酒を飲む者は、いつでもそうだが
より新鮮に、神の顔(かんばせ)の中に見入るのだから。
わたしたちは皆、酩酊していなければならない!
青春は、酒無しで酩酊することだ
老年が飲んで、再び若者になれば
かくも、それは、素晴らしい徳目だ。
心配ごとは、愛する生が心配をし
そして、心配事を破る者が、葡萄酒の蔓(つる)なのだ。
だから、もはやこれ以上尋ねるな!
酒はやめるならば、真面目にやめることだ
もし、それでも、飲むというならば
最上の酒だけを飲むがいい
そうすれば、お前は二倍に異端者(邪教徒)になるだろう
酸っぱい葡萄酒の永劫の罰(地獄)の中で。
人は、素面(しらふ)でいる限りは
悪いものが気に入るものだ
酒を飲んに連れて
正しいものを知るのだ
余剰だけなのだ
実際直ぐに手に入るのは
ハーフィスよ!おお、わたしに教えれくれ
お前はどうやって、このことを理解したのだ。
というのは、わたしの意見は
誇張しているのではないのだ、即ち、
もし飲むことができないならば
愛することもできないのだ
しかしお前たち、呑兵衛の諸君は
自分たちが、これ以上よき者だとは思えないだらう
もし愛することができなければ
飲むことはないのだから。
【解釈と鑑賞】
SAKI NAMEH, Das Schenkenbuch、酒場の巻、酒場の書に入ります。
或いは、酌人の書、酌人の巻と訳しても、よいのかも知れません。
しかし、最初の詩の最初の行を読みますと、酒場にてとありますので、やはり、これは酒場で歌われた歌という意味に、最初に解して、そのように訳しておきます。
第3連の、
SO WEIT bracht es Muley, der Dieb,
Dass er trunken schöne Lettern schrieb.
ここまでは、ムレイが、この盗賊が
酔っ払って、美しい文字を書いてくれた。
という意味は、この盗賊は詩歌に巧みで、ここまでの詩と同類の詩を書いたということなのでしょう。
この盗賊については、調べましたが、不明です。
第6連の、
Soll denn doch getrunken sein,
Trinke nur vom besten Wein:
Doppelt wärest du ein Ketzer
In Verdammnis um den Krätzer.
もし、それでも、飲むというならば
最上の酒だけを飲むがいい
そうすれば、お前は二倍に異端者(邪教徒)になるだろう
酸っぱい葡萄酒の永劫の罰(地獄)の中で。
というこの連の最後の2行の意味は、美味い酒を飲めば、不味い酒は飲めなくなるということを、二倍に異端者になるといったのでしょう。
酸っぱい葡萄酒の永劫の罰(地獄)の中でと訳したここは、実際に酒飲みの、糞ったれ、こんな不味い酒があるものかといった悪態が聞こえて来るようです。
第7連の、
SOLANG man nüchtern ist
Gefällt das Schlechte,
Wie man getrunken hat
Weiss man das Rechte;
Nur ist das Übermaß
Auch gleich zu Händen;
Hafis! o lehre mich
Wie du’s verstanden.
人は冷めている限りは
悪いものが気に入るものだ
酒を飲んむに連れて
正しいものを知るのだ
余剰だけなのだ
実際直ぐに手に入るのは
ハーフィスよ!おお、わたしに教えれくれ
お前はどうやって、このことを理解したのだ。
という、最後から4行の意味は深いものがあります。
余剰が直ぐ手に入るということと、酒を飲まずに、酩酊せずに、素面で生きていて、そうしてよいものも知らずに、悪いものがよいと思っているそのような酒を厭い、酩酊を厭う世俗の人間たちよ、余剰の深い意味を知るがいいといいたいゲーテがいます。
酒は、葡萄からつくられる余剰だと、ゲーテは言っているのです。
そうして、ゲーテもその意味、即ち酩酊させる余剰の意味を、そうして酩酊する余剰たるその我の、世間に対して呑兵衛であることの意味を、一言でまだ言うことができないので、ハーフィスに呼びかけて、その簡潔なる答えを求めている。
この連は、リルケの『オルフェウスへのソネット』のある連を想起させます。この連では、余剰は、大地の下に棲んでいる死者たちが、生者であるわたしたちに贈って呉れるのですけれど。