2013年2月24日日曜日

【Eichendorfの詩 23】Abschied (別れ)


【Eichendorfの詩 23】Abschied (別れ) 

【原文】

Abschied

O Täler weit, o Hoehen,
O schoener, gruener Wald,
Du meiner Lust und Wehen
Andaecht'ger Aufenthalt!
Da draussen, stets betrogen,
Saust die geschaeft'ge Welt,
Schlag noch einmal die Bogen
Um mich, du grünes Zelt!

Wenn es beginnt zu tagen,
Die Erde dampft und blinkt,
Die Voegel lustig schlagen,
Dass dir dein Herz erklingt:
Da mag vergehn, verwehen
Das truebe Erdenleid,
Da sollst du auferstehen
in junger Herrlichkeit!

Da steht im Wald geschrieben,
Ein stilles, ernstes Wort
Von rechtem Tun und Lieben,
Und was des Menschen Hort.
Ich habe treu gelesen
Die Worte, schlicht und wahr,
Und durch mein ganzes Wesen
Ward's unaussprechlich klar.

Bald werd ich dich verlassen,
Fremd in der Fremde gehn,
Auf buntbewegten Gassen
Des Lebens Schauspiel sehn;
Und mitten in dem Leben
Wird deines Ernsts Gewalt
Mich Einsamen erheben,
So wird mein Herz nicht alt.


【散文訳】

別れ

ああ、谷々よ、遥かなる、ああ、高みよ
ああ、美しい、緑なす森よ
お前、わたしの悦びと悲しみの
敬虔なる滞在よ!
外では、いつも欺かれる
忙しい世界の、ざわざわ言う音がする
もう一度、弦の弓を打ちつけよう
わたしの周りで、お前、緑のテントよ!

日が昇り始めれば
大地は煙り、そして瞬(またた)く
鳥たちは、陽気に羽を打つ
お前のこころが鳴り響くようにと
そうすると、過ぎ去り、吹き去るのだ
この暗い、大地の苦しみが
そうすると、お前は、再び蘇生する
若々しい荘厳の中に!

すると、森の中に、書かれているのは
ひとつの静かな、真剣な言葉である
正しい行いと愛することについての
そして、人間の財宝について幾ばくかの

わたしは忠実に読んだ
その言葉を、簡素で真実の言葉を
そして、わたしの前存在を通して
その意味が、言葉では言えない位に明瞭になったのだ。

じきに、わたしはお前の許を去ることになり
異国の地を、異人のまま行くことになる
乱雑に動く小路を通って
生命の芝居を観るのだ
そして、生命のまん中で
お前の真剣さの力が
わたしを、孤独なる者を、高く掲げるのだ。


【解釈と鑑賞】

第一連を読むと、この詩の歌い手は、ジプシーのような、あるいはジプシーであるのかも知れませんが、旅する音楽家だということがわかります。

緑のテントではありませんが、緑の馬車というのが、ジプシーの象徴として、トーマス•マンのTonio Kroegerに出て来ます。

そうして、

外では、いつも欺かれる
忙しい世界の、ざわざわ言う音がする
もう一度、弦の弓を打ちつけよう
わたしの周りで、お前、緑のテントよ!

というところを読むと、音楽には、世俗の喧噪と欺瞞から我が身を護る力があると、詩人が考えていることがわかります。そうして、音楽は、緑のテント、我が身を護る仮の宿なのだ。

このような思いを吐露する前に、谷や空の高みや森を褒め称える、その真情が溢れている第一連です。

都会を離れ、町を離れて、自然の中で、詩人は蘇生する。このモチーフは、連綿として、アイヒェンドルフの詩に連なっています。

そうして、森の中にこそ言葉があって、それは人間の規範となる教えである。

最後の連、

じきに、わたしはお前の許を去ることになり
異国の地を、異人のまま行くことになる
乱雑に動く小路を通って
生命の芝居を観るのだ

とあるのは、このモチーフも繰り返し、アイヒェンドルフの詩には出て来るモチーフです。

小路とある、この言葉は、この詩人の何か観客としての舞台、芝居の演じられている生き生きとした舞台なのです。そこは、生活の臭いに満ちているのです。


【西東詩集34】 Versunken(溺れる)



