2014年6月28日土曜日

【西東詩集75】 Hatem6


【西東詩集75】 Hatem6


【原文】

LIEB’ um Liebe, Stund’ um Stunde,
Wort um Wort und Blick um Blick;
Kuss um Kuss, vom treusten Munde,
Hauch um Hauch und Glück um Glück.
So am Abend, so am Morgen!
Doch du fühlst an meinen Liedern
Immer noch geheime Sorgen
Jussuphs Reize moecht ich borgen
Deine Schönheit zu erwidern.


【散文訳】

愛には愛を返し、時間には時間を
言葉には言葉を、そして眼差しには眼差しを
接吻には接吻を、最も忠実な唇(くちびる)からの
吐息には吐息を、そして、幸福には幸福を
このようにして、夕べにあり、このようにして、朝にある!
しかし、お前はわたしの歌々に
相変わらず、秘密の心配を感じている。
ユッスフの魅力を、わたしは隠したいのだ
お前の美しさに応えるために


【解釈と鑑賞】

ユッスフとは、美しい若者なのでせう。このときのゲーテは70を越えておりますので、その老いと、ズーライカとの若さの均衡を心配したのでせう。

同じ言葉をすべてumという前置詞を使って対にして並べるだけで、詩情と恋情が溢れて来る様です。

Enigma(謎):第27週 by Ingeborg Bachmann

2014/06/28

Enigma(謎):第27週 by   Ingeborg Bachmann





【原文】


Enigma
Für Hans Werner Henze aus der Zeit der Ariosi

Nichts wird mehr kommen.
Frühling wird nicht mehr werden.
Tausendjährige Kalender sagen es jedem voraus.
Aber auch Sommer und weiterhin, was so gute Namen
wie “sommerlich” hat―
es wird nichts mehr kommen.
Du sollst ja nicht weinen,
sagt eine Musik.
sonst
sagt 
niemand
etwas.



【散文訳】


詠叙唱の時間の中から、ハンス•ヴェルナー•ヘンツェのための

何ものも、それ以上、来る事は無い。
春も、もはや、成ることは無い。
千年の暦(こよみ)は、誰にでもそれを予言する。
しかし、夏も、その後も、「夏らしい」というようないい名前を持っている.
もはや、やって来る事は無い。
だからといって、お前は、泣いてはいけないのだ
と、音楽は言う。
そうでなければ
誰も
何かを
言わないから。



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。




オーストリアの詩人です。

題名の副題にある詠叙唱という言葉といい、最後から5行目の音楽という言葉といい、音楽をモチーフにした詩です。

音楽だけが、誰も言わない何かを言うということなのでせう。





【Eichendorfの詩72】Tafellied(食卓歌) 3: 3. Zum Abschied(別れに際して)


Eichendorfの詩72Tafellied(食卓歌) 3

    3. Zum Abschied(別れに際して)

【原文】

Horch! die Stunde hat geschlagen,
Und ein Schiffer steht am Bord,
Grüßt noch einmal, und es tragen
Ihn die Wellen rauschend fort.

Sturm wühlt, und die Zeiten bäumen
Sehnsüchtig sich himmelan,
Hoch in solcher Wellen Schäumen
Segle, kuehner Steuermann!

Und den letzten Becher, Brüder,
Eh wir hier verlassen stehen,
Und den letzten Klang der Lieder
Auf ein freudig Wiedersehen!


【散文訳】

静かに聞け!、時の鐘が鳴った
そして、ひとりの船乗りが甲板に立っている
もう一度挨拶をせよ、そして
船乗りを、波がさやけき音立てて運んで行く。

嵐が逆巻き、そして時間が樹木のように立ち上がる
憧れて、天に向って
高く、そのような波の泡の中に
帆を掛けて進めよ、勇敢な操舵士よ!

そして、最後の杯を、兄弟達よ、
我々が、ここに取り残される前に
そして、歌々の最後の響きを
喜ばしき再会を期して!


【解釈と鑑賞】

この詩のまとまりの3つ目の詩です。

この通りの詩ではないでせうか。





2014年6月21日土曜日

【西東詩集74】 Hatem5


【西東詩集74】 Hatem5


【原文】

DIE schön geschrieben,
Herrlich umgueldeten,
Belaecheltest du,
Die anmasslichen Blätter,
Verziehst mein Prahlen
Von deiner Lieb’ und meinem
Durch dich glücklichen Gelingen,
Verziehst anmutigem Selbstlob.

