2014年6月7日土曜日

【Eichendorfの詩69】Isegrim(不平家)


Eichendorfの詩69Isegrim(不平家) 

【原文】

Aktenstöße nachts verschlingen,
Schwatzen nach der Welt Gebrauch
Und das grosse Tretrad schwingen
Wie ein Ochs, das kann ich auch.

Aber glauben, dass der Plunder
Eben nicht der Plunder waer,
Sondern ein hoch wichtig Wunder,
Das gelang mir nimmermehr.

Aber andre Überwitzen,
Dass ich mit dem Federkiel
Könnt den morschen Weltbau stützen,
Schien mir immer Narrenspiel.

Und so, weil ich in dem Drehen
Da steh oft wie ein Pasquill,
Lässt die Welt mich eben stehen―
Mag sie’s halten, wie sie will!


【散文訳】

訴訟記録の数々の打撃を、夜な夜な飲み込むこと
世間の使用法に倣って、お喋りをすること
そして、大きな踏み車をぶん廻すこと
一匹の雄牛のように、それは、わたしでも出来る。

しかし、瓦落多が
まさしく、瓦落多ではなく
高く重要な不思議だと信ずること
これは、わたしには金輪際成功しなかった。

しかし、他の素晴らしい機智、即ち
わたしが鵞ペンを使って
腐った世界構造を支えることができるということは
わたしには、いつも愚者の遊戯にみえた。

そして、そういうことなのだ、わたしが、その廻転の中で
そこでは、しばしば、落首のように立っているのだから
世界が、わたしをまさしく立たせるのである以上
世界が、そうしたいと思う通りに、そのままにしたいのである以上!


【解釈と鑑賞】

第1連の踏み車は、ドイツで昔囚人に刑罰として踏ませた車だということです。

この詩人の胸中の率直に吐露されてある詩です。

第2連と第3連の関係が、アイヒェンドルフらしいものです。

詩作は、愚者の遊戯であること。そして、瓦落多である作品が、何か素晴らしい不思議には思えないこと。


そうして、詩人は、世界の廻転の中に落首(世間を非難、誹謗する文)として立つ者であること。

題名のIsegrimは、不平家と訳しましたが、もともとの意味は、動物寓話の中に登場する狼のことを言うのだと辞書にはあります。この狼は、世間に対峙する恐ろしいものとして、多分、出て来るのでしょう。

しかし、この狼は、愚者の姿をしているということ、ここにこそ、この詩人の(世間に対して持つ)逆説、アイロニーがあります。

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