【西東詩集112】 CHULD NAMEH BUCH DES PARADIESES(天国の巻)
【原文】
VORSCHMACK
DER echte Moslem spricht vom Paradiese
Als wenn er selbst allda gewesen wäre,
Er glaubt dem Koran, wie es der verhiesse,
Hierauf begründet sich die reine Lehre.
Doch der Prophet, Verfasser jenes Buches,
Weiss unsre Mängel droben auszuwittern,
Und sieht dass, trotz dem Donner seines Fluches,
Die Zweifel oft den Glauben uns verbittern.
Deshalb entsendet er den ewigen Räumen
Ein Jugend-Muster, alles zu verjüngen;
Sie schwebt heran und fesselt, ohne Säumen,
Um meinen Hals die allerliebsten Schlingen.
Auf meinem Schoß, an meinem Herzen halt ich
Das Himmels-Wesen, mag nichts weiter wissen;
Und glaube nun ans Paradies gewaltig,
Denn ewig möcht ich sie so treulich küssen.
【散文訳】
予感
本物の回教徒が、天国について語っている
恰も、この男自身が、そこに居たことがあるかの如くに
コーランが与えると約束するままに、コーランを信じている
その上に、純粋な教えが成り立ち、正しさを証明している。
しかし、預言者、あの書物(巻物)の編者は
天上で、わたしたちの窮乏を風化させることができ
そして、その預言者の呪いの雷(いかづち)にも拘らず
疑いが、しばしば、わたしたちの信仰を苦いものにし、みぢめなものにすることを見ている。
それ故に、預言者は、永遠の数ある空間に
一人の青春の模範を、すべてを若返らせるために、送り出す
青春は、こちらに向かって浮かんでやって来て、躊躇することなく
わたしの首の周りに最も愛する輪を掛けて、つなぐのだ。
わたしの膝の上に、わたしの心臓に、わたしは
天国の本質を抱いて、それ以上何も知りたくはない
そして、わたしは今や、天国を力強く信じているのだ
というのは、永遠に、わたしは青春に、誠実に口づけしたいからだ。
【解釈と鑑賞】
この巻が、西東詩集の最後の巻です。
全部でこの最初の詩も含めて、9篇の詩からなっています。どれも長い詩であるのは、ゲーテの思いが、それだけあるということなのでしょう。
さて、第一連の、
Er glaubt dem Koran, wie es der verhiesse,
コーランが与えると約束するままに、コーランを信じている
というこの行を、コーランが与えると約束するままにと訳しましたが、この従属文は、接続法II式ですので、コーランが実際に約束する言葉が語られる其の語る様子が彷彿とするのですが、この感じが日本語にはなりません。ままに、と訳した理由であり、翻訳の限界の一つです。
天国に持ってくるのが、やはり青春であるとは、これがゲーテなのでしょう。老いではなく、若さである。
これが、最初の予感という詩の主題です。
第一連の、
本物の回教徒が、天国について語っている
恰も、この男自身が、そこに居たことがあるかの如くに
とある、この本物の回教徒は、ゲーテ自身の思いを凝らした者でありませう。或いは、ゲーテそのひとだと言ってもよいのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