Selbstlob! Nur dem Neide stinkts,
Wohlgeruch Freuden
Und eignem Schmack!

Freude des Daseins sit gross,
Groesser die Freud’ am Dasein.
Wenn du, Suleika,
Mich ueberschwenglich beglückst,
Deine Leidenschaft mir zuwirfst
Als waers ein Ball,
Dass ich ihn fange,
Dir zurückwerfe
Mein gewidmetes Ich―
Das ist Ein Augenblick!
Und dann reisst mich von dir
Bald der Franke, bald der Armenier.

Aber Tage waehrts,
Jahre dauerte, dass ich neu erschaffe
Tausendfältig deiner Verschwendungen Fülle,
Auftroesle die bunte Schnur meines Glücks,
Gekloeppelt tausendfadig
Von dir, o Suleika.

Hier nun dagegen
Dichtrische Perlen,
Die mir deiner Leidenschaft
Gewaltige Brandung
Warf an des Lebens
Verödeten Strand aus.
Mit spitzen Fingern
Zierlich gelesen,
Durchreiht mit juwelenem
Goldschmuck,
An deinem Busen!
Die Regentropfen Allahs,
Gereift in bescheidener Muschel.


【散文訳】

美しく書かれた
素晴らしく金で象(かたど)られた
僭越な手紙を、お前は笑うことだろうし、
わたしの自慢を大目にみてくれるだろう
お前の愛と、お前のお蔭で幸せな私のこの成就についての自慢を
お前のこころを引こうという私の自画自賛を

自画自賛!それに嫉妬が混じるだけで、臭いは臭く
悦びが混じると、芳香になるが
しかし、自分勝手の趣味となるとどうだ!

今ここにこうして在るということの歓びは、大きい
より大きいのは、今ここにこうして在るということについての歓びだ。
もしお前が、ズーライカよ
わたしを過褒(かほう)なまでに幸せにしてくれ
お前の情熱を私に投げつけてくれるならば
恰もそれが球(ボール)のようであって
わたしがそれを取って
お前に投げ返すというように
私の、お前に捧げたこの私(というボール)を
それこそが、唯一無二の瞬間だ!
そうすると次には、わたしをお前から引き裂くのだ
あるときはフランケン人が、あるときはアルメニア人が。

しかし、日は続き
年月は続き、わたしは新しく創造するのだ
幾千にも重ねて、お前の一杯の放埒を
私の幸福の多彩な紐を解(ほど)くのだ
幾千もの糸になって、お前に編まれながら
おお、ズーライカよ。

さて、こうして、ここで、その見返りに
詩の真珠を
お前の情熱の暴力的な砕け散る波が押し寄せて来て
生命の荒涼たるわたしの岸辺に打ち投げたのだ。
細い指を使って
優美に選ばれて
宝飾の黄金の飾りで以て整えられて
お前の胸にあるとは!
(わたしの詩の真珠は)アッラーの雨の滴(しずく)なのだ
謙虚なる貝殻の中で成熟した。


【解釈と鑑賞】

ゲーテが、何故詩が、この恋愛の中で生まれたのかというその機微を、その秘密を率直に、美しいく激しい譬喩を使って歌った歌といへませう。

最後の連の最後の二行に、それ以前のすべてのこころが凝縮しているように思はれます。

【Eichendorfの詩71】Tafellied(食卓歌) 2


Eichendorfの詩71Tafellied(食卓歌) 2

      2. Trinken und Singen

【原文】

Viel Essen macht viel breiter
Und hilft zum Himmel nicht,
Es kracht die Himmelsleiter,
Kommt so ein schwerer Wicht.
Das Trinken ist gescheiter,
Das schmeckt schon nach Idee,
Da bracht man keine Leiter,
Das geht gleicht in die Höh.

               Chor
Da braucht man keine Leiter,
Das geht gleich in die Höh.

Viel Reden ist manierlich:
》Wohlauf?《―Ein wenig flau.―
》Das Wetter ist spazierlich.《
Was macht die liebe Frau?―
》Ich danke《―und so weiter,
Und breiter als ein See
Das Singen ist gescheiter,
Das geht gleich in die Höh.

               Chor
Das Singen ist gescheiter,
Das geht gleich in die Höh.

