2012年9月12日水曜日

【Eichendorfの詩 8-6】Der wandernde Musikant (旅する音楽家) 6


【Eichendorfの詩 8-6】Der wandernde Musikant (旅する音楽家) 6

【原文】

Durch Feld und Buchenhallen
Bald singed, bald froehlich still,
Recht lustig sei vor allen
Wer's Reisen waehlen will!


Wenn's kaum im Osten glühte,
Die Welt noch still und weit:
Da weht recht durchs Gemuete
Die schoene Bluetenzeit!

Die Lerch als Morgenbote
Sich in die Luefte schwingt,
Eine frische Reisenote
Durch Wald und Herz erklingt.

O Lust, vom Berg zu schauen
Weit über Wald und Strom,
Hoch über sich den blauen
Tiefklaren Himmelsdom!

Vom Berge Voeglein fliegen
Und Wolken so geschwind,
Gedanken ueberfliegen
Die Vögel und den Wind

Die Wolken ziehen hernieder,
Das Voeglein senkt sich gleich,
Gedanken gehen und Lieder
Fort bis ins Himmelreich.


【散文訳】

野原とブナの回廊を通って
あるときは歌いながら、あるときは陽気に静かにしながら
誠に楽しくあれよかし、何よりも
旅する事を選びたいと思う者は!

東がほとんど輝かないならば
世界は、まだ静かで、そして広い、即ち
それ、そこに、ほら心地よい気持ちを通って
美しい花咲く時がそよいでいる!

雲雀(ひばり)は、朝の使者で
それが空中に鋭く飛び入り
新鮮な旅の音符が
森を抜け、心を抜けて、鳴り響く。

おお、歓びよ、山の上から観ることの
遥か、森を超え、そして河を超えて
高く、己れ自身を超えて、青い
深く清澄なる天の大聖堂を!

山の上から、小鳥が飛び
そして、雲が、かくも素早く飛び
考えが、飛んで超えて行く
鳥たちをも、そして風をも

雲たちは、下に降りて来る
小鳥は、同時に、降りて来る
考えは行き、そして歌たちは
更に前へ、天国の中へと入り行く。




【解釈と鑑賞】

この連作の最後の詩です。

Durch Feld und Buchenhallen
野原とブナの回廊を通って

という最初の一行を読むと、アイヒェンドルフは、森を回廊に譬えていることがわかります。この譬えは、前回の第5番目の詩にも出て来た譬えです。

森の中を歩く事が、丁度教会の回廊であるのか、何か神聖な場所を歩いているという感じがあるのだと思います。

夜明け前という時間の中で歌っている。

最後の2連は、考えについて、アイヒェンドルフは言いたいことがあるのだと思います。

わたしは、先週の週末に所用があって、京都に参りました。時間があったので、初めて大雲山龍安寺にお参りをし、有名な石庭を拝見しました。

しかし、わたしに感銘を与えてのは、石庭というよりも、玄関を入って正面にあった屏風に書いてある陶淵明の飲酒と題した漢詩でした。以下にひいて、お伝えします。


   飲酒  陶淵明

   廬を結びて人境に在り
   而かも車馬の喧かまびすしきなし
   君に問う 何ぞ能く爾しかるやと
   心遠ければ地も自ずから偏(たいらか)なり
   菊を采る 東籬の下もと
   悠然として南山を見る
   山気 日夕に佳
   飛鳥 相与ともに還る
   此の中に真意あり
   弁ぜんと欲して已に言を忘る


心遠ければ地も自ずから偏(たいらか)なり

とある一行に、ほとんど涙が出るかと思いました。

アイヒェンドルフの考えも、間違いなく、心遠くしてというのと同じ境地であるのかと思います。

ドイツと支那とでは言葉は違いますが、ものを考えるということは、遠くの物事を想像し、思うということに間違いありません。

このふたつの詩を読み比べることは、一時の閑雅なときを、あなたに齎すことと思います。

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