【西東詩集34】 Versunken(溺れる)


【原文】

Versunken

VOLL Locken kraus ein Haupt so rund!―
Und darf ich dann in solchen reichen Haaren
Mit vollen Händen hin und wider fahren,
Da fühl ich mich von Herzensgrund gesund.
Und küss ich Stirne, Bogen, Auge, Mund,
Dann bin ich frisch und immer wieder wund.
Der fünfgezackte Kamm wo sollt' er stocken?
Er kehrt schon wieder zu den Locken.
Das Ohr versagt sich nicht dem Spiel,
Hier ist nicht Fleisch, hier ist nicht Haut,
So zart zum Scherz so liebeviel!
Doch wie man auf dem Köpfchen kraut,
Man wird in solchen reichen Haaren
Für ewig auf und nieder fahren.
So hast du, Hafis, auch getan,
Wir fangen es von vorne an.


【散文訳】

溺れる

ひとつの頭(こうべ)が、ちじれた巻き毛でふさふさと、かくも丸みを帯びているとは!
そして、それならば、そのような豊かな髪の毛の中に入って
両の手一杯に、あちらこちらへと、行く事をゆるされていて
そうすると、わたしは、こころの底から、健康であるのを感じる。
そして、わたしは、額、眉、眼、唇に接吻をし
すると、わたしは、新しく、そしていつも繰り返し傷つくのだ。
五つの歯のある櫛笥(くしげ)、そこで詩人は動けなくなるというのだろうか?(そんなことはない)
彼は既に再び巻き毛に戻って行くのだ。
耳は、この遊びを拒みはしない
ここには、肉もなければ、肌もないのだ
かくも戯れに柔らかく、かくも愛に満ちている!
しかも、この可愛らしい小さな頭(こうべ)を掻くほどに
そのような豊かな髪の中で
永遠に、行ったり来たりすることになるのだ。
このように、ハーフィスよ、お前も為したのだ
我等は、それを、最初から始めることにしよう。


【解釈】

前の詩を受けて、いよいよ本格的に、愛の詩が歌われています。

肉もなければ、肌もないのだ

という一行は、老齢のゲーテの真情でありましょう。

年齢にも拘らず、女性の豊かな髪の毛に手を差し入れて、掻くということは、たまらなくエロティックで、心地よいことなのです。

註釈不要の詩であると思います。


Gebot(命令):第9週 by Rolf Bossert(1952 - 1996)



Gebot(命令):第9週 by Rolf Bossert(1952 - 1996)




【原文】


Gebot 

du sollst den tag nicht vor der nacht loben
du sollst den abend nicht loben
du sollst tag und nacht loben


【散文訳】


命令

お前は、昼を、夜の来ないうちに、誉めなければならない
お前は、夕方を、誉めてはならない
お前は、昼と夜を誉めなけれがならない



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


ルーマニアの詩人です。

当時の共産党当局との軋轢が嵩じて、共産党がこの詩人を精神病院送りにして、口を封じようとしたとあります。その後、職業の剥奪と出版の禁止が続きました。1985年にドイツに逃亡しています。その2ヶ月後に、開け放たれた窓の下で、死体となっておりました。


第1行の

du sollst den tag nicht vor der nacht loben
お前は、昼を、夜の来ないうちに、誉めなければならない

とあるその意味は、次の二通りの解釈が有り得ます。

1。夜が来る前に、昼を誉めなければならないという意味
2。夜をまづ誉めずには、昼を誉めてはならないという意味

この二つです。

この命令という題の言語、Gebotは、人間のつくる法律による命令という意味のほかに、宗教的な、神の命令という意味もありますから、ここでもdouble meaningになっています。

個人の名前で書いていながら、どこか宗教的な感じも漂っています。

2013年2月21日木曜日

『空間詩集』を出版しました。



『空間詩集』を出版しました。

わたしの初めての詩集『空間詩集』を、アマゾンのキンドルにて出版しました。

最後の「骸骨讃歌」など、笑って下さって、世の憂さを忘れ、消閑のお役に立てればと思っております。

御興味のある方は、次のアマゾンの店頭にて、お買い求め下さい。

よろしくお願い致します。


2013年2月16日土曜日


【Eichendorfの詩 22】Sehnsucht (憧憬) 

【原文】

Sehnsucht

Es schienen so golden die Sterne,
Am Fenster ich einsam stand
Und hörte aus weiter Ferne
Ein Posthorn im stillen Land.
Das Herz mir im Leib entbrennte,
Da hab ich mir heimlich gedacht:
Ach, wer da mitreisen koennte
In der praechtigen Sommernacht!