Die Fisch und Musikanten
Die trinken beide frisch,
Die Wein, die andern Wasser―
Drum hat der dumme Fisch
Statt Flügel Flederwische
Und liegt elend im See―
Doch wir sind keine Fische,
Das geht gleich in die Höh.

                Chor
Doch wir sind keine Fische,
Das geht gleich in die Höh.

Ja, Trinken frisch und Singen
Das bricht durch alles Weh,
Das sind zwei gute Schwingen,
Gemeine Welt, ade!
Du Erd mit deinem Plunder,
Ihr Fische  samt der See,
’s geht alles, alles unter,
Wir aber in die Höh!

                 Chor
’s geht alles, alles unter,
Wir aber in die Höh!


【散文訳】

2。飲めや、歌えや

沢山食べると、沢山太って
そして、まあ大変、どうにもならぬ
天の梯子(はしご)も音立てて砕ける
かくも重たい生き物が来た日には
飲酒の方がまだ賢いよ
それは、最初からイデー(スピリッツ)の味がする
となれば、(天に登る)階段も要らないさ
直ちに(天の)高みに入るから。

     合唱
となれば、(天に登る)階段も要らないさ
直ちに(天の)高みに入るから。

沢山語ることは、躾け正しい、上品なことだ
》元気ですか?《 一寸ばかり弱っているのさ
》散歩日和だ《
あのご夫人は何をしているのかな?
》お誘い有り難う《 等々
そして、それは、湖より広い
歌を歌うことは、もっと賢い
直ちに(天の)高みに入るから。

     合唱
歌を歌うことは、もっと賢い
直ちに(天の)高みに入るから。

魚たちと音楽家たちは
共に飲んで、爽やかだ
葡萄酒とその他の水の類いを飲んで
だから、馬鹿な魚は
翼の代わりに、羽根帚(はねぼうき)を持って
そして、憐れにも、湖の中にいるのさ
しかし、わたしたちは魚ぢゃない
直ちに(天の)高みに入るから。

     合唱
しかし、わたしたちは魚ぢゃない
直ちに(天の)高みに入るから。

そうさ、飲んで、歌って、爽快になれば
すべての悲しみも散り散りだ
飲むと歌うは、ふたつのよき飛躍だ
卑俗な世間よ、いざさらば!
お前は、地上よ、瓦落多をその身に集めて
お前達は、魚よ、海と一緒になって
すべてが、すべて、沈んで行くが
わたしたちは(天の)高みに入るのだ!

      合唱
すべてが、すべて、沈んで行くが
わたしたちは(天の)高みに入るのだ!

【解釈と鑑賞】

飲むことと歌うことと題された第2番目の詩です。

或いは、飲めや歌えやと訳してもよいでしょう。

酒は、最初からイデーの味がするというのは、全く同感の至りです。酒という水の類いには、スピリッツが、精神があるから、そう酒精という精神が。



Gitarre(ギター):第26週 by Gerardo diego


Gitarre(ギター):第26週 by   Gerardo diego





【原文】


Und es wird eine grüne Stille geben
entstanden aus lauter zerfransten Gitarren

Die Gitarre ist ein Brunnen
mit Wind an Stelle von Wasser



【散文訳】

そして、緑の静けさがあるのだ
純粋な、房飾りの千々に破れたギターから生まれた

ギターは、泉だ
風があり、場所があり、水があり


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。


スペインの詩人です。

スペインと言えば、フラメンコギターですから、この詩人がギターを歌うというのもむべなる哉です。

ドイツ語の音そのままに、本当は、ギターレと訳したかったと思います。如何にも、それは、ギターレという楽器だという感じがするのです。英語のギターでは、やはり、駄目なのです。古式豊かな感じが致しません。


第2連で、ギターレを泉に譬(たと)えていて、この譬喩(ひゆ)は秀逸です。

第2連の2行目、即ち最後の行は、ドイツ語としても美しく、簡素簡潔の美があります。

mit Wind an Stelle von Wasser

mitもanもvonも、ドイツ語ではそれぞれその前置詞のとる目的語としての名詞に合わせて決まっていますが(英語でいうならば、with、at、ofというところですが)、日本語では、上に訳したように、すべて在ると訳すのが、そのドイツ語訳の言葉の美しさをも反映して、よいのではないかと思います。

写真をみますと、この詩人は音楽が好きだったのでしょう。グランドピアノに手を触れた写真がありましたので、これを掲載しました。

第1連の

房飾りの千々に破れた

と訳したzerfransenの語幹fransenは、房飾りをつけるという意味で、日本語で房飾りと訳されている当のものは、次のようなものです。虚飾がないという意味なのでしょう。それ故に、純粋なと形容されているのでしょう。







2014年6月14日土曜日

【西東詩集73】 Hatem4


【西東詩集73】 Hatem4


【原文】

HAETTE ich irgend wohl Bedenken
Balch, Bochara, Samarkand,
Süßes Liebchen, dir zu schenken,
Dieser Städte Rausch und Tand?

