【Eichendorfの詩 57】Dichterfruehling(詩人の春)
【原文】
Wenn die Bäume lieblich rauschen,
An den Bergen, an den Seen,
Die im Sonnenscheine stehen,
Warme Regen niederrauschen,
Mag ich gern begeistert lauschen.
Denn um die erfrischten Hügel
Auf und nieder sich bewegen
Fühl ich Winde, Gottes Fluegel,
Und mir selber wachsen Flügel,
Atm ich still den neuen Segen.
Wie der Kranke von der Schwelle
Endlich wieder in die warme
Luft hinausstreckt Brust und Arme,
Und es spült des Lebens Welle
Fort die Glieder in das Helle:
Also kommt ein neues Leben
Oft auf mich herab vom Himmel,
Und ich seh vor mir mein Streben
Licht und unvergänglich schweben
Durch des Lebens bunt Gewimmel.
Will erquickt nun alles prangen,
Irrt der Dichter durch die Schatten,
Durch die blumenreichen Matten,
Denkt der Zeiten, die vergangen,
Ferner Freude voll Verlangen,
Und es weben sich die Träume
Wie von selbst zum Werk der Musen,
Und rings Berge, Blumen, Baeume
Wachsen in die heitern Raeume
Nach der Melodie im Busen.
【散文訳】
木々が愛らしく
太陽の輝きの中にある山々で、湖という湖で
さやさやと音を立てるたびに
温かい雨がさやさやと音を立てて降って来て
わたしは、喜んで熱狂して、耳をそばだてる。
というもの、新しくなった丘々を巡って
上昇したり下降したりして動く
風を、神の翼を、わたしは感じるからであり
そして、わたし自身に両の翼が生えて来て
わたしは、静かに、新しい至福を呼吸するのだ。
病人が、閾(しきい)から
遂に再び、温かい
空気の中へと、胸と両腕を伸ばし入れるように
そして、生命の波が四肢に打ち寄せて、洗い
四肢を明るいものの中へと、ずんずんと押し入れる
こうして、新しい生命がやって来て
天から、しばしば、わたしに向かって降りて来て
そして、わたしは、わたしの前に、わたしの努力が
明るく、そして不易に過ぎ去ることなく、漂っているのを見るのだ
生命の多彩な雑踏を通って
こうして、すべてが蘇生して光輝くことを欲し
詩人は、影の中を通って、迷い
花々の豊かな牧場を通って
詩人は、過ぎ去った様々な時代について回想し
欲求で一杯の更なる歓びについて思い出す
そして、夢という夢が自らを織り為すのだ
自分自身から(ひとりでに)文学や芸術の女神達の作品になるかのように
そして、巡る山々が、巡る花々が、巡る木々が
明朗なる空間という空間の中へと成長して入って行く
胸の中にある旋律に従って。
【解釈と鑑賞】
Dichterfruehlingという題名の命名の造語をみると、英語ならばPoet-springということになり、何か呼ぶならば、本当は詩人の春ではなく、詩人春という春の種類があるのだという意味での、詩人の春という意味だということになります。
そのこころは、春と言えば詩人であり、詩人と言えば春を歌うのがその主要な仕事だということでしょう。
春が来ると、詩人は迷いもするものの、しかし蘇生して、生命の讃歌に触れて、夢を織りなす、それも夢がひとりでに意志あるものの如くに織りなすのを目の当たりにし、それを言葉で書き記す。
最後の一行の、胸の中の旋律という言葉が、詩人の胸中を歌うとともに、何故どのように詩が生まれるかをも歌っております。
0 件のコメント:
コメントを投稿