Zwei junge Gesellen gingen
Vorueber am Bergshang,
Ich hoerte im Wandern sie singen
Die stille Gegend entlang:
Von schwindelnden Felsenschlueften,
Wo die Wälder rauschen so sacht,
Von Quellen, die von der Klüften
Sich stuerzen in die Waldesnacht.

Sie sangen von Marmorbildern,
Von Gaerten, die ueberm Gestein
In daemmernden Lauben verwildern,
Palaesten im Mondenschein,
Wo die Mädchen am Fenster lauschen,
Wann der Lauten Klang erwacht
Und die Brunnen verschlafen rauschen
In der praechtigen Sommernacht. ―


【散文訳】


憧憬

かくも黄金色に、星々は輝いていた
窓辺に、わたしは孤独に立っていた
そして、遥か遠くから聞こえて来る
静かな国の郵便馬車の角笛の音を聞いていた。
わたしの心臓は、体の中で、燃えた
と、密かにこう思ったのだ:
ああ、だれか、ここで、一緒に旅のできるものが
荘厳な夏の夜に、いないだろうか!

ふたりの若者が、道を行った
山の崖を通って
わたしは、旅をしながら、ふたりが歌うのを聞いた
静かな辺りに沿って行きながら
目眩(めまい)のする峨々たる山峡の歌を
そこには、森が穏やかに、葉ずれの音を立てている
峡谷から森の夜の中へと突入する泉の歌を

ふたりは、大理石の像について歌った
岩の上の
黄昏れ行く葉むらの中で荒廃する庭について
乙女たちが、窓辺にいて、聞き耳を立てている
月光の中の宮殿について歌った
いつ、ラウテの響きが目覚めるのか
しかし、泉は、眠ったまま、潺湲たる音をたてている
荘厳な夏の夜のうちに


【解釈と鑑賞】

何か、シュールレアリスムに通じる、アイヒェンドルフの詩です。

わたしは、この詩が好きだと思いました。いい詩です。

訳していて、実に楽しかった。

時間の無い詩だといっていいでしょう。それが、楽しさ、愉快の原因なのです。

【西東詩集33】 Gewarnt(警告さる)



【西東詩集33】 Gewarnt(警告さる)


【原文】

AUCH in Locken hab' ich mich
Gar zu gern verfangen,
Und so, Hafis! waers wie dir
Deinem Freund ergangen.

Aber Zoepfe flechten sie
Nun aus langen Haaren,
Unterm Helme fechten sie,
Wie wir wohl erfahren.

Wer sich aber wohl besänn
Lässt sich so nicht zwingen:
Schwere Ketten fuerchtet man,
Rennt in leichte  Schlingen.


【散文訳】

巻き毛の中にもまた、わたしは自らを
本当に悦んで、捉えられた。
そして、そのように、それが、ハーフィスよ!、お前と同様に
お前の友の身にも起ればよかったものを。

しかし、彼女達は、巻き毛の房を編み
今や、長い髪の中から
兜の下で、編んだのだ
わたしたちが確かに見聞きしたように。

しかし、よく気がつくものがいれば、
そうは、強制されないだろう
重い鎖を、ひとは恐れるものだし
軽い鎖の中に逃げ込むものだから。



【解釈】

この短い詩は、何を言っているのか。

前のふたつの詩で、恋愛の一組一組の素晴らしさを歌ったのに対して、ここでは、均衡をとるために、敢えて、世間からの警告を置いたと理解してもよいでしょうし、実際にゲーテが体験したことと、その自分の心の中の心理を分析して、この詩を書いたと考えてもよいと思います。