Aber frag’ einmal den Kaiser
Ob er dir die Städte gibt?
Er ist herrlicher und weiser;
Doch er weiss nicht wie man liebt.

Herrscher! zu dergleichen Gaben
Nimmermehr bestimmst du dich!
Solch ein Mädchen muss man haben
Und ein Bettler sein wie ich.


【散文訳】

わたしが、何かこう、きっと
バルヒや、ボハラや、サマルカンドを
甘い恋人よ、お前に贈ることを思ってみてもよいだろうか?
これらの都市という都市の陶酔と瓦落多を贈ることを?

しかし、皇帝に問うてご覧
皇帝がこれらの都市をお前に与えるかどうか?と
皇帝は、素晴らしい者、支配者であり、そして聡明なる者だ
とはいへ、ひとが愛するということの様を知ってはいないのだ。

支配者!そのような天賦の才に
決して、お前は身を捧げてはならぬ!
そのような乙女をこそ、ひとは持たねばならぬ
そして、男は、わたしのような乞食であらねばならぬ。


【解釈と鑑賞】

権力とエロス(性愛)は、いつも一緒にあるものです。

しかし、そのことの本質が空無であると認識しているゲーテは、自分を乞食に譬(たと)え、そのような権力者に身を捧げるようなことのない乙女を、恋人に求めております。

やはり、ゲーテにも、現実、世俗に対する距離と、もし言ってよければ、倒錯があると、わたしには、思われます。

【Eichendorfの詩70】Tafellied(食卓歌)


Eichendorfの詩70Tafellied(食卓歌) 

      1. (Damen-Liedertafel in Danzig)

【原文】

              Die Frauen

Gleich wie Echo frohen Liedern
Fröhlich Antwort geben muss,
So auch nahm wir und erwidern
Dankend den galanaten Gruss

               Die Maenner

Oh, ihr Guet’gen und Charmanten!
Fuer des Echos holden Schwung
Nehmt der lust’gen Musikanten
Ganz ergebne Huldigung!

               Frauen

Doch ihr huldigt, will’s uns dünken,
Andern Göttern nebenbei.
Rot und golden sehn wir’s blinken―
Sagt, wie das zu nehmen sei?

                Maenner

Teure! zierlich, mit drei Fingern,
Sichrer, mit der ganzen Hand―
Und so füllt man aus den Dingern
’s Glas nicht halb, nein, bis zum Rand.

                                     Frauen

Nun, wir sehen, ihr seid Meister.
Doch wir sind heut liberal;
Hoffentlich, als schöne Geister,
Treibt ihr’s etwas ideal.

                                     Maenner

Jeder nippt und denkt die Seine,
Und wer nichts Besondres weiss:
Nun―der trinkt ins Allgemeine
Frisch zu aller Schienen Preis!

                                      Alle

Rech so! Klingt denn in die Runde
An zu Dank und Gegendank!
Sänger, Fraun, wo die im Bunde,
Da gibt’s einen hellen Klang!


【散文訳】


     女たち

木魂(こだま)が、陽気な歌に
陽気に答えなければならないように
わたしたちは、感謝しながら、愛想よく挨拶をし、
それに答えましょう。

     男たち

おお、お前達、親切で、魅力的な者たちよ!
木魂の優しい震動のために
陽気な音楽家たちの全く献身的な求愛を受け取るがいい!

     女たち

おやおや、あなたたちは求愛すると、わたしたちには見え
傍にいる他の神々にも、そうみえます。
それが、赤く、金色に、きらきらと輝いていてみえる
どうやってそれを受け取ったらよいのか教えておくれ?

