2012年9月22日土曜日

第40週: Gut und Böse (善意と悪意) by Alfred Brendel (1931 - )



第40週: Gut und Böse (善意と悪意) by Alfred Brendel  (1931 - )  

【原文】

Gut und Böse

Als die künstlichen Menschen gelernt hatten
sich wie Du und ich zu benehmen
wussten wir
dass unser Spiel verloren war
Da sitzen sie
etwas zu glatt im Gesicht
und trinken Tee
blicken einander tief in die Augen
oder krümmen sich vor Lachen
Unfehlbar
und doch mit größter Zartheit
spielen sie Klavier
reproduzieren sich diskret im Nebenzimmer
und schiessen die Vögel vom Dach
während wir
Veteranen der Natürlichkeit
von den Umständen zum Aeussersten getrieben
keinen anderen Ausweg sehen
als engelhaft gut zu werden
oder vielleicht doch lieber
ueber die Massen boese


【散文訳】

善意と悪意

技巧的な(人工の技を巧みにする)人間達が
君や僕と呼び合う関係であるように振る舞うことを学んだ時に
僕たちの遊戯が失われたことを
僕たちは知った
そうなると、技巧的な人間達は
何かつるつるし過ぎているという風に
見えていて
そして、お茶を飲み
互いの目の中を深く覗き込むか
または、笑いの余り、体を屈して
間違えることなく
しかし、最大の優しさを以て
ピアノを弾き
離れて、隣りの部屋で、自分自身を再生産して
そして、屋根の上の鳥達を鉄砲で打つのだ
これに対して、他方、わたし達
自然の性質を持ったヴェテラン達は
周囲の状況に極限まで追い立てられて
天使的に、善良になる以外の
逃げ道をみることはなく
或はまた、ひょっとしたら、いや、むしろ
群衆(有象無象の人間ども)に悪意を抱く以外の
逃げ道をみることはないのかも知れない


【解釈と鑑賞】

Alfred BrendelでGoogleの検索をすると、次のWikipediaが出て来ます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレート・ブレンデル

これをみると、この人はピアニスト、音楽家です。

この詩を書いた同名の詩人と同一人物なのかどうか。しかし、詩の中にピアノを弾くという一行があって、ひょっとしたら、この音楽家の書いた詩なのかも知れません。去年のドイツ語詩53週に、やはりその詩を書いた人物が音楽家だという例がありましたので、この撰集の選者の好みなのかも知れないと思い、敢えて上のURLアドレスを記載するものです。

技巧的な、というか、社交的な技術を持った人間と、そうではない自然でいる、いたいという人間の対比として、この詩が歌われています。

reproduzieren sich diskret im Nebenzimmer
und schiessen die Vögel vom Dach
離れて、隣りの部屋で、自分自身を再生産して
そして、屋根の上の鳥達を鉄砲で打つのだ

とある2行に、わたしは、ある種の憎悪を感じます。自分自身を再生産するという言葉の選択に、何か非人間的な、暖かみの欠落を表すものがあると思います。

あなたの周りに、天使的な人間がいたら、そのひとは、この詩に歌われているような状況にあるのかも知れません。

あなた自身は、どちらの人間であるのでしょうか。


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