最初の連の最初の文を読むと、実際に、ゲーテが恋をし、恋人の巻き毛に溺れたのだということがわかります。

しかし、ハーフィスはその先へ行ったが、この詩の話者はいけなかった。通俗に言えば、世間体と口さがない人間達がいたからだということになるでしょう。

こうして、読んでみると、題名となした警告されるという言葉は、思いものがあります。実際のことであったのかも知れません。

そうして、しかし、この歌を置いた後で、どのような展開があるのか。ゲーテのことですから、またもう一方へと振り子を振らす筈なのです。



Salz(塩):第8週 by Bedri Rahmi Eyuboglu(1913 - 1975)




Salz(塩):第8週 by Bedri Rahmi Eyuboglu(1913 - 1975)




【原文】


Salz

Auf der einen Seite Zucker
Auf der anderen Salz
Ich entscheide mich für das Salz.
Auf der einen Seite Erde
Auf der anderen Seite Meer
Ich entscheide mich für das Meer.
Auf der einen Seite ich
auf der anderen du
Ich entscheide  mich für dich.



【散文訳】



一面では、砂糖
他面では、塩
わたしは、塩をとる
一面では、大地
他面では、海
わたしは、海をとる。
一面では、わたし
他面では、お前
わたしは、お前をとる。



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。



イスラム圏の詩人です。上のWikiは、多分イスラム圏の言葉をアルファベットで表記したものなのでしょう。

単純、素朴な表現の繰り返しが、お前をとるわたしの易しさと、ある決意を伝える恋愛詩、叙情詩です。

2013年2月15日金曜日

日本の詩人の豊かさについて



日本の詩人の豊かさについて

今、安部公房が10代で読み耽った詩人、リルケの著した『若き詩人への手紙』を読んでいる。

その3つめの手紙(1903年4月23日付)、イタリアのピサの近傍のViareggioという場所から出したリルケの手紙があります。

その最後の文面は、次のようになっています。


最後に、わたしの本についてですが、あなたにすべての本をお送りしたいと本当に思っているのですし、そうすれば、貴方も喜んで下さることでしょう。しかし、わたしは貧しく、そして、わたしの本は、一度出版されると、わたしのものではなくなるのです。わたしは、自分で買う事もできません。そして、よくそうしたいと思うように、それらの本に対して愛するものを証明してくれる人々に差し上げたいと思っています。

それゆえに、わたしは、一枚の紙切れに、一番最近出版された本(一番新しいので、12か13冊が公開されていますが)の題名と(そして出版社名)を書き留めて、そしてあなたに、折があれば、どうかそれを註文して下さることをお任せしなければならないのです。

わたしの本が、あなたの許にあることを願っています。

お元気で。

ライナー•マリーア•リルケ


わたしは、日本の詩人達の習慣をみて、驚いたことは、みなお互いに自分の詩集を無料で配付することであった。

日本の詩人は、豊かなのである。これは、あらためて、リルケのこの手紙を読んで、思ったことなので、備忘のためにも、書いておきたい。

2013年2月10日日曜日

【西東詩集32】 Lesebuch(読本)



【西東詩集32】 Lesebuch(読本)


【原文】

Lesebuch

Wunderlichstes Buch der Bücher
Ist das Buch der Liebe;
Aufmerksam hab' Ichs gelesen:
Wenig Blaetter Freuden,
Ganze Hefte Leiden;
Einen Abschnitt macht die Trennung.
Wiedersehen! ein klein Kapitel,
Fragmentarisch. Baende Kummers
Mit Erklaerungen verlaengert,
Endlos, ohne Mass.
O! Nisami! - doch am Ende
Hast den rechten Weg gefunden;
Unauflösliches wer löst es?
Liebende sich wieder findend.


【散文訳】

読書

本の中の最も奇妙な本は
愛の本である。
注意深く、わたしはそれを読んだ。
数ページをめくっただけで、悦びがある
全一冊を読むと、苦しみがある
別離が、一章をなしている。

さようなら!小さな章よ
断片的な。苦しみの巻々が
多くの説明によって、引きのばされる
果てしなく、際限なく。

ああ、ニサミよ! しかし、竟(つい)に
お前は、正しい道を見つけたのだ
解き難いものを、誰がそれを解くというのだ?
愛する者同士が互いを再び見つけているということなのに。