     男たち

誠実なる者たちよ、愛らしく、3本指で
もっと間違いなくは、まるまる一つの手で
そして、ここにある物という物の中から持って来て
盃も半分ではなく、いやいや、その縁まで一杯に注ぐのだ。
                       
             女たち

さあ、そうなると、あなたたちはご主人さまということになる
でも、今日は、わたしたちは、勝手無礼で参ります
願うことなら、美しい亡霊として
あなたたちはあなたたちで、それを幾らか理想を追って、うまく行く様に輪をかけてご覧なさい。

             男たち

誰もが、ちびちびと飲んで、自分の妻のことを思う
そして、特に何も知らない者は
さて、この者は、無際限に飲むのだ
新鮮に、すべての樽の値段を払って

             全員

まさしくそうだ!すると、一座に響き渡り始める
感謝と答礼の感謝が!
歌手やご婦人方が、一つに結ばれて
そうすれば、そこには、明朗な一個の響きがあるのだ!


【解釈と鑑賞】

この詩は、全体が、食卓歌と題されているうちの最初の詩です。

このあとに、次のような食卓歌が続きます。

2. Trinken und Singen:飲んで、歌って
3. Zum Abschied:別れに臨んで
4. Berliner Tafel:ベルリンの食卓
5. Die Haimonskinder:ハイモン伯の仲の良い4人の子供達
6. Der alte Held (Tafellied zu Goethes Geburtstag 1831):老いたる英雄(ゲーテの1831年の誕生日に奉じる食卓歌)
7. Toast:乾杯

インターネットに、ブラームスの食卓歌がありましたので、聴く事ができます。このようなものです。


Googleで探してみても、この歌についてのWikipediaもなく、その他のウエッブサイトもないようです。それほどドイツ人にとっては、当たり前の世界なのでしょうか。



Die Laeuterung(濾過):第25週 by Michale Buselmeier


Die Laeuterung(濾過):第25週 by   Michale Buselmeier





【原文】


Schmerzlust Fronlast sagst du, ihr seid das Feld,
der Gottesacker Welt; ihr seid des Lebens
zaehe Kreisform Tod. Ich bin das Brot,

der Wein im hellen Kelch, das Wort aus Stein,
gegerbtes Fell, die Fahne weiss und rot,
das Lindenbluehn im Park, die Birken locken,

der Weihrauchduft, die Vogelsprache, Glocken
so nah im Wind, als ich verschlafen, blind
den Laden aufstiess und die Kinder sah

auf Blütenblättern kniend, O und A.
Sind wir die Letzten, die Gott spüren,
im Baldachin durch unsre Gassen fuehren,

jasminbekraenzt uns in die Luefte schwingen,
mit Erdbeereis bekleckert Verse singen?
Am Schluss de Zugs die flackernde Monstranz.



【散文訳】


苦痛の快感、聖なる苦役よ、お前は、こう言ったな、お前達は野原だ
墓地の世界だ、お前達は生命の強靭な円形、即ち死だ、と。
わたしはパンなのである。

明るい高杯(たかつき)の中の葡萄酒が、石から産まれた言葉が
鞣(なめ)された毛皮が、旗が、白と赤の
公園の菩提樹の花盛りが、白樺の木々が、誘惑している。

乳香の香、鳥の言葉、鐘々が
かくも近く風の中にある、わたしが寝過ごして、盲いたまま
雨戸を押し上げようとし、そして、子供達を目にしたときに

(子供達が)花びらの上に跪(ひざま)づきながら、オメガであり、アルファであるのを目にしたときに
わたしたちは、神の感ずる最後の者であろうか?
神が天蓋の中にあって、わたしたちの路地を通って導く最後の者であろうか?

ジャスミンの花冠を奉戴した自分自身を中空へと勢いよく放り投げる最後の者であろうか?
阿蘭陀苺で汚れた詩を歌う最後の者であろうか?
行列の最後に、ちらちらと光っている聖体顕示台がある。


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。


ハイデルベルクに生まれ、ハイデルベルク大学に学び、今もハイデルベルクに住んでいます。


オメガであり、アルファであるというのは、キリスト教圏の慣用句で、αとωが、古代ギリシャ語のアルファベットの最初と最後であることから、始めと終りの、即ち全体の、また従い神の、また従い、最初にして最後の者としてのイエス•キリストのことを指すとということです(http://de.wikipedia.org/wiki/Alpha_und_Omega)。

