2014年3月29日土曜日

【西東詩集62】 Hatem



【西東詩集62】 Hatem


【原文】

Hatem

NICHT Gelegenheit macht Diebe,
Sie ist selbst der größte Dieb;
Denn sie stahl den Rest der Liebe
Die mir noch im Herzen blieb.

Dir hat sie ihn übergeben
Meines Lebens Vollgewinn,
Dass ich nun, verarmt, mein Leben
Nur von dir gewärtig bin.

Doch ich fühle schon Erbarmen
Im Karfunkel deines Blicks
Und erfreu in deinen Armen
Mich erneuerten Geschicks.



【散文訳】

ハーテム

機会が泥棒をつくるのではないのだ。
機会自体が、最大の泥棒なのだ
というのも、機会は、恋の残りを盗んだからである
わたしのこころにまだ残っていた恋の残りを。

機会は、お前に
わたしの生命が獲得したすべてを譲渡した
わたしが、こうして、貧しくなって、わたしの生命が
ただお前からもらって、今こうしていられるということ

しかし、わたしは既に憐憫を感じている
お前の眼差しの柘榴(ざくろ)石の中に
そして、お前の両の腕(かいな)の中で喜んでいるのだ
新たな神の摂理を。



【解釈と鑑賞】

この巻の最初の招待という詩を受けて、ゲーテがハーテムに変身し、その若き恋人がズーライカに変身をして、相聞歌を交換します。

その最初のハーテムの、ゲーテの歌です。

このような詩を読むと、本来のゲーテが生き生きとしているように思われます。箴言の巻は、やはり世俗に生きるゲーテの辛さが出ていたのだと思います。このような詩を読むと、ほっと致します。

最初の連の最初の2行などは、ゲーテが女性を口説いたときの口説とすら思える2行です。うまい口説き文句です。

最後の連の最後の行のGeschickを、神の摂理と訳しましたが、しかし、更に同時にもっと身体の感覚にしっくりと来ること、ぴったりと来る事という意味も含まれています。性愛の意味にとってもよいと思います。勿論、それは神聖なる性愛、性愛は神聖であるという意味です。

Lied(歌):第14週 by William Buttler Yeats

Lied(歌):第14週 by  William Buttler Yeats





【原文】


Ich glaube, mehr beduerf es nicht
Als Fechtrapier und Stemmgewicht,
Dass Jugend länger treibe,
Der Koerper frisch verbleibe,
O, wer denn dachte dran,
Dass das Herz altern kann!

Zu reden weiss ich wohl noch was,
Doch welcher Frau genügte das,
Da ich in ihrer Nähe
Nicht mehr wie eh vergehe;
O, wer denn dachte dran,
Dass das Herz altern kann!

Begier ist’s nicht was ich verlor,
Das Herz nur wie es war zuvor,
Das mir verbrannt noch hätte
Den Leib im Totenbette
So wähnt ich, denn wer dachte dran,
Dass das Herz altern kann!



【散文訳】


わたしは思う、もうこれ以上は要らないと
フェンシングの剣と標準体重より他には
青春がより長く駆るということ
体が新鮮な状態に留まっているということより他には
おお、一体誰が思ったことだろう
こころが歳をとり得るのだということを!

確かに、わたしはまだ何かを議論することができる
しかし、どのご婦人に、それで満足してもらえるのか(それは、ない)
わたしは、その女性の傍に
もはや、嘗てのようではなく、過ぎ行くのだから
おお、一体誰が思ったことだろう
こころが歳をとり得るのだということを!

欲求は、わたしが失ったものなのではない
以前と同じこころだけを失ったのだ
(老いていない)わたしのこころがまだ火傷をしていたら
(老いていない)わたしのこころが、この体が死の床にあっても尚と
そのように、わたしは妄想する、それと言うのも、誰がそれを思っただろうか
こころが歳をとり得るのだということを!