【解釈】

愛する男女が別離を経験して、再び後に会い、一緒になることの、苦しみと悦びを歌った歌です。

或は、正しくは、そのような愛の本を読んでの感想ということになります。また、ゲーテは、それを自分自身の恋愛に重ねているのではないかと思います。






2013年2月9日土曜日

Armer Teufel am Morgen nach dem Maskenball(仮面舞踏会の後の朝の哀れな悪魔):第7週 by Hermann Hesse(1877 - 1962)




Armer Teufel am Morgen nach dem Maskenball(仮面舞踏会の後の朝の哀れな悪魔):第7週 by Hermann Hesse(1877 - 1962)





【原文】


Armer Teufel am Morgen nach dem Maskenball

Ich habe kein Glück. Zuerst war alles gut.
Sie sass auf meinem Knie und war ganz Glut.
Dann ist sie mit dem Pierrot fortgelaufen.
Und ich, vor Wut, fing wieder an zu saufen.

Jetzt hab ich ein paar Tischen umgerissen
Und habe dieses Loch am Knie gekriegt
Und hab kein Geld mehr, und die Brille ist zerschmissen -
Jawohl, du Teufelsweib, ich bin besiegt.

Und ausser all der andern Schweinerei
Erst noch ein mehr als elendes Gewissen!
Ach wäre dieser Sonntag schon vorbei
Und ich und du und dieses ganze Leben!
Ich höre auf, ich muss mich übergeben.


【散文訳】


仮面舞踏会の後の朝の哀れな悪魔

俺はついていない。まづ最初は、すべてはよかった。
彼女は、俺の膝の上に乗っていたし、そして、灼熱だった。
次に、彼女は、道化役と逃げてしまった。
そして、俺は、怒りの余り、再び、大酒を喰らい始めた。

今、俺は、幾つかの小さな机を破壊した。
そして、この穴に膝をやられたというわけだ
そして、金がもうなくなり、そして、眼鏡は投げつけて壊れている
そう、その通りさ、お前、悪魔の女め、俺は打ち負かされたのだ。

そして、すべての他の糞食らえの他に
やっと悲惨以上の良心が、やっとかろうじて!
ああ、今度の日曜日が、もう過ぎてしまえばいいのに
そして、俺とお前と、この全体の人生が!(もう過ぎてしまえばいいのに)
俺は、止めだ、俺は降参せざるを得ないのだ。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。



これは、ヘッセが女に振られた詩です。

第2連の

Und habe dieses Loch am Knie gekriegt

というところを、


そして、この穴に膝をやられたというわけだ

と訳しましたが、これは何か慣用句のような言い廻しなのではないかと思います。ご存知の方がいらしたら、ご教示下さい。

2013年2月6日水曜日

【Eichendorfの詩 21】In der Fremde (異郷にて)


【Eichendorfの詩 21】In der Fremde (異郷にて) 

【原文】

In der Fremde

Ich hoer die Baechlein rauschen
Im Walde her und hin,
Im Walde in dem Rauschen
Ich weiss nicht, wo ich bin.

Die Nachtigallen schlagen
Hier in der Einsamkeit,
Als wollten sie was sagen
Von der alten, schönen Zeit.

Die Mondesschimmer fliegen,
Als saeh ich unter mir
Das Schloss im Tale liegen,
Und ist doch so weit von hier!

Als muesste in dem Garten
Voll Rosen weiss und rot,
Meine Liebste auf mich warten,
Und ist doch lange tot.


【散文訳】

異郷にて

わたしは、小川たちが潺湲と流れる音を聞いている
森の中に、あちらから、そちらへと
森の中で、潺湲たる音の中で
わたしは、わたしがどこにいるのかを知らない。

夜啼き鶯たちが、羽を打つ
ここ、孤独の中で
恰もそれらが言っているかのように
古い、美しい時代についての何かを。

月の輝きが飛んでいる
恰もわたしが、わたしの下に
谷に城が在るのをみるかのように
そして、その城は、実際確かに、ここからはかくも遠いのだ!

