2012年9月5日水曜日

【Eichendorfの詩 8-5】Der wandernde Musikant (旅する音楽家) 5


【Eichendorfの詩 8-5】Der wandernde Musikant (旅する音楽家) 5

【原文】

Mürrisch sitzen sie und maulen
Auf den Baenken stumm un breit,
Gähnend Strecken sich die Faulen,
Und die Kecken suchen Streit.

Da komm ich durchs Dorf geschritten,
Fernher durch den Abend kühl,
Stell mich in des Kreises Mitten,
Grüß und zieh mein Geigenspiel.

Und wie ich den Bogen schwenke,
Ziehn die Klaenge in der Rund
Allen recht durch die Gelenke
Bis zum tiefsten Herzensgrund.

Und nun geht's ans Glaeserklingen,
An ein Walzen um und um,
Je mehr ich streich, je mehr sie springen
Keiner fragt erst lang: warum? -

Jeder will dem Geiger reichen
Nun sein Scherflein auf die Hand -
Da vergeht ihm gleich sein Streichen,
Und fort ist der Musikant.

Und sie sehn ihn fröhlich steigen
Nach den Waldeshoehn hinaus,
Hören ihn von fern noch geigen,
Und gehen all vergnügt nach Haus.

Doch in Waldes gruenen Hallen
Rast ich dann noch manche Stund,
Nur die fernen Nachtigallen
Schlagen tief aus naecht'gem Grund.

Und es rauscht die Nacht so leise
Durch die Waldeinsamkeit,
Und ich sinn auf neue Weise
Die der Menschen Herz erfreut.


【散文訳】

不機嫌に、彼らは座り、そしてふくれっ面(つら)をしていて
ベンチに座り、黙りこくって、だらしなく
あくびをしながら、怠惰な者達は手足を伸ばし
そして、無鉄砲な者達は、喧嘩を求める。

そこへ、わたしは村の中を歩調正しく通り来て
遠くから、こうして宵を通って冷静に
その円陣の真ん中に立ち
挨拶をして、そして、わたしのヴァイオリンを演奏する。

すると、わたしが弓を揺らすにつれて
その響きが、円座の中で
すべてのひとの関節を通って行き
一番深い心臓の底にまで至る。

さて、こうして、ガラスの杯が鳴り響くことになり
ワルツの踊りが始まり、それらが繰り返し、繰り返す
わたしが弓をひけばひくほど、一層彼らは跳ねる
誰も、これだけ時間が経っても、こう問う事がないのだ:それは何故だろう?

誰もが、ヴァイオリンの奏者の手に
こうして、自分の銅貨を握らせようとする
と、直ちに、その弓の動きは消え
そして、音楽家はいなくなってしまう。

そして、彼らは音楽家が愉快に昇って行くのを見るのだ
森の数々の高みの方へ、その外へと
そうして、皆の者は、満足して家路につくのだ。

しかし、森の緑の数々の回廊の中で
わたしは、そうすると、そのときには、まだ幾時間も(静かに)休んでいて
遠くにいる夜啼き鴬だけが
深く、夜の底から、(歌を)鳴り響かせるのだ。

そして、夜が、かくも微(かすか)かに、さわさわと音を立てる
森の孤独を通して
そして、わたしは、人間たちの心臓(こころ)を喜ばせる
新しい方法を志すのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩は、音楽家、この詩ではヴァイオリンひきですが、その旅の音楽家と、その音楽を聴く聴衆達と、それぞれの立ち場に立って、各連が歌われています。

この詩の語り手は、これらふたつの立ち場を往来している。

これが、この詩の特徴です。

聴衆を仮に村人、世俗のひと、町のひとと呼ぶ事にしましょう。そうすると、世俗のひとからは、音楽家は、森の木々の頂点高く、空へ向かって、それも愉快に昇って行くようにみえる。そうして、世俗のひとたちは、その音楽に満足して、諍(いさかい)をすることもすっかり忘れて、機嫌も直して、家路につく。

他方、音楽家は、実際には、森の中で、憩い、心身を休めて、休息をとっている。森の緑の(複数の)回廊という表現が、この回廊が、Halle、英語のhallですが、何か広い森の空間にひとりでいる様子が思われます。

森と夜啼き鴬と孤独と、これらの力を借りて、音楽家は、いや詩人といってもよいでしょうが、芸術家は、また新しい方法、それも世俗のひとのこころを慰める、慰撫し、苦しみや悲しみを静める方法を考えるのです。

確かに、これはどの時代にあっても、芸術家の姿だと、わたしには思われます。

あなたは、どう思うでしょうか。



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