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・バトラー・イェイツ


アイルランド詩人劇作家イギリスの神秘主義秘密結社黄金の夜明け団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)のメンバーでもある。ダブリン郊外、サンディマウント出身。作風は幅広く、ロマン主義神秘主義モダニズムを吸収し、アイルランドの文芸復興を促した。日本のの影響を受けたことでも知られる。」と、あります。

第1連は、まさに若さそのもの、青春そのものです。Stemmgewichtを標準体重と訳しましたが、あるいはもっとフェンシングの場合の最適の用語があるのではないかと思います。ご存知の方は、お教え下さい。



【Eichendorfの詩 60】Der Buergermeister(市長)

【Eichendorfの詩 60】Der Buergermeister(市長)

【原文】

Der Buergermeister

Hochweiser Rat, geehrte Kollegen!
Bevor wir uns heut aufs Raten legen,
Bitt ich, erst reiflich zu erwägen:
Ob wir vielleicht, um Zeit zu gewinnen,
Heut sogleich mit dem Raten beginnen,
Oder ob wir erst proponieren müssen,
Was uns versammelt und was wir alle wissen?―
Ich muss Pflichtmäßig voranschicken hierbei,
Dass die Art der Geschaefte zweierlei sei:
Die einen sind die eiligen,
Die andern die langweiligen.
Auf jene pfleg ich dito zu schreiben,
Die andern können liegenbleiben.
Die liegenden aber, geehrte Brüder,
Zerfallen in wicht’ge und höchstwicht’ge wieder.
Bei jenen―nun―man wird verwegen,
Man schreibt nach amtlichem Ueberlegen
More solito hier, und dort da acta,
Die Diener rennen, man flucht, verpackt da,
Der Staat floriert und bleibt im Takt da,
Doch werden die Zeiten so ungeschliffen,
Wild umzuspringen mit den Begriffen,
Kommt gar, wie heute, ein Fall, der eilig
Und doch höchstwichtig zugleich―dann freilich
Muss man von neuem unterscheiden:
Ob er mehr eilig oder mehr wichtig.―
Ich bitte, meine Herrn, verstehn Sie mich richtig!
Der Punkt ist von Einfluss. Denn wir vermelden
Die species facti, wie billig, sofort,
Findt sich der Fall  mehr eilig liegend.
Ist aber das Wichtige überwiegend,
Wäre die Eile am unrechten Ort.
Meine Herren, sie haben nun die Prämissen,
Sie werden den Beschluss zu finden wissen.


【散文訳】

市長

賢明なる参事会のみなさん、尊敬する議員の諸君!
本日評議を開始する前に
次のことを、まづはじっくりと考えることをお願いしたい。
わたしたちは、ひょっとして、時間を手にするために(時間を無駄にしないために)今日直ちに評議を開始したらよいのだろうか、
それとも、何がわたしたちをこのように集めるのか(何故集まるのか)、そして、わたしたちはみな何を知っているのかを議題として提案しなければならないのかどうかということをです。
わたくしは、義務として、ここに、仕事の種類には2種類があるということを先に申し上げねばなりません:
ひとつは、急いでいる仕事であり、
もうひとつは、ゆっくりした仕事であります。
前者に従えば、わたくしは、cito(非常に急いで)書く事になり、
もう一方の仕事は、その間、止まったままになります。
止まったままの仕事は、しかし、尊敬する諸君、
重要な仕事と、且つ最高度に重要な仕事に分かれるのであります。
前者、即ち急ぐ仕事にあっては、さてこうしたわけで、横着になり、役人の考えのままに、ここではmore solito(常法で)で、あそこではacta(公式記録)を書く事になります。
国家は花盛りに栄え、そして、拍子を合わせて実際常に粛々たるものです
しかし、拍子という時間は、かくも無作法で粗野なものなので
(法律の)概念を以て、乱暴に引っくり返す
本日のような、全くもって、急ぎで
しかも、同時に最高度に重要なる案件が来ると、次には勿論
改めて、最初から、次のことを区別しなければならぬのであります:
この案件が、もっと急ぐものなのか、それとも、もっと重要なものなのか、であります。
諸君、どうか正しく、真っ当に理解をしていただきたいのです!
問題は、それが及ぼす影響です。何故ならば、わたしたちは
当然のことではありますが、直ちに、species facti(特定のやり方)を通知するわけですし
この案件が、もっと急いで止まっている案件だからです。
しかし、最も重要なものが、優先するのだとすれば
至急の処理が、この場合不正であると仮定するならば、
満場の諸君、こうして、諸君が前提を握っているのであり
諸君が、決議することなのであります。


