2015年4月13日月曜日

【Eichendorfの詩112】 In das Stammbuch der M.H., Akrostichon mit aufgegebenen Endreimen(M.H.の記念帳の中に、放棄された脚韻を持った沓冠(くつかぶり)) 
 

【Eichendorfの詩112】 In das Stammbuch der M.H., Akrostichon mit aufgegebenen Endreimen(M.H.の記念帳の中に、放棄された脚韻を持った沓冠(くつかぶり))  
 

 

【原文】


Ist hell der Himmel, heiter alle Wellen,
Betritt der Schiffer wieder seine Wogen,
Vorüber Wald und Berge schnell geflogen,
Er muss, wohin die vollen Segel schwellen,
In Duft versinken bald all liebe Stellen,
Zypressen nur noch ragen aus den Wogen,
Herüber kommt manch süßer Laut geflogen,
Es trinkt das Meer der Klagen sanfte Quellen.
Nichts weilt. - Doch zaubern Treue und Verlangen,
Da muss sich blühender alte Zeit erneuern,
öffnet die Ferne drauf die Wunderlichtung,
Ruht dein Bild drin, bekränzt in heil'ger Dichtung.-
Fern laß den Freund nach Ost und West nur steuern,
Frei scheint er wohl - du hältst ihn doch gefangen!



【散文訳】

明朗に、天はあり、明朗に、すべての波はあり
船乗りは、再び、自分の波に乗り
森と山々を過ぎて、速やかに飛び
船乗りは、満帆の膨れ上がる方へと行かねばならず
芳香の中にやがて沈むのは、すべての愛する場所であり
数々の糸杉は、からうじて、数々の大波の中から聳え立ち
こちらへと飛んで来るのは、幾多の甘い音であり
海は、嘆きの柔らかな源泉を飲んでゐる。

何物も留まらないーしかし、信頼と欲求は、魔法を使ひ
すると、より一層花咲いて、懐かしい古い時代が新たになり
遥かな距離が、それに加へて、奇蹟の間伐を開き
お前の姿が、その中に憩い、神聖なる詩の中で冠が授けられてありー
遥かに遠く、東と西に向かつて、友をただ導けよ
友は確かに自由に見えるーお前は友を、しかし、友を捕まへたのだ!





【解釈と鑑賞】

記念帳というのは、どこかを訪れて、そこに来訪の記念と印として自分の名前などを書く、そのような帳面をいいます。

M.H.というのは女性名詞でありますから、これは誰か女性を訪ふたのか、または女性名詞で表される館を訪れたものなのでありませう。

その帳面の中にぢかに書き込んだ詩という意味です。

そして、この詩は、最初から脚韻を踏むことを放棄している、あきらめている、そのような詩だというのが、その題名の意味です。

沓冠(くつかぶり)というのは、その詩の各行末または各行頭の文字を集めると詩題または語句となる、そのやうな詩形の事で、沓冠体とか、折句(おりく)ともいふと辞書にあります。

してみますと、この詩の各行末にある斜字体の文字を抜き出して並べると、次のようになるでせう。

Wellen, Wogen, geflogen, schwellen.
Stellen, Wogen, geflogen, Quellen.
Verlangen, erneuern, Wunderlichtung, Dichtung.
Steuern, gefangen!

更に、文を意識して書き換え、まとめ、翻訳すると、次のやうになります。

数々の波、数々の大波が、飛ぶやうに膨れ上がる。
数々の場所、数々の大波が、飛ぶやうに湧き出でる
欲求を新たにせよ、奇蹟の間伐と詩作をせよ。
操縦し、導くのだ、囚われたままで!

奇蹟の間伐と訳した、この間伐という語は、ドイツの森で、森の中に太陽の光を入れる為に、木を切り倒して、小さな間合いの空間を森の中に作り、そこに光を求めて生育する植物たちを育て、結果として森を守るための措置をいいます。

そのような間伐の写真を掲げます。これで、形象(イメージ)が伝わるのではないでせうか。









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