恰も庭の中で
薔薇が、白く、そして赤く、一杯に咲いていて
わたしの恋人が、わたしを待っていなければならないかの如くに
そして、恋人は、実際確かに、ずっと昔に死んでいるのだのに。


【解釈と鑑賞】

このような詩を読むと、今までの詩の中にも歌われていた小川のせせらぎも、森も、夜啼き鶯も、月の輝きも、庭も、城も、谷もなにもかも、異郷を歌うためだけにあったのだと思わずにはいられません。

どの連にも、恰も~の如くにという接続法II式、英語でいう非現実話法が使われていて、異郷の感じ、この世のことではない感じが強く致します。

恋人もまた死者であり、この世のものではない。しかし、死んでいるという事実だけが、現在形で書かれております。何か酷く無惨な感じのする、残酷な感じのする詩です。

アイヒェンドルフの詩や深し。

2013年2月4日月曜日

「Gay詩人、Hart Craneの暗号を読み解く」を刊行



ミッドナイトプレス社での、アメリカの、ゲイの素晴らしい詩人、Hart Craneについての講演を、Gay詩人、Hart Craneの暗号を読み解くと題して、アマゾンのキンドル版の電子書籍にして発刊しました。

お読み下さると、うれしく思います。次のURLアドレスです。

http://www.amazon.co.jp/Gay詩人、Hart-Craneの暗号を解読する-ハート•クレインを読み解く-ebook/dp/B00BA25DTU/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1359949902&sr=8-3

2013年2月2日土曜日

【Eichendorfの詩 20】Jahrmarkt (歳の市)


【Eichendorfの詩 20】Jahrmarkt  (歳の市) 

【原文】

Jahrmarkt

Sind's die Häuser, sinds die Gassen?
Ach, ich weiss nicht, wo ich bin!
Hab ein Liebchen hier gelassen,
Und manch Jahr ging seitdem hin.

Aus den Fenstern schoene Fraun
Sehn mir freundlich ins Gesicht,
Keine kann so frischlich schauen,
Als mein liebes Liebchen sicht.

An dem Hause poch ich bange―
Doch die Fenster stehen leer,
Ausgezogen ist sie lange,
Und es kennt mich keiner mehr.

Und ringsum ein Rufen, Handeln,
Schmucke Waren, bunter Schein,
Herrn und Damen gehen und wandeln
Zwischendurch in bunten Reihn.

Zierlich Buecken, freundlich Blicken,
Manches fluecht'ge Liebeswort,
Haendedruecken, heimlich Nicken―
Nimmt sie all der Strom mit fort.

Und mein Liebchen sah ich eben
Traurig in dem lust'gen Schwarm,
Und ein schöner Herr daneben
Führt sie stolz und ernst am Arm.

Doch verblasst war Mund und Wange,
Und gebrochen war ihr Blick,
Seltsam schaut' sie stumm und lange,
Lange noch auf mich zurück.―

Und es endet Tag und Scherzen,
Durch die Gassen pfeift der Wind―
Keiner weiss, wie unsre Herzen
Tief von Schmerz zerrissen sind.


【散文訳】

歳の市

家々なのだろうか、小路なのだろうか?
ああ、わたしは、自分がどこにいるのかを解らない
恋人を、ここに置き去りにしてしまった
そして、それ以来、幾年も過ぎ去った。

窓々からは、美しい女性たちが
わたしの顔を親しげに見る
どの女性も、それほど新鮮には見る事ができない
わたしの愛する恋人が見るようには。

その家の傍を通ると、わたしは不安で胸が高鳴る
しかし、窓々は、虚しいままだ
彼女が出て行ってから、長い間が経っている
そして、誰も、わたしのことを、もはや知らない。

そして、周囲には、叫び声、商い
装飾の品々、多彩な輝き
紳士と淑女が、行き、そして、逍遥している
多彩な列の中を通り抜けて

飾り立てて背中を曲げること、親しく見ること
幾多の、一瞬の恋の言葉
握手、密やかな頷(うなづ)き
彼女のすべてを、嵐が連れて、行ってしまう。

そして、わたしの恋人を、わたしはまさしく見た
陽気な雑踏の中に、悲しげに
そして、美しい紳士が、その横にいて
彼女を、誇らしげに、そして真剣に、腕をとって導いている。

しかし、唇と頬は、青ざめて
そして、彼女の眼差しは、虚ろだった
奇妙なことに、彼女は沈黙して、そして長いこと見たのだ
長いこと、依然として、わたしの方を振り返って