【解釈と鑑賞】

Intermezzo、間奏と題した題名の下に、市長という題名でおかれている詩です。

これまでの間奏、これまでの詩とは全く趣を異にした詩です。何故このような詩を書いたのか、その背景を知りたいものです。

これは、ある町の市長の、市議会での演説という体裁を取っています。参事会のお歴々も、市議会議員も揃って議場に坐っている。
前に登壇した市長が、このようなことを述べるのです。

しかし、述べている内容は、一体何を言っているのでしょうか。

お役所仕事への皮肉ということではないでしょうか。合間合間にラテン語のお役所用語を差し挟んでいます。議会と役所を管轄する市長として、自分を設定して、このような演説をうっているということなのでしょう。


2014年3月16日日曜日

【西東詩集61】 Einladung(招待)


【西東詩集61】 Einladung(招待)


【原文】

Einladung

MUSST nicht vor dem Tage fliehen:
Denn der Tag den du ereilest
Ist nicht besser als der heutge;
Aber wenn du froh verweilest
Wo ich mir die Welt bezeigte
Um die Welt an mich zu ziehen,
Bist du gleich mit mir geborgen:
Heut ist heute, morgen morgen,
Und was folgt und was vergangen
Reisst nicht hin und bleibt nicht hangen.
Bleibe du, mein Allerliebstes,
Denn du bringst es und du gibst es.

DASS Suleika von Jussuph entzueckt war
Ist keine Kunst;
Er war jung, Jugend hat Gunst,
Er war schön, sie sagen zum Entzücken,
Schön war sie, konnten einander beglücken.
Aber dass du, die so lange mir erharrt war,
Feurige Jugendblicke mir schickst,
Jetzt mich liebst, mich später beglückst,
Das sollen meine Lieder preisen,
Sollst mir ewig Suleika heissen.

DA DU nun Suleike heissest
Sollt' ich auch benamset sein.
Wenn du deinen Geliebten preisest,
Hatem! das soll der Name sein.
Nur dass man mich daran erkennet,
Keine Anmassung soll es sein:
Wer sich St. Georgenritter nennet
Denkt nicht gleich Sankt Georg zu sein.
Nicht Hatem Thai, nicht der alles Gebende
Kann ich in meiner Armut sein;
Hatem Zograi nicht, der reichlichste Lebende
Von allen Dichtern, moecht ich sein.
Aber beide doch im Auge zu haben
Es wird nicht ganz verwerflich sein:
Zu nehmen, zu geben des Glückes Gaben
Wird immer ein gross Vergnügen sein.
Sich liebend an einander zu laben
Wird Paradieses Wonne sein.



【散文訳】

招待

その日を前にして逃げてはならない
なぜなら、お前が急いでも追いついたその日は
今日よりもよりよいものではないからだ。
しかし、世界をわたしに引き寄せるために
わたしが自らに世界を示したその場所に
お前が喜んで留まるならば
お前は直ちにわたしと共に安全に庇護されるているのだ。
今日は今日、明日は明日
そして、来るもの、去るものは
引き裂くことなく、またぶら下がって留まるものではない。
お前は留まるのだ、わたしの最も愛するものよ
何故ならば、お前はそれを運んで来て、そして、それを与えるからだ。

ズーライカが、ユッスフによって魅了されたということは
技術の話ではないのだ
ユッスフは若く、若さは恵みを持っている
ユッスフは美しく、そしてふたりは魅了されていうのだ
美しいのはズーライカだった、そして互いに互いを幸せにすることができた
しかし、お前、かくも長くわたしの待ち焦がれていたお前は、
炎の青春の眼差しをわたしに送るということ
今やわたしを愛し、わたしをあとで幸せにするということ
それが、わたしの歌々を賞賛することになり
お前はわたしの永遠のズーライカだと呼ぶことになるのだ。