聖体顕示台とは、次のような姿をしています。




カソリックの儀式に使われるものです。この詩を読みますと、宗教的な行列が町の中を練り歩くのでしょう。子供達も一緒に歩くのでしょう。

中世の町である、ハイデルベルクの街中に住む男が、寝過ごして、鎧戸のおりた暗い部屋の中に、外の騒がしい音に目を覚まして、鎧戸を開け、外にその祭列を目の当たりにしたところを歌った詩だということになります。

そうして、題名のことを考えると、この詩は、そのような祭列を見て、自分自身が濾過され、純化される経験を歌ったという詩ということになります。




2014年6月8日日曜日

【西東詩集72】 Hatem3


【西東詩集72】 Hatem3


【原文】

NUR wenig ists was ich verlange,
Weil eben alles mir gefällt,
Und dieses wenige, wie lange,
Gibt mir gefällig schon die Welt!

Oft sitz ich heiter in der Schenke
Und heiter im beschränkten Haus;
Allein sobald ich dein gedenke
Dehnt sich mein Geist erobernd aus.

Dir sollten Timers Reiche dienen,
Gehorchen sein gebietend Heer,
Badakschan zollte dir Rubinen,
Türkise das Hyrkanische Meer.

Getroknet honigsuesse Fruechte
Von Bochara, dem Sonnenland,
Und tausend liebliche Gedichte
Auf Seidenblatt von Samarkand.

Da solltest du mit Freude lesen
Was ich von Orkus dir verschriebe,
Und wie das ganze Handelswesen
Sich nur bewegte dir zulieb;

Wie in dem Land der Brahmanen
Viel tausend Finger sich bemüht,
Dass alle Pracht der Indostanen
Für dich auf Woll und Seide blüht;

Ja, zu Verherrlichung der Lieben,
Gießbäche Soumelpours durchwuehlt,
Aus Erde, Grus, Gerill, Geschieben
Dir Diamanten ausgespült;

Wie Taucherschar verwegner Männer
Der Perle Schatz dem Golf entriss,
Darauf ein Divan scharfer Kenner
Sie dir zu reihen sich befliss.

Wenn nun Bassora noch das Letzte,
Gewürz und Weihrauch, beigetan,
Bring alles was die Welt ergötzte
Die Karawane dir heran.

Doch all diese Kaisergüter
Verwirrten doch zuletzt dein Blick;
Und wahrhaft liebende Gemüter
Eins nur im andern fühlt sein Glück.


【散文訳】

わたしが求めるものは、実に僅(わず)かなものだ
何故ならば、まさしく、すべてがわたしの気に入っているからだ
そして、この僅かなものが、どれ程長い間に亘って
わたしに、有難いことに、既にこの世界を与えてくれていることか!

しばしば、わたしは明朗なこころで、居酒屋に腰を下ろしている
そして、明朗なこころで、限られた家の中にも坐っている
しかし、わたしがお前のことを思うや否や
わたしの精神は、(愛を)征服しながら、伸びて行くのだ。

お前には、チムール帝の諸帝国が仕えることになり
チムールの支配する軍隊は、お前の言うことに耳傾けることになる
バダクシャンの地は、お前に紅玉(ルビー)を奉納し
ヒルカーニエンの地は、トルコ石を奉納する。

蜂蜜で甘い、干物の果物が
ボヒャラの地、太陽の国からやって来て
そして、千もの愛すべき詩篇が
サマルカンドの地から、絹のページに載ってやって来る。

すると、お前は、悦びを以て、読むことになるのだ
わたしが、冥界の王、オルクスについて、お前に書き間違えていることを
そして、全体の商業経営が、どのように
ただただ、お前のためにのみ、動いているのかを

ブラフマンの国において、そうであるように
幾千もの指が、心を砕いているのは
インドスタンの地のすべての壮麗が
お前のために、羊毛と絹の上に、花咲き、栄えるということなのだ。

そうなのだ、愛を賛美するために
渓流は、スメルプールを掘り抜いて流れ
大地から、(山から川を流れて)砕けて丸くなった石から、磨かれた石から、山の石から
お前のために、ダイヤモンドを洗い濯(すす)ぐのだ。

大胆不敵な男たちからなる潜水の軍勢が
真珠の財宝を内海から取るのだが、
その目的のために、鋭い識者の持つペルシャの長椅子(Divan)が
その潜水の軍勢の男達を、お前に整列するように努める。