そして、昼間と冗談が終わり
小路を通って、風が笛を吹く
だれも、わたしたちのこころが、どのように
深く苦しみに引き裂かれているのかを知らない。


【解釈と鑑賞】

歳の市という、歳の終わりのクリスマスの陽気な御祭りの場所にいる、孤独な、恋人とわかれた男の心情と姿を歌った詩です。

いつも、アイヒェンドルフの恋は、何故か引き裂かれて、一緒に幸せになることがありません。

【西東詩集31】 Noch ein Paar(もう一組)



【西東詩集31】 Noch ein Paar(もう一組)


【原文】

Noch ein Paar

JA! LIEBEN ist ein gross Verdienst!
Wer findet schöneren Gewinst?
Du wirst nicht mächtig, wirst nicht reich,
Jedoch den Größten Helden gleich.
Man wird, so gut wie vom Propheten,
Von Wamik und von Asra reden.ー
Nicht reden wird man, wird sie nennen:
Die Namen muessen alle kennen.
Was sie getan, was sie geuebt
Das weiss kein Mensch! Dass sie geliebt
Das wissen wir. Genug gesagt,
Wenn man nach Wamik und Asra fragt.


【散文訳】

もう一組

そうさ!愛するということは、偉大な奉仕だ!
だれが、より美しい獲物を見つけることだろうか?(そのような獲物はないのだ)
お前には力がない、豊かでもない
しかし、最も偉大な英雄達に似ている。
ひとは、預言者についてよく話すように
ヴァミークとアスラについて、話すだろう。

ひとは、話すのではないのだ。ふたりの名前を挙げるのだ。
その名前は、だれもが知らずにはいられない。
ふたりが何をしたか、ふたりが何を営んだか
それを知っている人間は誰もいない!ふたりが愛したということを
それを、わたしたちは、知っている。それで、十分に言ったことになるのだ
もしヴァーミックとアスラのことを問うならば


【解釈】

前の詩で歌って、その名前を挙げた有名な恋人同士の名前のあとに、もうひとつの恋人同士の一組の名前を挙げて、ゲーテは、この詩を歌います。

この7つめの恋人同士に重ねて、ゲーテは自分自身とその恋人の姿を歌い始めています。

この恋人同士の姿、そのようなありようが、如何に大切であることか。

ひとに知られて、そして、ひとに知られぬ、そのような恋の姿です。

この一組のふたりが、預言者について同様に、世間で話をされるという表現は、大切な表現だと思います。

ここに、ゲーテのこころが現れていると思います。




gedicht fuer eine fliege(ある蠅のための詩):第6週 by Kurt Marti(1921- )



gedicht fuer eine fliege(ある蠅のための詩):第6週 by Kurt Marti(1921-  )






【原文】


gedicht fuer eine fliege

unzeitig
[draussen faellt schnee]
ist in der stille
des nächtlichen Zimmers
eine fliege erwacht

blau schimmernd
im gelben licht
einer reispapierlampe
surrt sie aufab aufab
vor buecherregelaen


ja und
[so höre ich fragen]
was willst du uns sagen damit?

nichts nichts:
ich schreibe das auf
fuer die fliege


【散文訳】


ある蠅のための詩

時ならずして
[外では雪が降っている]
夜の部屋の
沈黙の中に
ある蠅が目覚めた

青く輝きながら
藁紙のランプの
黄色の光の中で
その蠅は、唸りながら上下し、上下する
本棚の前で

そうだ、そして
[そう問うのが聞こえたのだ]
お前は、それで何をわたしたちに言いたいのだ?

何もない、何もない:
わたしは、それを書き留める
蠅のために


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


これを読むと、高校でデュレマットと同級生でした。その後大学へゆき、社会に出ての職業は、牧師。スイス生まれの、スイスの詩人です。

何と言うことのない詩のようですが、何故か非常にこころ惹かれる詩です。

外は雪。静かな世界。静かな部屋の中。そして、夜。藁紙のランプとは多分質素なランプなのでしょう。そのランプの光の中を飛ぶ蠅。これは、そうすると、冬の蠅ということになります。弱々しく飛ぶ冬の蠅。それでも、ぶんぶんと羽音を立てて、昇りつ、降りつしている。

孤独な蠅と孤独な人間の対話。

それを書き留めたのが、この詩だということになります。

こうしてみると、至る所に、詩作の契機があることを知ります。