さてこうして、お前がズーライカという名前になったからには
わたしもまた名前を呼ばれることになろう。
お前がお前の愛する者を賞賛するのであれば
ハーテム!この名前こそが、その名前でなければならない。
ひとはその名前でわたしだと知るということのみだということは
自惚れなどにはなりようがないのだ。
聖ゲオルグの騎士と自らを呼ぶ者が
直ちに聖ゲオルグであることを思うわけではない。
ハーテム・タイではない者として、すべてを与える者ではない者として
わたしは、わたしの貧しさの中にいることができるのだ。
ハーテム・ツォグライではない者に、この最も豊かに生きる者ではない者に
すべての詩人たちのうちで、わたしは、なりたいのだ。
しかし、これらふたりのハーテムから眼を離さないということ
それは、全く非難すべきことなのではないだろう。
取ること、幸福の喜捨を与えること
これは、いつも大きな満足となる。
自らを愛しつつ、互いに楽しませること
これは、天国の恍惚となること間違いないからだ。


【解釈と鑑賞】

ズーライカの巻という相聞歌の巻が、この招待と題した詩で始まるのは、理由があり、それは、この詩にある通りの理由だということになります。

ゲーテは、恋人をズーライカに擬し、自らをハーテムに擬する。そのものを別の名前で呼ぶということには、わたしたち人間の本質に根ざした何か深いものを示しています。

その不思議の力のありように、この恋人たちはその身を委ねようというのです。世俗を離れた世界の創造でしょう。それが、

「しかし、世界をわたしに引き寄せるために
わたしが自らに世界を示したその場所に
お前が喜んで留まるならば
お前は直ちにわたしと共に安全に庇護されるているのだ。」

という詩行にあらわれております。

この詩は、20歳になるかならないかのときに読んで、その間今にいたるまで、折にふれて思い出し、生きる糧として来た、西東詩集の詩のひとつです。

当時は、8行目にある、今日は今日、明日は明日という一行にとても惹かれ、そのような今日、そのような明日を行きたいと思い、生きて来たように思います。

全く、世間とは異なり、異質の世界を言語の力の不思議を借りて創造すること。しかも、言語の力には決して頼ることなく。

最後の2行は、いつものゲーテらしく、大変性愛の示唆に満ちた、eroticなゲーテがおります。

その他、聖ゲオルグ騎士団については、次の記述をネットで見つけました:

ハプスブルク伯ルドルフが皇帝に選ばれた時にトルコの侵略から辺境を守る為に創設し、カリンティアのマイルステートのベネディクト大聖堂を与えた。団長は皇帝の後継者がなった。
[http://crazyhis.web.fc2.com/dord/orders.htm]

2014年3月15日土曜日

Strandgras(砂地の草):第13週 by Amy Lowell




Strandgras(砂地の草):第13週 by  Amy Lowell





【原文】


Kalt ist der Mond über den Sanddünen
Und die Graeserbueschel am Meer gleiten und glitzern;
Meine Uhr schlägt dünn die Viertelstunde nach Mitternacht;
Und noch höre ich nichts Als das Windklatschen des Meeres.



【散文訳】


冷たく、月は、砂丘の上にある
そして、草の茂みは、海に添って滑り、そしてきらきらしている
わたしの時計は、薄く、かすかに真夜中に15分前を打つ
そして、まだ、わたしは海の風の打ち鳴らす音以外のものを聞かない。


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。。




アメリカのイマジズムの詩人とあります。

3行目の薄く、かすかにと訳した副詞のduennは、1行目の砂地のSandduenenの響きに通っているのではないかと思います。

叙景とも叙事とも言える詩であると思います。



【Eichendorfの詩 59】Aufgebot(告示と招集)

【Eichendorfの詩 59】Aufgebot(告示と招集)


【原文】

Waldhorn bringt Kund getragen,
Es hab nun aufgeschlagen
Auf Berg und Tal und Feld
Der Lenz seine bunten Zelt!

Ins Gruen ziehn Saenger, Reiter,
Ein jeglich Herz wird weiter,
Moecht jauchzend uebers Gruen
Mit den Lerchen ins Blaue ziehn.

Was stehst du so alleine,
Pilgrim, im gruenen Scheine?
Lockt dich der Wunderlaut
Nicht auch zur fernen Braut?

》Ach! diese tausendfachen
Heilig verschlungnen Sprachen,
So lockend Lust, wie Schmerz,
Zerreissen mir das Herz.