さて、こうして、バッソーラの地が、やっと最後のもの、即ち
香辛料と乳香を捧げると
世界が享受するすべてのものを
隊商が、お前に、運んで来ることになるのだ。

しかし、すべてのこれらの皇帝の品々は
勿論、遂には、お前の眼を途方に暮れさすことになる
そして、本当に愛している心情が
他の者の中でのみ一つであるということを、皇帝の幸福は感じているのだ。


【解釈と鑑賞】

ハーテムの恋人ズーライカが、チムールの諸帝国の各地から、どれほどの供物を捧げられるかを、何度も何度も歌っています。

第5連の

すると、お前は、悦びを以て、読むことになるのだ
わたしが、冥界の王、オルクスについて、お前に書き間違えていることを

という行の2行目の「書き間違えている」という表現の意味は、この冥界の神についてのWikipedia(http://de.wikipedia.org/wiki/Orcus)の記述を読みますと、特にドイツ語の世界では、忘却という概念と結びついているとありますので、恋人が恋人を忘れないということを、ハーテムがズーライカについて、この神のことを書く時に書いたということになるのでしょう。本来は、忘却に関係した神であるにも拘らず。

従って、その書き誤りを、ズーライカは悦んで読んだのでしょう。

2014年6月7日土曜日

【Eichendorfの詩69】Isegrim(不平家)


Eichendorfの詩69Isegrim(不平家) 

【原文】

Aktenstöße nachts verschlingen,
Schwatzen nach der Welt Gebrauch
Und das grosse Tretrad schwingen
Wie ein Ochs, das kann ich auch.

Aber glauben, dass der Plunder
Eben nicht der Plunder waer,
Sondern ein hoch wichtig Wunder,
Das gelang mir nimmermehr.

Aber andre Überwitzen,
Dass ich mit dem Federkiel
Könnt den morschen Weltbau stützen,
Schien mir immer Narrenspiel.

Und so, weil ich in dem Drehen
Da steh oft wie ein Pasquill,
Lässt die Welt mich eben stehen―
Mag sie’s halten, wie sie will!


【散文訳】

訴訟記録の数々の打撃を、夜な夜な飲み込むこと
世間の使用法に倣って、お喋りをすること
そして、大きな踏み車をぶん廻すこと
一匹の雄牛のように、それは、わたしでも出来る。

しかし、瓦落多が
まさしく、瓦落多ではなく
高く重要な不思議だと信ずること
これは、わたしには金輪際成功しなかった。

しかし、他の素晴らしい機智、即ち
わたしが鵞ペンを使って
腐った世界構造を支えることができるということは
わたしには、いつも愚者の遊戯にみえた。

そして、そういうことなのだ、わたしが、その廻転の中で
そこでは、しばしば、落首のように立っているのだから
世界が、わたしをまさしく立たせるのである以上
世界が、そうしたいと思う通りに、そのままにしたいのである以上!


【解釈と鑑賞】

第1連の踏み車は、ドイツで昔囚人に刑罰として踏ませた車だということです。

この詩人の胸中の率直に吐露されてある詩です。

第2連と第3連の関係が、アイヒェンドルフらしいものです。

詩作は、愚者の遊戯であること。そして、瓦落多である作品が、何か素晴らしい不思議には思えないこと。


そうして、詩人は、世界の廻転の中に落首(世間を非難、誹謗する文)として立つ者であること。

題名のIsegrimは、不平家と訳しましたが、もともとの意味は、動物寓話の中に登場する狼のことを言うのだと辞書にはあります。この狼は、世間に対峙する恐ろしいものとして、多分、出て来るのでしょう。

しかし、この狼は、愚者の姿をしているということ、ここにこそ、この詩人の(世間に対して持つ)逆説、アイロニーがあります。

Rasen(芝草):第24週 by Klaus Hansen


Rasen(芝草):第24週 by   Klaus Hansen





【原文】

Wenn wir hier schon n
icht gewinnen können, treten wir ihnen wenigst
ens den Rasen kaputt !



【散文訳】

もし、ここで、既に、わたしたちが、勝
つことができないならば、わたしたちは、少なく
とも、奴らの芝生を踏みつけて、滅茶苦茶にするのだ!


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaはありません。1948年生まれたのドイツの詩人です。

「それにつけても金の欲しさよ」という一句と同じように、どの文脈においても成り立つ詩のように思います。