2012年9月19日水曜日

【Eichendorfの詩 9】Die Zigeunerin (ジプシーの女)


【Eichendorfの詩 9】Die Zigeunerin (ジプシーの女) 

【原文】

Am Kreuzweg, da lausche ich, wenn die Stern
Und die Feuer im Walde verglommen,
Und wo der erste Hund bellt von fern,
Da wird mein Braeut'gam herkommen.

>>Und als der Tag graut', durch das Gehoelz
Sah ich eine Katze sich schlingen,
Ich schoss ihr auf den nussbraunen Pelz,
Wie tat die weitueber springen!<< ---

's ist schad nur ums Pelzlein, du kriegst mich nit!
Mein Schatz muss sein wie die andern:
Braun und ein Stutzbart auf ung'rischen Schnitt
Und ein fröhliches Herze zum Wandern.


【散文訳】

十字路で、そこでわたしは待ち伏せをする、星々が
そして、森の中の火という火が徐々に消えてい行くならば
そして、最初の犬が遠くから吠える場所で
そこで、わたしの花婿はやって来る。

>>そして、日が陰ったときに、その森を通して
わたしは、一匹の猫が自分自身を飲み込むのを見た
わたしは、猫の胡桃色した茶色の毛皮の上を鉄砲で打った
と、奴は遥か向こうに飛び跳ねた<<

ただ毛皮だけを取ったのはお生憎さまでしたね、お前にはわたしを捕まえられないよ!
わたしの宝は、他の宝がそうであるように、
茶色をしていて、そしてハンガリア人風に刈ったちょび髭と
そして、旅をするという陽気な心に違いないのだ。


【解釈と鑑賞】

これは、題名からして、この詩は、ジプシーの女が歌っているということでしょう。

第1連で、十字路、即ち道が交差したところで、待ち伏せをするか、何か聞き耳を立てる。そうして、そのときには、いつも星が消え、森の中の火(焚火でしょうか?)が消えて行く。

十字路というところに、何かの不思議な力があるというのは、ゲルマン人でもそうなのかも知れない。わたしが思い出すのは、リルケの晩年のオルフェウスへのソネットの第1部ソネットIIIの第2連(http://shibunraku.blogspot.jp/2009/10/iii.html)や、第2部のXXIX(http://shibunraku.blogspot.jp/2010/01/xxix2.html)でも歌われています。


十字路、交差路とは、魔物の潜む場所、何か不思議な力の働く場所なのだと思います。日本人にも、そういう感じが、確かにあると思います。


さて、そうだとして、第2連が、これも異様な連です。

猫が自分自身を飲み込んでいるのを見て、鉄砲で打つ。猫は跳ねて逃げてしまう。

第3連を読むと、このわたしは毛皮だけを手に入れている。しかも、この第3連は、今度は猫が歌い手、語り手になって、ジプシーの女にいってるのです。

そうして、わたしの宝と言っているものは、自分の恋人のこと、花婿のことだと読むこともできます。

ジプシーの女と猫とが、花婿の取り合いをしているように読むこともできるかも知れません。

また、この先アイヒェンドルフの詩を読んで行くにつれて、この詩を想起させる詩が出て来るかも知れません。

そのときに、またこの詩に戻って、考えてみましょう。

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