Ein Wort will mir's verkuenden,
Oft ist's, als muesst ich's finden,
Und wieder ist's nicht so,
Und ewig frag ich: Wo?《-

So stürz dich einmal, Geselle,
Nur frisch in die Fruehlingswelle!
Da spurts du's im Innersten gleich,
Wo's rechte Himmelreich.

Und wer dann noch mag fragen:
Freudlos in blauen Tagen
Der wandern und fragen mag
Bis an den Juengsten Tag!


【散文訳】

森の増えが告示を運んできた
今となっては、打ち開いたのだ
山や谷や野原やに
春が、その色彩豊かなテントを

緑の中へ、歌い手たちが、騎士たちが入って行く
どの心臓も、一層広がって
歓喜の叫びをあげながら、緑を超えて行きたいのだ
雲雀と一緒に、青の中へと入って行きたいのだ

お前は何をそんなに一人でいるのだ?
巡礼のお前よ、緑の輝きの中で
お前を、不思議の音が誘っている
それはまた、遠い花嫁のところへと誘っているのではないのか?

》ああ!、これらの幾千にも重なって
神聖に飲み込まれ、食い尽くされた言語たちが
かくも喜びを誘惑しながら、そして苦痛もまた誘惑しながら
わたしの心臓を引き裂くのだ。

一つの言葉が、わたしにそれを布告したいという
しばしば、それは、恰もわたしが見つけねばならないかの如くである
そして、再び、実際には、そうではないのだ
そして、永遠にわたしは問うのだ:どこにあるのだ?《

だから、一度自分自身を突き落とせよ、仲間よ
ただ新鮮に、春の波の中へと
そうすれば、お前は一番の内奥で直ちに
本当の天国がどこにあるのかを感じるだろう。

そして、次にもっと、問いたい者がいるだろう
喜びもなく、青い日々の中で
最後の審判のその日まで
放浪し、そして問いたい者が!


【解釈と鑑賞】

春は、ここに歌われている通りの、この詩人のありようです。

前の詩人の春という詩のあとにも、間奏曲があり、またこの春の詩のあとにも間奏曲が入ります。

何か春には、附随して、どうでしても間奏曲が必要のようです。


そこに、この詩人のこころの秘密があるのかも知れません。

2014年3月8日土曜日

【Eichendorfの詩 58】Intermezzo(間奏曲)

【Eichendorfの詩 58】Intermezzo(間奏曲)

【原文】

Wohl vor lauter Sinnen, Singen
Kommen wir nicht recht zum Leben;
Wieder ohne rechtes Leben
Muss zu Ende gehen das Singen;
Ging zu ende dann das Singen:
Mögen wir auch nicht länger leben.


【散文訳】

純粋な感覚、そして歌の前では、きっと
わたしたちは、生きることには、正しくは至らないのだ
再び、正しい人生を抜きにして、その人生の無いままに
歌は、終りにならねばならず
そして、実際に、次に、歌は終りになったのだ
どんなに、わたしたちが、たとえそれ以上長く生きないように願ったとしても。


【解釈と鑑賞】

この詩の論理も、全くアイヒェンドルフらしい論理です。

世間のひとからみたら、倒錯した論理だと思われることでしょう。

しかし、わたしはこの詩人の論理の方が、やはり正しいと考えております。わたしも、そのように、世間からみれば、倒錯した人生を送って来た人間の一人なのでしょう。わたしはが詩人であるかどうかは、また、別にして。


この詩人の歌う最後の行のわたしたちの中に、わたくしもまた含まれていることを願う。

【西東詩集60】 Buch Suleika


【西東詩集60】 Buch Suleika


【原文】

Buch Suleika

Ich gedachte in der Nacht
Dass ich den Mond saehe im Schlaf;
Als ich erwachte
Ging unvermutet die Sonne auf.



【散文訳】

ズーライカの巻

わたしは夜に覚えていた
わたしは眠りの中で月をみていると
目覚めた時
思いもかけず、日が登っていたのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩は、ズーライカの巻、ズーライカの書の冒頭に掲げられている詩です。

月と太陽、眠りと目覚め、夜と昼という素晴らしいくも簡潔な対照、対比により構成されている詩です。

前者の世界は、その記憶していることが接続法第II式で、後者は既に過去の事実となった過去形で表されております。

この差異が、味わうべき形式の差異でありましょう。従い、その内容である意味もまた、その差異のうちに、味わうべきでありましょう。

こうしてみますと、2行目の従属文の接続法第II式を敢えてとったということが、よく効いています。第3行、第4行もまた、主文にある事実は、太陽の登ったということですが、主客を入れ替えれば、それもまた夢かうつつかということになります。

この淡いに、ハーフィスとズーライカの相聞がなされるのでしょう。





Mein schoenes Gedicht(わたしの最高の詩):第12週 by Mascha Kaleko




Mein schoenes Gedicht(わたしの最高の詩):第12週 by Mascha Kaleko




【原文】


Mein schoenes Gedicht?
Ich schrieb es nicht.
Aus tiefsten Tiefen stieg es.
Ich schwieg es.


【散文訳】


わたしの最高の詩?
わたしはそれを書いたことはありません。
最も深いところから、それは立ちのぼったのです。
わたしは、その詩を沈黙したのです。




【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。。


http://de.wikipedia.org/wiki/Mascha_Kaléko


オーストリア•ハンガリー帝国に生まれた女性詩人です。

簡潔な、この詩人のこころを表した、文字通りに、素晴らしい詩だと思います。

最後の一行は、生硬な訳ですが、このように訳すのいいと思いました。詩について沈黙するのではなく、詩そのものを沈黙するのです。
この翻訳臭芬々(ふんぷん)たる訳から、そのこころを察して下さい。




2014年3月2日日曜日

【西東詩集59】 An Suleika(ズーライカに寄す)


【西東詩集59】 An Suleika


【原文】

An Suleika

DIR mit Wohlgeruch zu kosen,
Deine Freuden zu erhöhen,
Knospend muessen tausend Rosen
Erst in Gluten untergehn.

Um ein Flaeschen zu besitzen
Das den Ruch auf ewig haelt,
Schlank wie deine Fingerspitzen,
Da bedarf es einer Welt;

Einer Welt von Lebenstrieben,
Die, in ihrer Fülle Drang,
Ahndeten schon Bulbuls Lieben,
Seeleregenden Gesang.

Sollte jene Qual uns quälen,
Da sie unsre Lust vermehrt?
Hat nicht Myriaden Seelen
Timurs Herrschaft aufgezehrt!


【散文訳】

ズーライカに寄す

お前を、芳香を以て愛撫すること
お前の歓びを高めること
そうやって、芽吹いて、芽吹きながら、千の薔薇が
やっと灼熱の中へと沈んで行かなければならない

お前の指先のように、すらりとして
芳香を永遠に保つ
小さな壜を所有するために
それであればこそ、小壜は一つの世界を必要とするのだ

生命に満ちた衝迫の中で
夜啼き鴬の恋心、即ち魂を生動させる歌を
既に予感した生命の駆動するひとつの世界を

もしもあの苦しみがわたしたちを苦しませるならば
その苦しみは、わたしたちの悦びを増大させるのではなかろうか?
数知れない魂を、チムールの支配が食い尽さなかったとは!


【解釈】

ズーライカというハーフィスの恋人に寄せる詩という体裁をとっております。

誰がズーライカに歌いかけるのかといえば、それは、ハーフィスというペルシャの詩人でありましょう。

ゲーテは、この詩人になって、ズーライカに歌を寄せている。

第4連の、あの苦しみとは、恋の苦しみでありましょう。しかし、それは同時に恋の悦びを増大することでもある。

そうして、チムール帝の支配も、そのような幾千、幾万の魂を食尽すことはできなかった。

このように、ズーライカに歌いかけて、この巻はこのように短く終り、次に、ズーライカの巻、相聞歌の書が始まります。

Sage mir(我に言えよかし):第11週 by Johann Wolfgang von Goethe



Sage mir(我に言えよかし):第11週 by Johann Wolfgang von Goethe




【原文】


Sage mir
Was mein Herz begehrt?
Mein Herz ist bey dir
Halt es werth.


【散文訳】


わたしに言え
わたしの心臓が何を求めているのかを
わたしの心臓は、お前のもとにあり
それでいい(価値あり)と思っているのだ。



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。。




ゲーテは有名な詩人であり芸術家ですから、言うまでもありませんが、この機会に、どういう人間であったかを、Wikipediaで読み直すのもよいかも知れません。

これは、如何様にでも解釈できる詩です。

恋の歌ととれば、相手の女性に対する余りの激情の迸り故の短い詩行ということになるでしょう。俺の気持ちがわからないのかという言葉が裏に隠れているでしょう。


3月、春の訪れに相応しい詩を、カレンダーの編纂者は選んだということなのでしょう。

【Eichendorfの詩 57】Dichterfruehling(詩人の春)

【Eichendorfの詩 57】Dichterfruehling(詩人の春)

【原文】

Wenn die Bäume lieblich rauschen,
An den Bergen, an den Seen,
Die im Sonnenscheine stehen,
Warme Regen niederrauschen,
Mag ich gern begeistert lauschen.
Denn um die erfrischten Hügel
Auf und nieder sich bewegen
Fühl ich Winde, Gottes Fluegel,
Und mir selber wachsen Flügel,
Atm ich still den neuen Segen.

Wie der Kranke von der Schwelle
Endlich wieder in die warme
Luft hinausstreckt Brust und Arme,
Und es spült des Lebens Welle
Fort die Glieder in das Helle:
Also kommt ein neues Leben
Oft auf mich herab vom Himmel,
Und ich seh vor mir mein Streben
Licht und unvergänglich schweben
Durch des Lebens bunt Gewimmel.

Will erquickt nun alles prangen,
Irrt der Dichter durch die Schatten,
Durch die blumenreichen Matten,
Denkt der Zeiten, die vergangen,
Ferner Freude voll Verlangen,
Und es weben sich die Träume
Wie von selbst zum Werk der Musen,
Und rings Berge, Blumen, Baeume
Wachsen in die heitern Raeume
Nach der Melodie im Busen.


【散文訳】


木々が愛らしく
太陽の輝きの中にある山々で、湖という湖で
さやさやと音を立てるたびに
温かい雨がさやさやと音を立てて降って来て
わたしは、喜んで熱狂して、耳をそばだてる。
というもの、新しくなった丘々を巡って
上昇したり下降したりして動く
風を、神の翼を、わたしは感じるからであり
そして、わたし自身に両の翼が生えて来て
わたしは、静かに、新しい至福を呼吸するのだ。

病人が、閾(しきい)から
遂に再び、温かい
空気の中へと、胸と両腕を伸ばし入れるように
そして、生命の波が四肢に打ち寄せて、洗い
四肢を明るいものの中へと、ずんずんと押し入れる
こうして、新しい生命がやって来て
天から、しばしば、わたしに向かって降りて来て
そして、わたしは、わたしの前に、わたしの努力が
明るく、そして不易に過ぎ去ることなく、漂っているのを見るのだ
生命の多彩な雑踏を通って

こうして、すべてが蘇生して光輝くことを欲し
詩人は、影の中を通って、迷い
花々の豊かな牧場を通って
詩人は、過ぎ去った様々な時代について回想し
欲求で一杯の更なる歓びについて思い出す
そして、夢という夢が自らを織り為すのだ
自分自身から(ひとりでに)文学や芸術の女神達の作品になるかのように
そして、巡る山々が、巡る花々が、巡る木々が
明朗なる空間という空間の中へと成長して入って行く
胸の中にある旋律に従って。


【解釈と鑑賞】

Dichterfruehlingという題名の命名の造語をみると、英語ならばPoet-springということになり、何か呼ぶならば、本当は詩人の春ではなく、詩人春という春の種類があるのだという意味での、詩人の春という意味だということになります。

そのこころは、春と言えば詩人であり、詩人と言えば春を歌うのがその主要な仕事だということでしょう。

春が来ると、詩人は迷いもするものの、しかし蘇生して、生命の讃歌に触れて、夢を織りなす、それも夢がひとりでに意志あるものの如くに織りなすのを目の当たりにし、それを言葉で書き記す。


最後の一行の、胸の中の旋律という言葉が、詩人の胸中を歌うとともに、何故どのように詩が生まれるかをも歌っております。